おはなし

□黄金虫
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 私には零か百しかなくて、先生には出来るだけ百で接しようと決めたから、本音で話すと、先生は一言こう言った。

「迂闊に本音を言うのは、馬鹿だと思う」

 その一言で私の恋は終わり、涙で先生の顔がかすむのをじっと堪えて、

「ですよねー」

 そう言うと、先生は笑った。先生が意地悪なのを私は密かに知っていたから、そんなにショックでは無かったけれど、それでも失恋してから三日間、熱にうなされた。先生ほど優しくて意地悪な人を、私は知らない。優しいからこそ、悪なんだ。先生は多くの人を救うけれど、その反面、多くの人を傷つけて、心の大量虐殺を起こして、毎日お金を得ている。責任が大きければ大きい程、虐殺の度合いは大きくて、人はそれを、権力者と呼ぶ。血まみれのその手に紛れもなく、私は救われた。

 家に帰ってから、私は黄金虫を殺した。黄金虫も独りで心細かったと思うけれど、私だって心細かったから殺したんだ。はっと我に返った時はもう死んでいて、亡骸を見た途端に後悔が襲ってきて、とんでもない事をしてしまったと途方にくれた。それから掌にのせて、庭に捨てた。もしかしたら本当は死んでなくて、明日の朝には生き返るかもしれないから、それまでは土に埋めないでおいた。
 翌朝、黄金虫を見に庭に下りると、昨日と同じままの格好で死んでいた。虹色の煌びやかな七色が、緑一色になって死んでいるのを見た瞬間、私は自分を簡単には許さない事にした。黄金虫もきっと、私を許さないだろう。

 翌日、先生から借りていたお金を全て返そうと、売春した。綺麗なままではお金は稼げないから、私は私を汚して、一時間で三万円、十日で三十万円、一ヶ月、と罪を重ねて醜くなった。
先生の元にお金を渡しに行くと、先生は、

「これで俺らは終わりなの?随分と薄っぺらい関係だね」

 その口調が別れ話のようだったから、私は何だか可笑しかった。そもそも私は先日、先生にフラれたのだ。
先生は自分が傷つけた事を理解してないかのような口ぶりで、

「どうやってこの金を?」

 そう言われると私は何も言えなくなり、黙っていると、先生は優しく言った。

「いつかは肉体が滅びるように、永遠なんて無いわけだ」

 先生は哀しそうに俯いた。哀しいのは私の方だ、そう言いたいのをぐっと堪え、

「先生が悪いんだよ、本音を言うのは、馬鹿だなんて言うから」

私がそう言うと、先生は満面の笑みで言った。

「だってそれは、その通りだと思わないか?」

 先生の言葉に、私は頷いた。

(その通りだと思うから、哀しいんだよ)

 私と先生は、いつも平行線を辿るばかりで、交わらなくて、交わる手段を知らなくて、どうでも良い時は口達者で、肝心な時に無口だから、いつまでたっても独りで、孤独で、何のために生まれて来たのかも分からずに、そっとそっと、死んでいくのだろう。矛盾を矛盾とすら気が付かずに葬式の朝を迎えて、あれと思った時にはもう遅くて、あの時殺した黄金虫のように、土の中に埋められて。
 私はどんなに不幸でも、先生と一緒にいたかった。それも叶いそうにないなら、せめて夢の中で、会えたらいい。遠い未来に、会えたらいい。


20120915

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