Short story

□0915 Virgo birthday
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ピアノが、音楽が
存在を示すためだけの道具で、
その道具ではそれを愛し、楽しむ者を
超えること出来なかった。

音楽がなければ家族に、みんなに
僕という存在が認めてもらえないのに
その音楽さえ出来ないなら
僕は、この世にいないも
同然じゃないですか…


まだ陽射しも強い秋の日、
今日も僕は1人音楽室で
ピアノを弾いていた。
今日はいつもに増して調子がでなくて
毎回同じところで間違える。

「はぁ……」


ひとつため息をついた時だった。
突然窓が開いて、
ふわっとした風と共に女性の声がした。

『青空君スランプ?』

彼女はたしか…
斎藤司さんでしたっけ。

「はい、今日はいつもに増して
調子がでないんです」
『そっか…ねぇ、私と一緒に
連弾してみない?』

その時、笑顔の彼女を見て
僕の頬が熱くなるのを感じた。

『ちょっと待ってて、
今そっち行くから』

彼女はあろうことか
窓をまたいで音楽室に入ってきた。
あわてて手を貸すと『ありがとう』と
本当に柔らかく笑った。

無事に中に入ってスカートの裾を
直すと、音楽室の隅にある本棚から
一冊の楽譜を出した。

『あった、あった。この曲!
“スピカ”って曲なんだけど
知ってる?』

知らない曲だった。
そもそも連弾さえ
したことがなかったから
連弾用の楽譜なんて
知らなくてよかった。

『すごく綺麗な曲なんだよ!
あ、そうだ、自己紹介するね。
斎藤司、宇宙科2年生。
よろしくね!』
「はい、月子さんや翼君に
よく話しを聞いています。
神話科の青空颯斗です。
よろしくお願いします」
『じゃあ早速弾かない?
青空君初見かもしれないけど
なんとかなるでしょ』
「ええ、頑張ります」

僕達は1台のピアノに向かって
並んで座った。
連弾とはいえ、自然と近くなる距離に
温かみを覚えた。

『じゃあいくよ、1、2、3…』

彼女の掛け声で紡ぎはじめた音楽は、
金輪際味わったことのない
響きとなって僕の胸にスッと
染み込んでいった。

彼女とは初めて話した。
これまで、月子さんや翼君に
話は聞いてはいたけど
まさか初対面で連弾するとは
微塵も思ってなかった。
そして彼女にはあっという間に
打ち解けられる空気のようなものを
持っているのかもしれない。

演奏が終わって、

「楽しかったです」

僕は素直な感想を言った。
本当に楽しかった。

『ホント!?よかった〜。
私も楽しかった。
青空君の演奏となりで聞けて
嬉しかったしね』
「僕の練習の音聞いてたんですか?」

驚いた…
誰も聞いてないと思ってたのに…

『うん!素敵な演奏するなぁって
思ってた。でもさっきのは
初めて青空君が音楽を楽しんでる
演奏だと思った』

彼女はカンが鋭いというか
何というか…

『ね、さっき練習してた曲聞かせて!』
「はい」

自然に自分から笑みがこぼれた。
偽りじゃない本物の。


彼女に心を込めて弾いた曲は
つっかえる事なく、
最後まで気持ち良く弾ききれた。

その後もしばらく2人で
“音楽”を楽しんだ。

「今日はありがとうございました」

寮へ向かう帰り道、
満天の星空の下で彼女にお礼を言った。

『こちらこそありがとう!
あ、そうそう、今日の曲さ、
なんで“スピカ”にしたか分かる?』
「?」
『青空君、お誕生日おめでとう!
今日誕生日だよね!
乙女座だから“スピカ”に
したんだよ。
月子ちゃんに聞いたんだ〜』

目の前が霞んだ。

「ありがとう…ございます…」

嬉しくて涙が止まらない…

彼女はそっと背中をさすってくれた。

「そうだ…先生から沢山紅茶を
いただいたんです……
よかったら近いうちに一緒に
お茶しませんか?」
『うん!いいよ!』
「また…一緒に……
連弾してくれませんか?」
『もちろん!』


彼女の笑顔につられて
僕も笑った。

自然に、
柔らかく…


ほら、やっと
“僕”が生まれた。
“青空颯斗”になれた本当の日。


僕の大切な誕生日。


end

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