おはなし

□闇夜の灯
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一度薬に手を出したら最後。二度とやめる事は出来ない。



昔、先輩が言ったそんな言葉を思い出しながら、友香は震える手を抑えて針を腕から慎重に抜く。
ゆっくり、慎重に慎重に。そして止めていた息を解放しながら独り言を呟く。



「・・・また打っちゃった」



使用済みの使い捨て注射器を自分の座ってるアパートの床にコロンと置く。その腕には無数の注射針のあと。
ああ、軟膏塗らなくちゃ。軟膏を塗ると針のあとが目立たなくなるんだ。



友香は、れっきとした正真正銘の薬中だ。しかし、彼女は薬をやめたいと願っている。
薬を覚えた頃は、とても満足していて、一回の注射で抱えてた鬱憤が、全て綺麗サッパリ消え去っていく事に感動を覚えた。
正に、天国だと思った。しかし回数を重ねていくうちに、自分が薬に飲みこまれていく恐怖を、感じるようになった。
このままやめられなくなって、いつか自分という「意識」が無くなってしまったらどうしよう。自分はどうなってしまうのだろう。
不安が不安を、呼んだのだ。これで最後、これで最後。呪文のように言い聞かせた言葉も虚しく、友香は今日も薬を辞める事ができなかった。



軟膏を塗りながら、定まらない焦点を合わせていると、一人暮らしのアパートの、チャイムが鳴った。
反射的にドアをみやると、ドアが開き、黒髪の男が立っていた。
彼は、友香の高校の担任で、和馬という。
不良で薬中の友香を心配しているらしく、彼は友香のアパートに昨日こそ来なかったものの、ほぼ毎日、足を運ぶのだ。
母親のように、友香の世話を焼く和馬だが、友香にとっては口煩く言う和馬が鬱陶しかった。



「また来たのかよ」



「まーねー」



和馬は、アパートの中にドカドカ入り、友香の側に腰を下ろした。
そして友香のシャツのポケットに手を伸ばし、そこから覗いてた薬を手でつかみ、自分のポケットにしまった。



「何のつもり?」



「今日はお前から薬を奪いにきたんだよ」



「へぇ…面白い事言うね」



友香が笑った瞬間、和馬の頬を目掛けて、手の平を振り上げた。いつもの様にじゃれ合い、和馬が笑って受け流してくれる事を期待していた。
和馬は予期していたかのように、片手で友香の手の平を受け止め、もう片方の拳で友香にパンチを一発お見舞いした。



友香は殴られた頬を撫でながら、和馬を見た。



(・・・先生が、私を殴った・・・? )



和馬はスクリと立ち上がると、今度は足を振り上げ友香を蹴った。



「調子に乗ってんじゃねーよ。クソガキが」



何度も何度も繰り返される和馬の蹴りに、ここ何日か何も食べてない友香の身体には、強く食い込み過ぎた。
教師が生徒に暴行を働くという事実に驚愕しつつ、友香の意識は、ついに閉ざされてしまった。




***




目が覚めた友香は、身体を起こして部屋の辺りを見渡した。和馬はいない。どうやら帰ったようだ。
時計を見ると、気を失ってから一時間ほど経っていた。ふいに和馬から言われた言葉が頭をかすめる。


調子に乗ってんじゃねーよ。クソガキが。


むしゃくしゃする気持ちを抑えたくて、薬を打とうとしたけど和馬に没収されたから、もう薬がない。
仕方なしに、売人の所に行こうと思い、その辺に落ちてた携帯電話を取り、ボタンをいじる。
携帯を耳にあて、ツーコールで出た売人に、今から引きに行くとだけ告げて、立ち上がった。目眩がした。
ヨロヨロとしながら、何とか顔だけは洗って、部屋を出る。
黒のTシャツとスウェットという出で立ちだが、売人や通行人に対して着飾る気は毛頭ない。現在、夏休み真っ盛りの八月猛暑。
エアコンになれてしまった身体を引きずって、暑さでヨロヨロしながら売人の元に歩みを進める。
家を出て15分もかからないというのに、身体がダルくてしょうがない。足が頼りない。
歩いているうちに、ポキッてそのまま折れちゃうんじゃないかという妙な感覚に襲われながらも歩き、売人のいるマンションに着いた。
ドアの前に立ち、携帯を取り出して売人にワンギリすると、ドアの鍵が開く音がする。
それを確認してドアを開けて中に入ると、サーっと冷えた空気に迎えられる。ああ生き返る。でもまだ足りない。
ワンルームマンションであるから、玄関入ってすぐに、男がこちらを向いてソファーに座っているのが見える。にっこり。嫌な笑みだ。



