本編
□閑話A
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それを聞いても、この胸の不明瞭なわだかまりは当然消えず腑に落ちない。
咄嗟に取り繕って意味もない質問をしたが、そもそも何故自分は夢で聞いた名前などを口にしてしまったのだろう?
嘉帆の複雑な心境を読み取った紅雄も、眉をしかめる。
弱くて脆いと思い込んでいた少女の真の強さに触れた彼は、嘉帆に対する恋情を更に強めていた。
力になりたいが嘉帆が苦しむ原因が分からない。
本人にも、分かっていないのだから。
××××
黒塗りの車の後部座席に嘉帆が乗り込むと、運転席にはいつも通りの人物がいた。
「ありがとうございます、滝村さん」
返事は無い。
無愛想な態度にもう慣れた嘉帆は気にせず、シートベルトを締めた。
どういう訳か、滝村聡明はあれからずっと芳香の送迎を担っている。
特別公務員全体の意向ではない。
いつか購買でばったり会ったみづ梨が「あたしと嘉帆ちゃんの二人っきりの時間取られたー!」と、嘆いていたのを思い出す。あんな唐変木に任せらんない!と。
だが。
「災難だったな」
既に今回の騒動は把握済みらしい。
聡明は基本的に無口だが、何を思ってかたまに、こんなふうに一方的に話し掛けて来る事もあった。
主に嘉帆の身を案ずる内容が多いのは、自惚れだろうか。
彼との付き合いはまだ短いけど、極自然に会話は行えた。
「迷惑をおかけしてごめんなさい」
「そうでもない」
一言返したきり、また黙る。
そのまま無言でエンジンをかけ、車を発進させた。
今までと同じパターンなら、家に着くまで彼は運転に集中し、口を開かないだろう。
移動中に宿題でもするかと鞄を手繰り寄せようとした手が空振り、嘉帆は鞄が教室に置きっぱなしである事に気が付く。
忘れてた。と一瞬焦るが、教室の掲示板に記されていた今日の宿題の内容を思い出し、それなら家にある教材でどうにかなると安心した。
ホッと息を吐く。
――ころころと変わる少女の表情を聡明はバックミラー越しに密かに眺めていた。
百面相をした後落ち着いたのか、柔らかそうな髪を耳にかけながら嘉帆は外の景色を見つめている。
目元に一房だけ垂れ下がった髪。伏せられた睫毛。少し湿った唇。少女特有の危うげな色気を纏った、まだあどけなさの残る顔。
普段は何の温度も感じない彼のサングラスの奥の双眸は、その時確かに熱がこもっていた。
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