捧げモノ(文)
□ある勇者と少女の物語
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「どうして……」
彼女は力無く呟いた。その声にはただ絶望と哀しみの色しかない。
「どうしてこんな事……」
ぼんやりと彼女が見つめる視線の先には一人の青年が立っていた。それは彼女が愛したたった一人の男性。
勇者と謳われた彼の象徴である磨き抜かれた鋭い両刃の剣。それは赤く、赤く、赤く……。
「どうしてっ……」
そう彼女が問うと、口の端を軽く吊り上げて、彼は笑った。彼女に近づくと、愛おしそうにその頬を撫でる。
「キミの為だよ。世界はキミを裏切った。そんな世界は俺が消してあげる。だから泣かないで?」
流れる涙を自身の親指で拭うと、彼女の額にキスをする。
額から伝わるいつもと変わらない彼の温かさに、彼女の瞳からはまた一粒、涙が零れ落ちた。
「あなたは言っていたじゃない。世界を救う為に剣を振るうんだって……なのになんでっ……」
彼女は周りに広がる景色を見る。赤が散らばる惨劇の跡が生々しく残るそれは、この出来事は夢じゃないと彼女に突き付けた。
「人々が幸せになれるように、世界を守って、救う為に剣を振るう……そんな綺麗な理由なんか、俺は最初から持ってはいなかった。キミが幸せであるならば、俺はそれでいいんだ」
「あなたは勇者になるべき人だったのに……っ!」
「泣かないで。悲しまないで。俺はキミの為だったらなんだってする。世界だって捨てられるから」
彼女は肩を震わせながら両手で顔を覆った。狂ったように瞳孔が開いた瞳の彼は、世界一壊れやすいものを扱うように、ゆっくりと彼女を抱きしめる。
「もうキミを傷つける人はいない。ほら、笑って?」
両手を取り払われ、上を向かされた彼女が見た彼の顔は、彼女が知る、いつもの優しい笑顔だった。
「好き、大好き……あなたの事、愛してるわ……」
「俺もだよ。今、俺はとても幸せだ」
微笑んで愛を囁き合う二人の姿は、この景色にあまりに不釣り合いで異様なものだったが、背徳的な美しさがあった。
「ねぇ、目を閉じて……」
「いきなりどうしたんだい?」
「いいからお願い」
彼は剣を地面に刺すと、微笑みながら目を閉じた。愛しい彼女の願いに、彼の心は幸せに満たされていく。
彼女はその表情を見て、涙を流した。そして、地面に刺さる彼の剣を抜くと、
「ごめんなさい……」
「え……」
それを彼の左胸に突き立てた。
「ど、して……」
愕然とした彼の表情。しかし、それはすぐに変わった。
「キミに刺さってるじゃないか。痛くないかい……?」
その言葉で、手が震える。彼の左胸と彼女の右胸を貫通する両刃の剣の柄を握る、彼女の白く小さな手が。
「ごめんなさい……ごめんなさいっ……」
「どうして……謝るんだい……キミは、何も、悪くない……」
段々と荒くなる息。寄り掛かってくる体。彼の温かな血が彼女の肩を濡らし、彼女の涙は彼の肩を濡らした。剣で繋がれたまま、彼をきつく抱きしめる。さらに深く互いに剣が刺さった。
「愛してる……心の底から。だから……もう、あなたには……」
楽になって欲しいの……。
その彼女の言葉は彼に届いたのだろうか。彼は膝をついて崩れるように倒れた。
「いたぞ! あいつだ!」
誰かの声が近づいてくる。彼女は刺さっている剣を引き抜いた。喉に込み上げる熱さ。口の中は鉄の味がする。それに構わず、彼女は大きく口を開いた。
「ふふっ……アハハハハッ!」
そして、先程の彼女からは想像できない狂気的な表情で笑い始める。
「全部私がやったのよ! 彼はみんなの勇者様じゃない、私だけの勇者、私だけの彼!」
「狂ったか、この魔女め! お前はもうただの罪人だ!」
「彼は私のもの! 私のものなのよ!」
高らかにそう言った後、彼女は右手に持つ剣に左手を沿え、自らの左胸を突き刺した。こうして、2人の時間は止まった──……。
神様、お願いです。
彼が犯した罪は全て私の罪、咎めるならどうか私を。彼から優しさを奪ったのは私なんです。彼は本当は誰よりも優しいんです。
だからどうか……どうか私に咎を与えてください。
彼女の願いは、神に届いたのだろうか?
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