「暑い中ごくろーさま、友香」



「ネタ(薬)頂戴」



一言そう呟いて、売人のシュンという男の前に、手を差し出す。その手を見て、シュンは細くなった目を更に細めて言う。



「やだなあ。挨拶くらいしようよ」



「ネタが切れてんだよね。さっさとイれたいんだけど」



「あ、そうなんだ。じゃあ丁度良かった」



そう言って、シュンは、自分のポケットから注射器を取り出して、友香の手に渡した。



いつも薬を受けとる時は、袋に入ってるものを受けとる。自分で量を調整しながら、注射器に薬を入れるのが普通だ。
いつもと勝手が違うソレに、友香は眉間にしわを寄せる。



「そんな顔しないでよ。新しいネタが入ったから友香に味見して貰いたくてさ。準備はしておいたから、打って感想教えてよ」



量の問題が気にはなったがさっさと薬が欲しい。
そう思い、注射器を受け取った瞬間、打ってあげるよ、と言ったシュンの言葉に、友香も頷いてみせた。
シュン自身は薬をやらないが、注射をするのが上手いのだ。
シュンの座っていたソファーのすぐ隣に腰を下ろし、注射器をシュンに渡してから、腕を差し出す。
それを見てシュンは、にっこりと微笑みながら、注射器を手に取るや否や腕に物凄いスピードで打ってみせた。
打ち終わった途端に、友香は物凄い目眩がした。友香は思わず顔をしかめる。どうやら、ハメられたらしい。



「駄目じゃん、友香。俺だからって信用したの?ソレ滅茶苦茶、薬の量多いよ。大丈夫?」



そう言いながらシュンは、注射器を床に放り投げる。



「…どう…いうつもり…」



友香は胸を抑えてむせながら、浅く腰かけたソファーの背もたれに倒れ込みそうになった。
力が抜けて心臓が高鳴り視界が白っぽくなり、ぐあんぐあんと世界がゆれる。



「はは。よっぽど効いたみたいだねー」



「どういう、つもり…」



呼吸を乱れさせながら、友香は懸命に問い掛けるが、頑張って意識を繋ぎ止めておかないと気を失いそうになる。



「俺さあ、実は友香と、一回ヤってみたかったんだよね。」



「っは…何を…?」



「うん。黙ってて。もういいから。後は俺に任せて」



シュンはそういうと、高杉の上に覆い被さって来た。しかし友香は抵抗はおろか、息が苦しくて呼吸すらままならない。
Tシャツをたくしあげるシュンの手。



「ははは。苦しそうだねー。いつもこんな風に素直ならいいのに。なんていうかさ。友香って人を馬鹿にしすぎじゃん?」



「・・・は?」



「友香に口煩くモノをいうヤツなんて、ぶっちゃけいないでしょ?」



友香はとっさに、和馬の顔が頭に浮かんだ。



「まあ俺は友香の事、ちょっと好きだからこんな事言うけどさ。もし他に口煩く言うヤツがいるとすれば、そいつも好きなんじゃない?」



シュンは、一端そこで言葉を切り、黒い笑みを浮かべながら、声を低くして言った。



「友香んちによく来る、先生とかさ」



友香は、はっとしてシュンの顔を見た。



「何でシュンが、和馬の事を知って…!」



「まあまあ、そんな驚かないでよ。あんまりびっくりすると身体に障るよ」



そう言ってシュンは、友香の心臓に手を当てた。ドクドクと、先程より激しくなっている。



「ちょっと友香の事、調べさせて貰っただけさ。別にその、和馬先生には何もしないよ」



「…嘘だ…。」



「何でそう思うの?」



「私は今までシュンの事を、それなりに信用してきた…なのにこの仕打ち…そんなシュンが、本当の事を言うと思う…?」



友香は、息絶え絶えに声を振り絞って、そう発した。シュンはやはり笑っている。



「ご名答。流石、友香だね。いや、誰でもわかるのかな。まあいいや。とにかくさ」



シュンは、一端言葉を区切ると、友香のスウェットから携帯電話を取り出し、カチカチいじり始めた。
そして、画面を高杉の顔の前に差し出す。そこには和馬のメモリーが表示されていた。



「何をするの…?」



「勿論、電話するんだよ。友香とヤってる所を、聞かせる為に」



意味が解らない。シュンは変態だったのか?友香は、一度はシュンの事を信用していると言ったが、解らなくなっていた。
シュンの裏的な部分の性質など、知る由もなかった。知りたくもなかった。



「勝手にすれば…どっちにしたって、和馬は私の為に、助けになんか来ない…」



先ほど和馬から受けた、暴行の風景が脳内に浮かんだ。



「知ってるよ」



「…え?」



「だってアイツ、昨日から旅行で他県に行ってて、今は家にいないし?」
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