今日も安芸は平和です。

□さん
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スパーンと襖が開く音が聞こえた気がして目が覚めてしまった。いつもと違う寝具、見慣れない部屋。ああ、そうだ。私、昨日から元就さんのところに来て…。少しまた寂しくなったことを払拭するように、うつ伏せになってぐっと目を瞑った。


しかし、酷い目覚め方だった。どうやら昨日の元就さんの行動は私にとって相当なトラウマになってしまったようだ。これからいつもこんなふうに目が覚めるのだろうか。そんなのは嫌だ。


まだ薄暗いので、多分まだ寝ていて大丈夫だろう。さ、寝よう寝よう。それでさっきのこと忘れよう。


3秒くらいで思考を完結させて再び布団を被ると、すぐ側でミシリと畳が軋む音が聞こえた。…え、待て待て。何だこの悪寒。何だこの嫌な予感。




「…おい」




聞き覚えのある冷ややかな声がした。"心臓が握り潰される"という比喩の意味が今やっとわかった気がする。


と同時に、腰のあたりにものすごい圧力を感じた。




「ぐえっ…!?重っ…苦し…!」


「いつまで寝ている」


「すみませ…!」




慌ててのけぞって後ろを見ると、寝間着の上から羽織を着た元就さんが見えた。どうやら彼の片足が布団の上から私をぐりぐりと踏みつけているらしい。私を見下ろすその目のなんと冷たいこと。ちょっとは優しい一面もあるのかとか言ってた昨日の自分を撲殺したいと思った。だが今はそれはおいといて、とにかく弁解だ、鈴!勇気を出せ!うん!




「あの、まだ日も昇ってませんし…元就さんお目覚めにはなっていらっしゃらないと…うぐっ!」


「日が昇ってから起きる阿呆が何処にいる」




いやいや、昔の人とはいえ早すぎだろお前。貴方は不眠症の老人か。つか足どけてください。地味に苦しいです。私はドMではない。




「日の出の瞬間を拝めぬであろうが」


「……」




そっか、この人相当な日輪信仰者なんだっけ。そのせいで叩き起こされるとは。なんというデジャビュ。


桂さん、ちゃんと昨日のうちに元就さんが早起きなこと教えておいてほしかったです。




「行くぞ」




私とのスキンシップ(おかしいな、こう言うと私変態みたいだ)の時間を終えた元就さんは、さっさと私の部屋から出て行こうとする。なんという人。主従とはいえ、寝起きの女子の部屋にドスドス入ってきて人を踏んでおきながら謝罪もなしか。ちょっと放心状態の浅草鈴です。


すると、私が着いて来ないことを不思議に思ったのか、元就さんは振り返り、そして私の顔をちらりと見遣ると静かにこう言った。




「…貴様は小姓。女ではあらぬ」




読心術かよ。恐ろしいこの人。私、そんなにむくれていたんだろうか。








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長かった「おお…日輪よ…」タイムを終えた私は、ぐったりする暇もなく次の仕事を始めなければならないらしい。


視界に黒くて丸い残像がちらつく。「よく毎日こんなこと出来ますね」と言ったら、「貴様、まさかとは思うがずっと見つめているつもりか」と驚かれたことは忘れようと思う。え、と思って視線を向けた先にあった、瞼を閉じた我が主様の端正な横顔も、それに自分が一瞬見とれてしまったことも、忘れようと思う。なんかムカつくから。


身支度を整え(意外にも袴は着付けが簡単で一人でも着れた)、洗顔時に手拭いをお渡ししたり何なりをする。それが終わったら、すぐさま詰所とかいう所で朝ご飯を掻き込む。素朴な味付けのおかげで、早朝でも割と食べられるのが嬉しい。女中さんたちありがとう!


それから、すぐに元就さんの部屋に向かう。…はずだったのだが。




「迷った…」




すでに1回観光で来ているというのに。私の方向音痴さにはもう呆れるしかない。


そういえば昨日厳島神社を観光した時とは造りというか部屋割りみたいなものがちょっと違うみたいだった。まあ、こんな所に毛利さんが住んでいる時点でおかしいので、もうあまり気にしてはいけないと自分に言い聞かせる。


とにかくここは何処だ。やばい、早く元就さんとこで雑用やんなきゃいけないのに。道を聞こうにも人居ないし。でもそこらへんの部屋に入って道を尋ねられるほど私は勇者ではない。ああ本当にどうしよう。


私が一人おろおろしていると、後ろから柔らかい女性の声がした。




「如何なされましたの?」




びっくりして振り返ると、4、50代の優しそうな女の人が微笑みを浮かべて立っていた。打ち掛け的なものをひこずらせて羽織っているところを見ると、多分身分の高い人だろう。これは更にやばい。




「しっしし失礼しました…!新入りなもので道に迷ってしまい…」


「あら、では貴方が新しい松寿殿のお小姓さん?」


「…しょうじゅ…?」




しょうじゅって誰だ。多分偉い人だが。…うわ、呼び捨てにしちゃったよ。どうしよう更にやばい。


でも、打ち掛けの女性は私を叱ることなく、逆に笑顔を浮かべて見せた。なんかすごい威厳みたいなものを感じる。




「ふふ、本当に新入りさんなのですね」


「申し訳ありません!」


「私がお連れします、何処に行けばいいのかしら」


「元就さ……まのお部屋に…」




元就さん、と言いかけて止まる。うおぉ、セーフセーフ。でも、本当にいいのだろうか。不安に思って顔色を伺うと、「お気になさらず」と微笑まれた。桂さんと言いこの方と言い、どうやら毛利軍にはお人好しが多いらしい。クールを通り越して冷徹な元就さんに仕える私にはありがたい話だ。




「そういえばまだ名乗っていませんでしたね。私は杉と申します、お見知り置きを」


「あ、はい!私は浅草鈴です、よろしくお願いいたします」


「では参りましょうか」


「すみません…ありがとうございます!」




そのまま私はお杉の方様に付いていくことにした。申し訳ないが、すごくありがたい。お杉の方様は女神だ。








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