おはなし

□飴玉
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 飴玉を口にした。何の味もなかった。次の瞬間、幾多の味が広がった。全てを手に入れると同時に全てを失う魔法の飴玉が、そこにはあった。


「へーそんな凄い飴がこの世にあるんだ」

一樹の話を聞きながら、恋人である雪奈が呟く。それに対して一樹は頷いた。

「あるよ、神様のお菓子みたいな」

「神様のお菓子、か」

 雪奈はため息を吐いた。一樹は夢物語を語ってばかりで、一向に働かないからだ。一樹は何故、職を転々とするのか。それは多分、一樹自身にも分からないのだろう。一樹が以前、自分というものがないと言って悩んでいたが、自分がないのが自分なのだと、何故気づかないのだろうと雪奈は不思議でならなかった。雪奈だって、一樹に偉そうに言う程自分の事を理解しているとは言い難いのだが、それでも、それで良いと思っていた。雪奈は自分が知らないという事を知っているのだ。

「それはさておき一樹、仕事は?」

 雪奈がたずねると、一樹は俯いた。雪奈は深く息を吐いた。一樹は高校の時、バイクで罪を犯して退学したのだが、それからの一樹は、見る影もなく落ちぶれた。垂れ流しの生活という言葉がぴったりで自堕落的な生活を送っている彼を雪奈は恋人として見守った。しかしお互いもうすぐ成人なのだ。そろそろ落ち着いても良いのではと思い、雪奈は今日も彼を叱咤する。

「またやめちゃったの?これで十個目だよ」

「・・・・・・」

「どうするの?これから」

 一樹は暗い表情をしたと思いきや、ぱっと表情が華やいだ。

「そうだ俺、勉強するから!それで大学に行く!」

「は?」

「大学だって。んでさ、立派な仕事につくから」

「立派な仕事って・・・・・・あんた高校すら出てないでしょ」

「大丈夫だって!」

 そう言って一樹は自身のアパートを飛び出した。今二人が一緒に住んでいるアパートだって、雪奈が家賃を払っているのだ。雪奈は肩を落とした。先の事を考えれば考える程、絶望に打ちひしがれた。

***

 口から出まかせだと思いきや、一樹はあれから参考書を書店で買ってきて勉強し始めた。しかしそれだけで上手くいく筈もなく、一樹は試験を受ける前にさじを投げた。
 その頃から、一樹の行動がおかしくなった。まず、帰りが遅くなった。仕事もしてない訳だから、遊んでいるに違いない。服装も派手になり、手にはセカンドバックを持つようになった。まさか、よからぬ相手と交際を始めたのではないか。雪奈はそう一樹に問い詰めたが、

「うるせーな、関係ねーだろ」

 この一点張りだった。

***

 数週間が経った頃、雪奈は一樹に深く介入する事は「永遠に」無くなった。雪奈は事故に巻き込まれたのだ。歩行者天国に突っ込んで来た車に跳ねられた後、すぐに病院へ搬送されたものの、息を吹き返すことはなかった。加害者はすぐに捕まったものの、責任能力がないと判断されて減刑された。精神鑑定で精神疾患が発覚したのだ。
 一樹は行き場のない怒りを持て余すようになった。一方、雪奈が亡くなった実感は沸かず、胸に穴が開いたような面持ちがした。ふらふらと雪奈が事故にあった現場へ足を運んでは一樹は眼を潤ませた。
 何気なくポケットに手を入れると、以前に先輩から頂いた通称「飴玉」がそこにはあった。雪奈にも以前に話した、神様のお菓子だ。先輩の話によると「飴玉」は非常に危険らしく下手すると死んでしまう程、トぶらしい。
 一樹は意を決して、飴玉を口に入れようとしたその時。

「脳みそ、凝ってそうですね」

「は?」

 一樹が振り向くと、そこには女が立っていた。一樹は女の妙な言動に顔をしかめ、そそくさとその場を後にしようとした。すると女が追いかけてくる。

「脳みそ凝ってそうなので、どうですか。うちで休んでいきませんか」

 ははあと思った。風俗かなんかの客引きかと一樹は思い、女をじっと見た。なかなか綺麗な女だった。
 この際どうでも良くなり、一樹は女の後について行く事にした。女は薄い笑みを浮かべていた。美人だが何処と無く不気味だった。
 看板のない店に案内されて中に入ると、女が着替えてくると言って店の奥に引っ込んだ。それから数分後、マッサージを施す時によく身に着ける着物をまとって、一樹の前に現れた。色気のない装いから風俗ではないということは一目瞭然なので、一樹はやや不機嫌に声を上げた。

