今日も安芸は平和です。

□いち
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「…鈴ー…」


「…なにー」


「…鳥居、でかいねー…」


「…そだねー…こうやって遠くから見ても綺麗だよねー…」


「……カヌー、楽しいねー…」


「…そだねー、修学旅行の醍醐味はやっぱりハプニングだよねー…」


「……あーもうやっぱり食べ歩きにしときゃ良かっ」


「言うなし」




何十回と繰り返した話題を懲りもせずにまた持ちかけてきた親友・千尋をじとりと睨んで、私はまたカヌーを漕ぐという単調で面白みの欠片もない作業に徹することにした。


まず、今の状況を簡単に説明しよう。


私達二人は今、漂流しています。


だいたい、修学旅行で広島に来ること自体がありえない。原爆ドームと厳島神社ぐらいしか見るとこないなんて地味すぎる。中学生か。しかもその修学旅行での貴重な自由行動の時間を使って、あろうことか、昨日すでに観光したはずの厳島神社に行ってカヌーで大鳥居をくぐろうと言い出した千尋の精神がありえない。さらに言うと、そのカヌーツアーのパンフレットを見せられて興奮しきっていた40分前の自分もありえない。そして、あんなに浅いとこにいたはずなのにいつの間にか沖の方まで流されている私達の方向感覚の無さもありえない。でも一番ありえないのは、「大丈夫ですよ、流されないようにちゃんと見てますから」と爽やかな笑顔で笑いかけてくれたインストラクターのオニイサンだと思う。あまりのカヌー客の多さに私達見捨てたよね。貴方のおかげで私達は只今絶賛漂流中です。鳥居くぐるだけのはずがどうして。




「…とにかく漕ごっか、千尋」


「鈴ー、マイ腕力が崩御だよ」


漕がないだけならまだ良いんだよ、千尋。あんたがずっとオール立ててるせいでさっきから漕いでも漕いでもこの舟回転しかしてないって知ってるのかな。つか崩御とかお前の腕は皇族か。


…とツッコみたかったが、もうその元気もなくなってきた。




「…鈴ー」


「…何ー」


「…救助、来るのかな…ハハハ」


「砂漠で遭難した時は、鏡で太陽の光を反射させて自分がいるよって知らせるらしいよ」


「それ砂漠での話だよね鈴。海とか何処でも光反射してキラッキラじゃん」


「…だよねー」




千尋の死んだ目を見たらもう何も言えなかった。彼女のテンションの低さが恐ろしい。


つか救助きたらそのままその船に乗っけてもらえるんだろうけど、そしたら大鳥居くぐれないじゃんか。ほんと何しに来た私達。…でも救助が来なくて野垂れ死になんて嫌だな。あ、野じゃなくて海か?


そんなことを考えながら、すっかりやる気を無くした私達がぽーっとしていると、陸の方から漁船が近づいて来るのが見えた。…え、漁船?もしや救助!?




「!!千尋、やったよアレ見て!」




私はまた興奮のせいでヘマを犯しました。しかも今日のなかで一番ありえないヘマを。




「バッ…鈴、いきなり立ったら」




そう、立ち上がりました。あろうことか、カヌーの上で。


そんなことをすればバランスが崩れるのも当然で。




「え」


「危な」




…いだろコンニャローって千尋は言いたかったんだろうけど、それを彼女が言い終わる前に私達は瀬戸内海に放り出されました。


ヤバいヤバいヤバいヤバいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。


この時、私は恐ろしいことを思い出した。




「ごぷっ…!ぷはっ」




ズバリ私浅草鈴、根っからのカナヅチです。


…え、思い出すのが遅いって?そんなの海という恐怖から逃れるために40分前に忘れ去ったんだからしょうがない。


バタバタともがいてみるが息が上手くできない。おかしい、救命胴衣つけてたはずなのに体が沈んでいく。水を吸って重くなった服のせいで体が動かない。息が苦しい。


やだよ修学旅行の真っ最中に救助を目前にして興奮してカヌーの上で立ち上がって海に落ちて溺れて死ぬなんて。なにがなんでも馬鹿すぎる。まだやりたいこともあるし。若すぎるし。海で水死とか苦しいだけだし。しょっぱいし。遺体見つからないかもしれないし。…考えれば考えるほど悪い考えばかり浮かんでくる。とにかく、死にたくない。やばい。




「…ぼはっ、助け…」


「大丈夫鈴!?今助けるからね!!」




あんなにダルそうでやる気のなかった千尋が凄いスピードでこっちへ泳いで来ている。ありがとう千尋。あんたいい奴だったんだね。ありえないとか思ってごめんね。




「ごぷぁっ」




とにかく息を吸おうとしたら鼻と口から塩水が大量に流れ込んできた。痛い痛い鼻超痛い。苦しいそして苦しい。何故か目の前にライフジャケットが浮かんでいるのが一瞬見えた。


…そうか、だから体が浮かばないのか。


そう思った時にはもう、水面が遥か遠くにあって。空気を失った体は黒く広がる闇の中に落ちていく。


家族の皆さん、学校の皆さん、ごめんなさい。そして千尋、本当にごめんね。私、水死するみたいです。




「…鈴ー…!」




薄れ行く意識の中で、友が私を呼ぶ声が聞こえた気がした。








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