おくりもの

□優しい味。
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<優しい味。>




日差しを遮る物がない、見渡す限りに開けた土地。

燦々と降り注ぐ陽光は、否応なしに体力を奪っていく。

目の前が暗くなり、自分の足が地に着いているのかさえわからなくて。

油断をしたつもりはなかったんだ。

ただ揺れる大地に恐怖して、しゃがみ込んだら立ちあがることが出来なかった。



「譲ーーー!!!」



目を開けているはずなのに、瞳は何も映さない…。

ただ暗闇を映すだけの瞳に困惑して目を閉じれば、俺の名前を呼ぶ声だけが耳に届いた。

続いて感じる右肩への重い衝撃、どんどんその場所が熱くなっていく。

焼けるような熱さと、自分の物とは思えないほどの腕の重さ。

意識を手放してしまいたいのに、それは叶う事がなく

閉じた瞼を開くと、俺の前で怨霊に切りかかる九郎さんが見えた。



「馬鹿野郎っ!何をぼさっとしていたんだ!!」

「すみません…」

「戦場で気を抜くような奴は足手まといだ!

お前はもう、暫く戦には来なくていい!!」



戸板で運ばれた味方の陣営の中、九郎さんの怒鳴り声が響いている。

簡単に手当てをされた右肩は、どうやら怨霊に切り付けられたらしい。

全身の血がその場所に集中していくように、そこだけが相変わらず焼かれたように熱くて

反対に体中からは血の気が失せていくのか、寒さを感じる程に熱が下がっていく。

蒼白な顔色をして俺を怒鳴りつける九郎さんは、どれほどの心配をしてくれたんだろう。

俺には返す言葉も、向ける顔もない。

うな垂れたまま謝る事しかできずに、離れていく九郎さんの後姿を見送った。



「譲君、大丈夫ですか?」

「…弁慶さん…」

「ああ、駄目ですよ起き上がっては」

「すみません…」



手当てをしてくれている弁慶さんが、心配そうに俺のことを覗き込んで。

体を起こそうとした俺を、やんわりと止めてくれる。

額に置かれた手拭いが、ひんやりとして気持ちいい。

体はこんなに寒いのに不思議だな…。



「熱が上がってきたようですね」

「熱…?」

「ええ、怪我のせいもありますが…ずっと調子が悪かったのではありませんか?」



確かにずっと調子は悪かった。

慣れない京の暑さに、いつもの不眠に拍車がかかって…。

最近では食事もとれていなかった。

だけど、ただの夏バテだと思っていたし。

皆が同じ条件の中で戦っているのに、俺だけ弱音を吐くなんて出来なかった。



「まあ…気付けなかった僕も悪いのですが…」

「それはっ」

「ええ、君が言ってくれなかったのは寂しいですね」

「…すみません…」



笑っているのに、怒っている顔。

この人も、こんなにも心配してくれている。

きっとこの人だけじゃない…皆が心配してくれているだろう。

情けない俺…1人で何も出来ないどころか、迷惑ばかり掛けている。



「反省するのはいいことですが、まずは体を直しましょう」

「………」

「今の君には十分な休養と睡眠、それと栄養を取る事が一番ですからね。

こんな場所では栄養のあるものは望めませんが…とにかく休んでください」

「……はい」



額の手拭いを目の上にずらされて、目を瞑るように促される。

熱くなってきていた目頭が冷やされて、高ぶっていた緊張が解された。

熱のせいなのかも知れない、今なら少し眠れそうな気がして目を深く閉じる。

何よりも、これ以上迷惑を掛けたくなかった。

言われたとおりに眠る事が、今の俺にできる唯一の事だから。



「ああ譲君、九郎の事は許してやってくださいね。

あれでも君のことを心配して、さっきまで震えていたんですよ」



弁慶さんの顔を見ることは出来なかったけど、きっと優しく微笑んでいる。

そんな気がした。

大丈夫…ちゃんとわかっているから。

九郎さんも、弁慶さんも…皆、とても優しい人ばかりだと。





+++





「ん……ッ」



目を閉じていても感じる眩しさ。

野営はもう慣れたと思っていても、野宿なんてこの世界に来て初めて体験しただけに

屋根のない陣では、空が白んでくれば自然と目が覚めてしまう。

それにしても眩しくて、どれくらい寝ていたのかと体を起こそうとした。

右肩の痛みに力が入らずに、結局体を起こす事は叶わなかったけど。



「目が覚めましたか?」

「はい……弁慶さん、ずっとここに?」

