おはなし
□砂の街
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二人は砂漠と化した町並みを当てもなく散策した。時折暴風が二人の行く手を邪魔したが、二人の意思は折れなかった。口数は歩みを進めるごとに少なくなり、風の音しか聞こえない。男は下を向きながら機械的に足を動かして、梅子は穴が開くほど周りを見詰めながら歩いた。耳障りな暴風音はどこか現実と隔たれたような感覚がして、心地よかった。
一瞬、風がやんだ。梅子はとっさに先ほどから考えていたことを、思わず口にした。
「貴方は街の人がどこに行ったのか知ってる?」
下を向いていた男は顔を上げ、少し考えてから言った。
「さあ。俺は他人と言葉を交わすことは今まで殆ど無かったし、数少ない連絡もメールだから分からない。もしかしたら俺の殺した人間も人間じゃなくてロボットだったなんてこともあるかもしれない」
「貴方は自分の殺した相手が人間かどうかすら分からないの?」
梅子は驚いたようにそう聞くと、男は罰が悪そうに眉をひそめた。
「ああ、俺には何も分からない。分かっているのは、俺の中の善と悪がジェンガのように崩壊してしまったということだけ。認知というものは一つ間違えると、全てが霧のようにかすんでしまうようだ。俺には空が青いことと地面が茶色いという事以外には、何も確信できない」
梅子は視線を空に向けると、ため息まじりに言葉を発した。
「そう。私には空が薄紅色に見えるし、地面はスカイブルーに見えるよ。確かなことがないっていうのは凄く共感できるな」
再び突風が吹き荒れると、お互いを必要とする気持ちだけがむくむくと膨れ上がり、依存心が露出した。その面持ちはとてつもなく敏感で、触るとたちまち壊れてしまいそうだった。
梅子は自分を奮い立たせるべく、掌をきつく握った。伸びた爪が掌に食い込んで、血が滲むほど強く握り締めた。
夕日が降りかかると、梅子はまぶしさに目を細めた。途端に背筋が寒くなり、急激な温度の変化に身震いした。空の向こうにでんと構える太陽は、物憂げに顔を半分覗かせている。夜の気配が罪人に優しくて、梅子と男は歓喜した。
すると、今まで気にならなかった空腹感がふいに梅子を襲った。軟弱な体にむち打ったおかげで、飢餓感はすさまじく多量の胃酸を分泌した。
「ねえ、お腹空かない?」
梅子が問いかけると、男は即座に頷いた。その瞳は獣のように鋭くてギスギスしていた。あまりの迫力と態度の変貌に、梅子はたじろいだ。男は秘密を漏らすように囁いた。
「俺は昔から腹が減るとロクなことをしでかさない。それが今日まである種の性癖のようにこびりついて離れない。何故だと思う?習慣さ。三つ子の魂百までと言ってな、俺は無意識のうちに犯した罪に一生苦しまなくちゃならない」
梅子は喉をならして唾を飲み込むと、闇に飲まれかけた周囲の風景を見渡した。心臓の鼓動が早くなって興奮しているせいか、建物の連なりが生まれて初めて見たかのように鮮明に見えた。ライオンに睨まれたウサギの気持ちを、この時ほど強く感じたことはない。
逃げよう。しかし即座に踵を返そうにも、腰が抜けてしまって思うように足が動かない。
「ふん、私は逃げも隠れもしないから好きにすればいいじゃない」
梅子が威勢よくそう言うと、男は不意をつかれたように一点を見詰めて考える素振りを見せた。
そのままじっと、動こうとしない男。注意を逸らすことに成功した梅子は少しだけ緊張を緩めて、男に再び問いかけた。
「あなたは承認を他に求めるといいわ」
「承認?」
「そう。私はあなたを受け止める資格も度量も、持ってないの」
男は少し考えると、くるりと背中を向けた。それからぶっきらぼうに言葉を発した。
「もう寝る」
男の声色があまりに悲観に満ちていたので、梅子はとっさに逃げることを躊躇した。
放っておいたら男が死んでしまうではないかとすら、強く思った。梅子はその場に腰を下ろすと、膝を抱えて顔を押し付けた。
途端に忘れていたはずの恐怖の波がどっと押し寄せて、涙で膝を濡らした。それから少しも動くことはせず、長い夜を迎えた。
***
梅子がまどろみながら夢との境目を虚ろに歩んで自我を忘れそうになっていると、すぐ傍で足音が聞こえた。はっと目を覚まして薄目を開けると、隣に男が佇んでいた。
