おはなし

□魚の涙
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「早く死んでみろよ。俺がここで見といてやるから」

彼はそう言うと、リビングのソファに腰を下ろした。両腕をしかと組み、二本の足は偉そうに投げ出していた。

彼の目は魚みたいに離れていた。つぶらな目を少しだけ赤くさせて、「早く死ね。出来ないのかクズが」と大声で怒鳴った。

私は息を飲んだ後、そばに落ちていた彼の青いネクタイを手に掴み、首に当てた。どくどくと動脈が手のひらに伝わって、気味が悪かった。

恐る恐るドアのところに移動をし、紐をドアノブに括り付ける。その途端、首にネクタイが食い込んでむせるような息苦しさを味わった。みるみるうちに酸素が足りなくなり、頭がくらくらして、それがちょっと気持ちが良くて、私は困惑した。足が自分の意思とは関係なしにソワソワと動き出したとき、背中のあたりがゾッとした。

--あと少しで、このまま逝ける。

そのときだった。ネクタイがドアノブから外れ、身体が床に叩きつけられる。驚きのあまり呆然としていると、彼がくつくつと笑った。

「結局死ねないんじゃねーか」

わずかに痛む喉をさすりながら、悔し紛れにかすれた声を絞り出した。

「死ねないんじゃなくて、死なないの」

目を伏せてそう言うと、彼は「意気地なしが」と笑った。ふと見ると彼の目尻には涙が浮かんでいて、それはとても、綺麗だった。

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