おはなし

□小料理ゆず
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<小料理ゆず>




「いらっしゃい」



暖簾をくぐり、硝子張りの格子戸を引き開けると女将が笑顔で迎えてくれる。

三坪ほどの小さな店には、カウンター席と2人掛けの席が3席あるだけ。

アットホームな雰囲気が、ついこの店に立ち寄らせてしまう原因の1つだろう

いつ来ても狭い店は満員で"そっち詰めろもっと寄れ"と大変な賑わいだ。



「今日もお疲れ様でした」



席に着くと、おしぼりとお通し、そして必ず掛けて貰えるこの一言。

この女将の一言が疲れた心と体を癒してくれるのも、ここに通う理由の1つ。

女将の料理は絶品で、何を食べてもはずしたことがない。

それも理由の内だが、笑顔、仕草、気遣い、料理の腕前。

女将に会いに通うというのが一番の理由だろう。



「今日は少し冷えますからね、燗をつけましょうか?」



こんな気遣いがまた憎い、本当に男にしておくには惜しい女将だ。

あぁそうそう、ここの女将。

女将なんて呼んではいるが、れっきとした男。

見目が女らしいから女将という訳ではなく、そこら辺の男よりも余程男らしい男だ。

すらりとした長身、がっしりとした肩幅、女将を女と見間違える人間はいないだろう。

なら何故女将なのか、それは……。



「ゆずる、オレにも燗つけて」



女将の名前を呼び捨てにして、燗を強請るこの男は客ではない。

カウンターの一番奥、いつ来ても必ずその席を陣取っているが、この店の出資者である。

名前は通称"ヒノエ"。

藤原なんたらとかという立派な名前をもってはいるが、皆にそう呼ばせる

自称女将の亭主だと言い張るこの男の存在が、女将と呼ばせる原因なのだ。



「それくらい自分でやれよ」

「ケチ」

「ケチじゃないだろ?手伝う気がないならそれくらいは自分でやれ」

「へーへー」



男はしぶしぶと席を立ち、カウンターの中へ廻って徳利にだばだばと酒を注ぐ。

大雑把なのかいい加減なのか、注いだ酒が徳利の口から溢れ出て

高い酒が勿体無い、と女将に頭を叩かれている。

だったらアンタがやればいいだろ。その前にお前はもう呑むな。

こんな言い争いばかりの2人だが、これでも立派な恋仲同士。

そうじゃなければ亭主だなんだという訳もないが、これではまるで喧嘩友達の延長。

酸いも甘いもあったもんじゃない。

それでもカウンター内でぎゃあぎゃあ騒ぐ姿は、夫婦漫才をしているように見えなくもない。

いつの頃からかゆずるは女将と、ヒノエは大将と呼ばれるようになっていた。



「女将ー、今日のお勧め料理はなんだい?」

「もう…その女将って言うのやめてくださいよ」

「クス…しかたないじゃん、他に呼びようもないだろ?」

「うるさいっ!ヒノエは黙ってろ!!」

「へーへー」



小鉢にお勧めの料理を綺麗に盛り付けながら、横で茶化すヒノエを殴りつけ

客の前に先ほどつけた燗と、料理を盛り付けた小鉢を差し出す。

なんだかんだと言いながらも、客に酌をした後でヒノエの猪口にも酒を注いでやる辺り

ゆずるのヒノエへの想いが窺い知れないこともない。



「大将が女将に惚れるってのはわかるけど、女将は大将のどこに惚れたんだい?」

「惚れるって…」



客の1人が、2人の仲に中てられついでとばかりに問い掛ける。

もちろんゆずるがまともに答える訳はないが、焦るゆずるを見るのは面白い。

何かの拍子に本音を漏らして貰えれば、それはそれで儲けものだ。

焦って菜箸を落とすゆずるを横目に、ヒノエはにやにやと笑いながら傍観を決め込んだ。



「…こいつ馬鹿なんで、放って置けなかったとか…」

「それだけ?」

「ええ」

「ホントに?」

「ああもう、勘弁してください」



ゆずるの出した答えは全く可愛くないが、照れる姿はなかなかに可愛い。

ヒノエは満足げに席を立ち、ゆずるの後に廻って背中に抱きついた。

ゆずるは"こんな所で何すんだ!"なんて怒っているけど聞こえないふり。

ゆずるの肩口から顔を覗かせて、客に向かってにっこりと微笑んだ。



「そういうのは、オレだけが聞かせてもらえば良いもんだからね。

これ以上は聞かせてあげないよ。」

「ばっ!お前にだって言うもんか!」

「くす…ほら、他にも惚れた理由はあるんだろ?」

「うっ…」



駅から離れた住宅街に、ひっそりと佇む『小料理ゆず』

気立てのいい女将と美味しい料理が自慢。

中てられる覚悟があるなら、あなたも一度暖簾をくぐってみませんか?



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07'4'19(ふうか)


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