おはなし

□魂と彼と
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 魂が口から抜け落ちたので、私は声にならない悲鳴を上げた。私の顔は蒼白になり、手足が震えた。ついには立っていられなくなり、その場にしゃがみ込んだ。

「おい、どうした。大丈夫か?」

遠のく意識の中で、私は恋人である佑介には迷惑を掛けたくないと思った。

「大丈夫だから、先に行ってて」

「でも、顔色が悪いぞ。いつもの貧血か?」

魂が抜け落ちる症状は以前から度々あって、その都度、私は貧血だと佑介に言って隠した。

「そう、貧血だよ。ちょっとその辺の店で休むから、先に行ってて」

「え、でも」

「いいから、お願い」

佑介は戸惑いつつも、足を進めてくれた。佑介がいなくなると、私は震える手で鞄から錠剤を取り出し、それを口に放り込んで噛み砕いた。錠剤の粉が舌に纏わりついて不快感を覚えたが、我慢した。そのうちに、魂が身体に浸透して清々しい気分になり、やがては意識が鮮明になった。
 私の身体は元通りになり、安堵から小さく息を吐くと、鞄から煙草を取り出した。煙草は身体に禁物だと医者から聞いていたが、私は気にしなかった。煙草が美味ければ良ければそれで良いのだ。明日は明日の風が吹くなんて鷹揚な性格も、病気の前ではあまり意味を成さなかった。
私は何年もこの症状に悩まされていた。医者にも当然診てもらったが、一向に良くなる気配は見られない。病気の事は誰かに言うこともなかった。迷惑が掛かると思っていたし、魂が抜けるだなんて、言われた方もどうして良いか分からないだろう。
 けれど、こうも長く社会生活に影響を及ぼすとなれば、話は別だ。
――佑介に、病気のことを打ち明けたほうが良いのだろうか。
煙草を吸いながら私は考えたが、その考えもやがて、煙と共に消えていった。煙草を吸い終わると、私は携帯を取り出してメールを打った。「今行く」と祐介に告げて携帯を鞄にしまうと、佑介の後を追った。
100メートル程歩いた先に、佑介が一人で自販機の傍に佇んでいた。

「あれ、何してるの?」

「お前だけ置いていっても仕方無いだろ」

私達はこれから、佑介のご両親に挨拶に行くのだ。当然、私一人を置いて行っても仕方が無い。

「そうだね、ごめん」

私は佑介と共に、並んで歩き出した。佑介は横目で、私を心配そうに見ていたが、私は知らないふりをした。少しでも気を弱く持つと、また魂が抜けるような感覚に陥るのだ。私は気を強く持ち、ひたすら前を見て歩いた。
 私は本来、このような訳の分からないオカルトめいた病魔に侵されるような人間ではなかった。順風満帆に人生を歩んできたはずなのだ。症状に悩まされるようになったのはいつだったか。そう、佑介と出会ってからだ。
 佑介は犯罪者だ。付き合い始めた佑介の口からそう聞いた時、私は空いた口が塞がらなかった。聞くところによれば、仕事の関係で罪を犯したらしく、借金まであるらしい。佑介の見た目は凶悪犯というよりは、むしろ草食動物といった軟弱な動物のようであったから、私はますます眼を見張った。
 しかし、私は祐介が犯罪者だからと言って祐介の側を離れる気にはならなかった。そのまま交際を続け、年齢もあって私はついに結婚を意識し始めた。そして、ついに佑介からプロポーズを受けた。その頃からだろうか、私の病状が出始めたのは。
――本当は、私は佑介を愛していないのかもしれない。
不穏な考えを抱きながら、佑介の実家に着くと、母親が出迎えてくれた。私は頭を下げた。その瞬間、私の魂は抜け落ちた。

***

眼をあけると、佑介の顔があった。ここは祐介の実家の寝室らしい。私は飛び起きた。

「じっとしてろよ」

佑介は飛び起きた私を制止した。私は頭に鈍痛を覚え、低く呻いた。佑介の言うとおり、じっとしていたほうが良いらしい。

「あの・・・・・・」

「悪かったな、もういいよ」

「え?」

思いがけない佑介の言葉に、私は疑問符を浮かべた。

「嫌なんだろ、俺と結婚するの」

佑介の言葉に、私は狼狽した。

「何でよ、そんなことないよ、どうしてそんなこと・・・・・・」

「俺、知ってたんだ。お前の病気のこと」

佑介の言葉に私は驚いた。佑介は言葉を続けた。

「治療法だって知ってるぜ」

祐介はそう言うと鼻で笑った。私は佑介の顔を凝視した。

「知りたいか?」

私は頷いた。

「病状こそがお前の本心なんだよ」

佑介は平然とそう答えた。

「どういうこと?」

「病状こそが、捻くれたお前の本当の気持ちなんだよ。お前は本当は嫌で嫌で仕方が無いんだよ、俺を含めた生活の全てがな。だけど言えないから身体がおかしくなる。魂は嘘をつけないだろ?」

私はその言葉にはあ?と目を細めた。

「お前の本当の気持ちを尊重してやれば良いんだ。そうすれば、魂も逃げたりしないだろう」

私は祐介の酔狂な返答に愕然としたが、そこまで深く考えてくれた佑介を愛おしくも思った。が、口には出さなかった。

***

 それから数日後、祐介の言葉を真に受けた訳ではないが、私たちは別々の道を歩き出すことに決めた。自分に正直に生きようと決意したのだ。
しかし、佑介と別れても依然として、私の病気は良くならなかった。それどころか、ますます酷くなった。けれど他に何をすれば病気が良くなるのかも分からなかった。祐介の言っていた、自分の本当の気持ちとやらが何なのかすら、私には分からなくなっていた。いつからか、私の眼には、未来も自分も何もかもが真っ暗に映るようになっていた。
やがて、症状を抑えていたはずの錠剤も効かなくなった。十日もぶっ続けで魂が戻ってこないことさえあった。魂が抜けている間の私は、ただただ放心状態だった。私の心は死んでいるらしく、最早何も感じなくなっていた。
 別れて一ヶ月が経とうとした頃、佑介が再び犯罪に走ったと共通の友人から聞いた。私はその時、比較的意識がはっきりしていたので、気持ちが揺れ動くのをはっきりと感じ取った。

 私は大急ぎで佑介の家にいくと、佑介は捨てられた野良犬のような顔をして、壁の一点を見詰めていた。声を掛けると、佑介は笑った。その眼から、つうと涙が零れ落ちた。
 それから私達は、言葉を交わす事はせずに、何度も何度も身体を重ねた。何度も何度も愛し合ったのだ。事の合間に魂が抜ける事も何度かあった。しかし不思議な事に、魂が抜けていても祐介と身体を重ねれば、私は私でいることが出来た。つまり、身体を重ねてさえすれば、いかなる時でも魂を留まらせておく事が出来たのだ。だから私は、佑介と一生一緒にいることにした。佑介が私の薬となり、私が佑介の薬となったのだ。
 私たちは支え合うというよりも、お互いにもたれ掛かるという具合なので、いつかは共倒れとなって崩壊することは眼に見えていた。所詮、見せ掛けの愛でしかなかった。しかし、社会のはみ出し者の私達は、そんな見せ掛けの愛にすら希望を見出したのだ。
 もしかしたら私達は、あと数年もすれば屈託の無い笑顔で笑い合えるかもしれない。そんな日が来るまで、私達は、固く固く抱き合った。


【完】

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