不死鳥の騎士団
□17.蛇の目
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暗い廊下に飛んですぐ、ユイは口を塞がれ壁に押さえつけられた。
覆いかぶさるようにユイを覆うローブは、クィレルのものだろう。
完全に視界が奪われ、衣擦れの音と足音が遠ざかっていくのだけ聞こえてくる。
身動きひとつ取れないようにしっかりとクィレルに押さえ込まれ、ピアスをしてきていないことに気づく。
(これじゃ来た意味ないじゃない!)
なんとかクィレルの腕から逃れようともがいたが、相手は大人の男で、関節は押さえられるわ全体重をかけられるわで、どんなに力を入れてもクィレルはびくともしなかった。
「……闇払いが来たと思ったようですね」
足音が聞こえなくなり、安堵の息を吐きながらクィレルは腕の力を弱めた。
その隙にユイが腕を振り払って駆け出す。
靴も履かずに裸足で出てきたため、石床の冷たさと、飛び散った生暖かい血の感覚が直に伝わってくる。
様子を見るまでもない。
アーサーは重症だ。
『ウィーズリーおじさん!しっかりして!』
「これはひどい。あと一撃……あなたが来る音を聞いてあの人が去らなければ、死んでいたでしょう」
『見ればわかるわ!そんなことより手伝って!』
まずは止血。
それから解毒剤を飲ませる。
あとは――。
何が出来るだろうかと考えながら、カバンの中から使えそうな薬を次々取り出す。
ユイから手渡された小瓶を握り締めながら、クィレルは終始入り口に注意を向けていた。
「もう十分です。あとは救助した人がやってくれるでしょう。あなたがここにいることが知られるのはよくない」
ユイがアーサーに解毒剤を飲ませたところで腕をつかんだ。
「おわかりですね?」
切羽詰った声に、ユイは頷くしかなかった。
応急処置はした。
ここから先は、癒者の仕事だ。
駆けつけてくる足音の主がアーサーを救ってくれることを信じて、ユイは姿くらましをするクィレルに身をゆだねた。
*
姿を現したのは、どこかの部屋の中だった。
お世辞にも広いとはいえない空間の中に、古びた木の机や小奇麗なベッドが置かれている。
きれいに整頓されているといえばそれまでなのだが、あまり生活臭の感じられない部屋だった。
桟に雪が積もった窓の外に、どこかで見たことがあるような景色が月明かりに照らされてぼんやりと見える。
『ここは?』
「漏れ鍋です。まさかホグワーツに帰れるとでも思ったのですか?」
『いえ……。ですよね、そうなっちゃいますよね』
勢いで飛んできてしまったため、姿現しが禁じられているホグワーツに戻る方法をまったく考えていなかった。
叫びの屋敷から秘密の通路を通っていくという手もあるが、今頃はフィルチとアンブリッジが目をギラギラさせながら、ありとあらゆる入り口を見張っているだろう。
誰にも見つからずに無事に部屋までたどり着ける確率は極めて低い。
(どうしよう。アンブリッジの心証を悪くするわけにはいかないんだけどな……)
飛び出してきたこと自体は後悔していない。
先ほどのクィレルの発言を聞く限り、ユイが来なければアーサーの命の保障はなかった。
だが、せめて部屋に指輪を置いてくるんだったと、自分の甘さを痛感する。
部屋の中のランプに灯りをつけて回りながら、クィレルは静かに息を吐いた。
「誰にでもそうなんですね」
『へ?』
「いえ、こちらの話です。それにしても、無茶をするにも程がある。あなたはもう少し賢い魔女かと思っていました」
『すみません。あのときは夢中で……あ、でも、呼んでくれてありがとうございました』
「あなたが呼べと命じたからです」
暖炉に向かったクィレルは、火をつけることなく、上に置かれた肖像画に話しかけた。
少し大きめのカバンならすっぽり入ってしまいそうな、小さなカンバスだ。
ナイトキャップを被った老婦人の絵が、あくびをしながらどこかへ出かける。
額縁だけになった絵を見たまま動かないクィレルに許可をもらい、ユイは手足を洗うためにバスルームを借りた。
(うわ、結構ひどい)
暗闇ではわからなかったが、ユイの膝から下と手が血に染まっていた。
アーサーの出血量を物語っていて、応急処置だけで大丈夫だったのだろうかと、今さらながら不安になってくる。
手足をきれいにし、バスルームまで続く足跡を杖で消しながら部屋へ戻ると、クィレルはまだ暖炉の前に立っていた。
老婦人は既に戻ってきていて、イスに座ってうつらうつらしている。
『すみません、ローブ汚しちゃいましたよね?』
「構いません」
『そういうわけにもいきませんよ。ローブ脱げます?きれいにするので――』
姿くらましをするときにつけてしまった血を落とすべく、ユイはクィレルのローブを引っ張った。
そこでようやくクィレルは絵から目を離し、ユイに向き直る。
そして、ため息混じりにユイの手を払った。