手にはナイフの代わりに擦り切れた毛布が握られていて、それをふわりと羽衣のように梅子にかけると、彼は颯爽と元の道に戻っていった。
梅子は男に受けた親切を申し訳なく思い、男が来た道を辿って毛布を返そうと試みた。しかし真っ暗な道中で周りが把握できず、男に追いつくのに時間がかかった。
やっとのことで暗闇に目が慣れると、男に声をかけようと傍に歩み寄った。
「あの・・・・・・」
次の瞬間、男がおもむろに洋服を脱ぎ始めたので、梅子は口を噤んで草葉の陰に隠れた。男は息をつく暇もなく、全ての服を剥ぎ取ると、生まれたままの姿を惜しみなくさらけ出した。ライオンを思わせる肉体が月夜に照らされて、てらてらと光輝いている。そのまま数秒間、仁王立ちのまま動かなかった。
(何をやっているのだろう)
風が吹いたのを合図に、男は地面に背中をこすり付けて何度も寝返りを打った。執拗に繰る返すそのさまは発情期を迎えた動物のようだった。みるみるうちに無数の砂が身体にまみれて、おしろいのように見えた。
男は手早く両足の間に生えているいきりたった性器を握ると、力強く摩擦を加えた。それはある種の儀式的な手さばきで、男が日常的にこれらの行為に耽っていることが伺えた。
数秒後、射精に至ると男はぐったり身体を横たわらせた。そしてそのままびくとも動かなくなった。
梅子は開いた口が塞がらずに、その場に立ち尽くした。いけないものを見てしまったという認識がじょじょに心を支配した、その時だった。
「そこで何をしている!」
男が物凄い形相で、こちらを見上げながら叫んでいる。梅子は胸のあたりを押えながら、必死に言い訳をしようと頭を働かせた。しかし何一つ言葉が浮かんでこなくて、思わず口から出た言葉が。
「私にもやらせてよ。丁度退屈していたところなの」
梅子は自分でも信じられないような言葉を発し、唖然とする男の目前でグレーの上着を脱ぎ始めた。
胸元のボタンを几帳面に外していくと、満月のように丸みを帯びた乳房が顔を出した。男は食い入るように、梅子の乳房を見詰めていたが、意を決したように呟いた。
「そんなにあるとは思わなかった」
「ふん。人ってね、思いがけないことがあるから面白いのよ」
「はっ!面白くはないだろう。俺は冒険を好まない。傷つきたくないからな」
「貴方のそこも傷ついたの?」
男の性器を見ると、乾いた枯れ木のように萎えていた。男は全身の血が頭に逆上し、顔を赤くした。
「あなたも恥ずかしいかもしれないけれど、私だって物凄く恥ずかしいのよ」
そう言って、梅子は男の性器を口に含んだ。飴をしゃぶるように、梅子は性器を舌でもてあそんだ。みるみるうちに、性器がカタツムリのように大きくなり、梅子は顎が痛くなった。手で摩擦を加えながら、梅子は上目遣いで言葉を口にした。
「ねえ、気持ちいい?生きてるって感じする?」
男は黙ったまま、何も語りはしなかったが、頭の中では脳内物質であるエンドルフィンで溢れていた。
「あ、イく」
男が達しようとしたところ、梅子が声を上げて制止した。
「待って!今度はほら、自分で入れてみ?」
梅子が足を大きく広げながら、男を招いた。言われるまま男は腰を落とし、梅子の子宮に挿入を試みた。中は湿ってて暖かくて、男は熱い息をもらした。
やがて男は快楽に顔を歪ませながら射精した。
白く濁った精液を子宮から垂れ流しながら、梅子は呆然と空を仰いだ。いつの間にか幻覚は見えなくなっていて、星だけが光り輝いて見えた。混じりけのない自然の風景に、梅子は気持ちが満たされていった。
「世界中の人が私をいないと見なしたら、私という人間は本当にいなくなると思ってたけど、それって違うのかしら」
「は?お前はここにいるじゃん」
「うん。そうだけど、自分が本当に存在しているのかが分からなくて。あなただって殺人を犯すのは、死体が裏切らないからじゃない?死んだら誰でもあなたを受け入れてくれるでしょ。私が自分に固執するのは、自分自身は裏切らないからよ」
「ふーん。よく分からないけど」
男は寝転びながらこういった。
「またやりたいな」
「私も。けどセックス依存になったら嫌だから、現実はきちんと見詰めないとね」
梅子は威勢よく起き上がると言った。
「行こうか」
「どこへ?」
「現実世界よ」
そういうと、二人の姿は砂の街から忽然と消えた。後に残ったのは、乾いた砂の音色だけだった。
【終】