本編

□閑話
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彼は特別公務員の副長――二番目に偉い人物なのだと、みづ梨が教えてくれた。

「……滝村 聡明(たきむら そうめい)だ」

「お兄さん」と呼ばれるのが気に食わないのか、運転席から地を這うような低い声がそう告げた。

彼の名前だろう。

賢くて強そうな名前だな。と、嘉帆は思った。

「……小野田嘉帆です」

「知っている」

「滝村さん、」

「何だ」

「よろしくお願いします」

「……早く乗れ」

昨日はほとんど会話もなく、機械的に業務をこなしていた滝村聡明だったが、今日の彼は自己紹介をするあたり少し人間味が感じられる。

みづ梨が来る予定だったのに何故また彼が迎えに来たのかは嘉帆が首を突っ込んではいけない特別公務員の内部事情だと思い、あえて訊こうとは思わなかった。

気にはなるけれど、嘉帆が知る必要があるのならばいずれ話題に及ぶだろう。

……乗り込んだ車内はやはり無音だった。

けれど、家の中にいる時と違って、心地好い無音だと思った。

聡明の纏う空気は、それ程嘉帆にとって安心出来る種類のものだった。

本人は無口で無愛想な人物らしいのだが、雰囲気が紅雄に似ているからだろうか。

嘉帆は、聡明を透かしたその向こう側で紅雄の姿を追っていた。

謀らずとも滝村聡明は、紅雄が嘉帆の中で大きくなりつつある事実をはっきりと嘉帆に自覚させた。

自分はただ紅雄に芳香の血を捧げるためだけの存在だったのに。紅雄に対して友愛や親しみを覚えている。

はっきり言って、許されない感情なのだろう。
恭太郎が妖怪を不愉快に思っていても、それは政府全体の意向ではない。だが、昨夜のみづ梨の様子から察するに、特別公務員全体がそれに近い状態である可能性はやはり高い。

芳香が特別公務員(彼ら)の手中にいる限り、紅雄から求められても自分から彼に何かを求める事など出来ない関係なのかもしれない。

でも、嘉帆個人は“友達”としてもっと関係を発展させたいとはっきり望んでいた。

報われないであろう事は分かっているのだ。

静かなエンジン音に耳を傾けながら窓の外を眺め、車の振動に知らず知らずの内にうつらうつらとしていると。

「おい」

と、運転席から声がした。一瞬咳ばらいかとも思ったが明らかに違う。

まさか聡明から話し掛けられるとは思ってなかった嘉帆は眠気もいずこかへ吹っ飛び、ポカンと固まってしまう。

聡明は返答が無い事など意に介さず、更に続けた。

「悩み事か」

素っ気ない低い声だ。

呆然として返答の無い嘉帆をどう思ったのか、暫く間を置いて続けた。

「言いたくなければいい」

……遠回しな発言だが、「悩み事を聞いてやる」と言っているのだろうか。

彼の方から提案してくるなんて、正に予想外だった。

「……迷惑じゃ、ないですか?」

「仕事の内だ」

「仕事?」

「芳香の精神管理」

「……」

「だが、必要以上の干渉をするつもりは無い」

お互いが最低限の言葉しか発していないにも関わらず、意思の疎通が成り立っているのが端から見れば奇妙な光景に違いないが、無論車内には小野田嘉帆と滝村聡明の二人しかいない。

彼が声をかけずにはいられない程に、嘉帆は深刻な顔をしていたのだろうか。

『悩み事』と、一括りにされても、該当するものが多すぎる。

真意の読めない彼の発言を頭の中で反芻し、咀嚼して考えた結果。

「たいした事じゃ無いんで……大丈夫、です」

やんわりと断った。

彼も特別公務員――しかもそのNO2となれば、迂闊な発言は出来ない。紅雄の警告も一理あった。

聡明から反応はなかった。

会話が終了したと思った嘉帆は再び、後ろに流れる景色を見つめた。

聡明が壊れそうな程にきつくハンドルを握り締めている事など、嘉帆は知るよしもなかった。

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