おはなし

□共倒れ
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   産声を上げてから、一度も休んだ事がなかった。久しぶりにため息をつくと、飛べそうな気がした。

「本当にこれでいいのかな」

 力が抜けておかしくなりそうになる。緊迫していた筋肉がとろとろと溶けそうになる。
 二十歳。こんなにも早くに死んでいいのだろうか。目の前にいる男に目をやると、ヤツはすでに陶酔していた。

「いいんだって。もうさ、どこか違う次元にイっちまわないと、俺達弱者はおかしくなっちまうんだよ。自殺だって、曲がりながらも立派な生の形じゃないか。死ぬほど生きたいと願う人間を止める人間がどこの世界にいる?」

 定まらない視点を泳がせながら、くちゃくちゃと男が述べた。その首に手を添えると、太鼓のようにどくどくと脈打っていた。青白い顔色にも関わらず、首元だけが燃えるように赤い。

「地獄へのカウントダウンみたい」

「地獄じゃない、天国だよ」

 意識が朦朧としてきた。窓の外から差し込む光がやけに眩しくて、この世のものとは思えないほど輝いて見えた。自分のような下劣な人間があびて良い光とは思えなくて、ふいに目を瞑った。

「ごめんな、救ってやれなくて」

「いいよ。別に」

 手を取り合う、だなんて甘い事はしなかった。きっと、お互いが違う事を考えているだろう。その証拠に、視線が交わらない。

***

 げろの臭いで目が覚めた。ぼさぼさの髪の毛を呆然と触った。一刻も早く風呂に入りたい。

「どうやら薬の量が足りなかったようだ」

 先に起きていた男は、煙草をふかしながらコーヒーを飲んでいた。いつもと変わらない日常に、うんざりしながら立ち上がった。

「どこに行くんだ?」

「どこって風呂だけど」

「は?俺達はこれから自殺するんだろう?」

 まだやんの?とは流石に言えなかった。恋人は真剣そのもので目をぎらぎらさせていた。

「うん、まぁ、でも、とりあえず風呂には入りたいかな」

 曖昧な私の返事に、男は不信感を露にした。

「お前、もしかして生きたいのか?」

「えっ?そんな事ないよ」

 私の言葉に男が安堵の息を洩らした。

「そうだよな。俺達に死ぬ以外の解決法は何もないもんな。借金だって、とてもじゃないが返せそうにない。この部屋だって、じきに追い出されるだろう」

 その殆どの借金は薬と博打で男が勝手に作ったものだった。そのたびに私が男の尻拭いをした。

「とりあえず風呂に入らせてよ。げろが気持ちが悪いから。ね、いいでしょう?」

「ああ、それはいいんだが、お前、逃げるつもりじゃないよな?」

 薬による男の勘ぐりはこのところ酷くなっていた。

「逃げないよ」

 私がそう言うと、男は少年のように笑った。そのはにかみ顔に、私は何年騙されたことか。
 がたぴしと軋む脱衣所に足を運ぶと、服を脱いだ。目の前の鏡に目をやると、あばらの骨が突き出た骸骨が目に映った。目の下にはくっきりとクマが刻まれていて、死神のようだ。生気が、まるでない。にもかかわらず心臓に手をやると、疾風のように刻々と脈を刻んでいるのだから気持ちが悪い。よろめく身体にシャワーをあてて、服を新しいものに着替えた。見栄っ張りな男が昔買ってくれたブランド物の服だ。

 先ほど男が言ったように、じき、アパートを追い出されるので、早々に荷物をまとめようと、傍にあった旅行バッグに手を伸ばした。

「おい、逃げる気か?」

 後ろを振り返ると、いつのまにか男が恨めしそうな顔で立っていた。

「だから逃げないって」

 私がうんざりしながらそう言うと、男が逆上した。

「いや、お前は逃げる。絶対に逃げる。逃げない理由がないんだ。ある訳がない!お前は何も悪くないのだから。俺が不甲斐ないばかりにお前は・・・・・・」

 デジャブ?と私は思った。昨日も、このように男に泣きつかれたので自殺に至ったのだ。同じ情景を目の当たりにして眩暈がした。

「あなたが逃げて欲しいのなら、私は逃げるけど」

「お前は俺を裏切るのか!?」

 てんで会話にならない。じきにアパートを出て行かなきゃならないし、その上、次の住まいも決まっていないのだ。ふいに死にたくなる。

「ねえ、変な事を聞くようだけど。あなたは別に、私と一緒に死ななくてもいいんじゃないの?」

「どういうことだ」

 男が怪訝な表情を浮かべた。

「だからさ、私じゃなくてもいいんじゃないかと思って。あなたはいつも、自分にしか興味を持たないじゃないの。現に昨日だって、あなたは私を見ようとはしなかった。あなたは結局、自分のために死ぬのよ」

「黙れよ」

「私はそこまで自分勝手にはなれない。愛する人のためならまだしも、自分のために死ぬだなんて馬鹿げている。それなら私は、自分のために生きる方を選びたいよ」

「黙れ!」

 男がきちがいのような怒声を上げた。殺される。瞬時にそう思い、逃げようと腰を浮かせた。男がそれを阻む。なかなか思うように身体が動かない。男が私の頭上に拳を振り上げた。あっと思った途端に痛みが走り、あまりの痛さに悶絶した。男がにやつきながら様子を見ている。

「大人しくしとけばいいんだよ。俺達弱者はよ」

「弱者はあなただけでしょう」

 痛さに喘ぎながら声を絞り出す。すると男が笑った。

「お前は自分を強い女だと思っているのか?それは違うよ。お前の場合、性格が悪いだけだ。強者とは訳が違う」

「自殺するくらいなら、性格が悪くても生きた方がいい」

「じゃあどうやって生きていく?金もないんだぞ?」

「抵抗するから辛いのよ」

「は?」

「何もしなければいい、生きようとも死のうとも。自然が一番よ」

「・・・・・・」

 私が男に口をつけると、男は抵抗しなかった。
 それから数ヶ月後、二人は別れた。それがお互いにとって、自然な事だったからだ。


20121216

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