「ここは風俗じゃないのか?」

「風俗ではありません」

女は一旦言葉を区切った。

「ただのマッサージ店でもありません」

「どういうこと?」

「脳みそのマッサージ店です」

女の言動に一樹はうろたえた。

「何なんだよ、それ」

「実際にやってみればよく分かると思います」

一樹は少しだけ躊躇したものの、たかがマッサージだろうと思いなおし、お願いする事にした。恋人を失った為による自棄というやつだ。女は一樹にベットにうつぶせになるよう指示し、一樹は言うとおりに横になった。女は失礼しますと言って一樹の頭に手を添える。ほら、やっぱりただのマッサージじゃないか、そう一樹が思った瞬間。

「恋人がお亡くなりになったようですね」

 女の言動に血の気が引いた。恐怖のためか、その場から逃げたいのにも関わらず動けなかった。

「驚かれたでしょう?皆さんそうなんです。あなただけじゃありませんから」

 女は義務的にそう言った。一樹は鳥肌がとまらなかった。が、ふとしてある考えが浮かんだ。事前に情報を仕入れておいて、さも透視したかのように振る舞っているだけなのでは?女が何のためにそんな事をするのかは分からないが、そうとしか思えなかった。

「事前に情報なんか仕入れていませんよ」

 女の言葉に一樹の心臓は一段と高鳴った。こんな所にいられるかと思って身体を起こそうとすると、女が物凄い力で食い止めた。

「待ってくださいよ。恋人とのお辛い記憶、消したくありませんか?」

「はあ?」

 女の眼をじっと見つめると、引き込まれるような感覚がしたので、一樹は眼を逸らした。が、女がそれを許さなかった。無理矢理に眼を合わせられると、物事がどうでもよくなった。最終的に、

「お願いします」

一樹はそう言って、女に頭を下げた。

***

 女が施術を施すと、一樹の気持ちがすうと軽くなった。まるで頭の中のモヤが消えたような、さわやかな面持ちがした。身体までもが軽くなったような清々しい感覚に一樹は感動を覚え、施術が終わると何度もお礼を言った。女は薄笑いを浮かべていたが、一樹はその事に気がつかなかった。施術代は一回三万円だった。
 それから何度もその店に通うようになった。嫌なことがあるとすぐさまその店に通い、いつの間にか習慣となった。人の行動は全て学習によって成り立っている。一樹は記憶を消す事を覚えてしまったから始末が悪かった。ある日、女が

「記憶をこれ以上消したら、大変な事になりますよ」

と忠告したが、一樹はそれでもやめようとはしなかった。とにかく現実を忘れたかったのだ。やがて言語もままならなくなり、それでも必死に女に哀願した。女は哀れむような眼をしながら施術を施した。
 ついにその結果、一樹は全てを忘れた。規律も秩序も道徳もを忘れ、社会のしがらみからも解放され、一匹の動物に成り果てたのだった。そこには苦痛はないが、幸福もなかった。

***

 全てを失った一樹がポケットをまさぐると、そこには飴玉があった。口の中に入れると、景色がぐにゃりと曲がって見えた。そのまま一樹は宇宙の彼方まで飛んで行き、しばらく宇宙を彷徨うと、一樹自身が意識のかたまりとなった。そして、意識が閉ざされた。
 眼を覚ますと、そこは楽園だった。遠い昔に忘れたはずの人物が、そこにはあった。

「神様のお菓子の話、聞かせてよ」

雪奈がそう言って笑った。一樹は自分が泣いてることに気が付かなかった。
 全てを手に入れると同時に全てを失う魔法の飴玉を口にしながら、一樹は子供のように泣いた。

***

 翌朝、道端で一樹が倒れているのを近所の人が見つけて通報した。既に息の根はなかった。

「ドラックの形跡が見られるので、事件性は薄いと思います」

刑事の一人が言った。

「また例の飴玉か」

「はい、今年になって4人目です」

「飴玉常習者はどういう訳か、どいつもこいつも幸せそうな顔して死んでやがる」

 警察が一樹の死に顔に眼を向けた。この世のものとは思えないほどの、穏やかな笑みを浮かべていた。

「命と引き換えに快楽を得るなんて馬鹿ですよね」

「ああ、馬鹿だよ。ドラッグなんて本当の幸福とは言わない。所詮オナニーと一緒だ」

刑事はそう言い捨ててから、一樹の顔面に布をかぶせた。そして煙草に火をつけながら言った。

「そういえば最近、妙な事件が多発してるな」

「ええ、何でも風俗嬢に扮してターゲットを捕まえ、事前にリサーチしておいた情報を提示してターゲットを混乱させて、洗脳し、金を得るという事件です。なんというか、世も末ですね」

「だな」

「騙す側と騙される側、どっちがいいですか?」

「どっちもやだ」

「ですよね」

 二人の刑事は高らかに笑った。
 数年後、雪奈の命を奪った加害者が自殺した。精神鑑定の回答を偽った結果、本物の精神障害となり自殺したのなら、誰も何も言えないだろう。



【完】

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