「ええ、でも大丈夫ですよ。ちゃんと隣で休みましたから」

「ありがとう…ございます」

「いいえ、それよりも体の調子はどうですか?」

「…眠れたせいでしょうか、スッキリしています」

「それはよかった…でも、代わりに肩が痛むでしょう?」

「……そう、ですね」



弁慶さんの言うとおり、昨夜は熱いだけだった右肩が酷く痛む。

包帯を換えるからと、横向きに寝かされて。

気付かなかったけど、大分汗をかいたみたいだ。

衣を剥がれると、露にされた肌がわずかな風に晒されて心地いい。



「熱は下がったようですね」

「はい」

「ふふ、傷の方も大したことはないようです」

「心配をかけてしまって…すみませんでした」

「それは、九郎に言ってあげてください」



言葉と同時に、何かに気付いたように振り返る弁慶さんの目線の先に

九郎さんが、居辛そうにしながら立っていた。



「九郎さんっ…ッ!」

「馬鹿、動く奴があるか!お前は怪我をしているんだぞ」



九郎さんが来てくれた事が嬉しくて、つい起き上がろうとして肩に激痛が走る。

そんな俺を見て九郎さんはまた怒ったけど、それでも昨日ほどの激しさはない。

慌てて俺に近寄って、手にしていた何かを持ったまま俺を支えてくれる。



「すみません…」

「礼などいい…早くよくなってくれ。全くお前はどれだけ俺に心配を…」

「九郎、君は人のことを言えませんよ。

譲君、九郎は君をかばって腕に怪我を負っているんですよ」

「馬鹿っ、それは譲に言うなと言ったろう!」



支えてくれている九郎さんの腕を掴んで、袖を捲り上げると

薄っすらと血が滲んだ、包帯が巻かれていた。

九郎さんはそれを慌てて隠し、赤くなってそっぽを向いてしまう。

俺のせいで九郎さんが怪我を…。



「…九郎さん…ごめんなさい…」

「気にするな、こんな傷大したことはない」

「ふふ、九郎は自分が怪我をしていることにも気付きませんでしたからね」

「うるさい、弁慶は黙ってろ!」

「はいはい、では僕は少しさがりますね。何かあったら呼んでください」

「弁慶、譲のこと…感謝する」



弁慶さんが去って、少しの間沈黙が続く。

近くを流れる川のせせらぎ、懸命に泣き続ける蝉の声。

時折鳥が飛び立って、木を揺らし音を立てる。

何かを話しかけたいのに、上手い言葉が見当たらない。

何を言っても、九郎さんが望まない謝罪の言葉になってしまいそうで。



「…それは…?」



九郎さんの膝の上に置かれた、大きな葉に包まれた物が視界に入る。

そういえば、九郎さんがここに来た時からずっと持っていたっけ。

微かに焦げ臭いそれが気になって、指を差して尋ねてみた。



「こ、これはっ…弁慶が…譲の症状にいいとっ」

「俺の…?中はなんですか?」

「いやっ!お前に食わせようと思ったんだが、失敗してな…

これはその…やっぱり捨てようかと思って」

「見せてください」

「…譲…」

「俺、見たいです」



九郎さんが恥ずかしそうに包みを開けると、真っ黒に焦げた

墨の塊のような物が出てきた。

形から推測すると、それは生前魚と呼ばれていたものだろう。



「これ…九郎さんが捕って?」

「ああ、俺が焼いた」



心の中がほんわりとして、何かが急にこみ上げてくる。

源氏の大将である九郎さんが、人目も気にしないで川に入り魚を捕って。

どんなことをしたらこんなに焦げてしまうのかは理解できないけど…。

俺のことを思いながら必死で焼いてくれたんだろう。

きっと弁慶さんに俺の事を聞いて、それこそ懸命になって…。



「九郎さん、食べさせてくれませんか?」

「馬鹿!こんなものを食べたら体を壊すぞ」

「食べたいんです、手が動けば自分で食べるんですけど」

「なら、他に何か用意させよう」

「…それがいいんです」



身をほじくり返して、ようやく見つけた白い部分を口に入れてくれる。

それでも驚くほど焦げ臭くて、とても苦かったけど、優しい優しい味がした。

きっとこれ以上に美味しい物は、今後食べる事はないだろうと思う。



「九郎さんありがとうございます。俺、すぐに元気になりますから」

「ああ、そうしてくれ。もうあんな思いはごめんだからな」



甘えるように擦り寄ると、お互いの傷同士がぶつかって

しかめた顔を見合わせて…。

高い空に吸い込まれたのは、2人分の笑い声。


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