栄光

□空色クラシック
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体温を彼が嫌うには理由があった。


温もりとそれを宿す人間の内面の冷たさの矛盾が一番大きなそれである。



五月の終わり、突然の雨に瑞希は動揺することもなく下駄箱の靴に手をかけた。開きっぱなしの入口から雨の音と濡れた地面のしっけた匂いがする。


「クケー」


肩に乗っていた友人が彼に話し掛けるように優しく鳴いて、瑞希はうんと一回頷いた。


「濡れても……いい」


もう少し待ったら誰かが傘に入れてくれるかもしれない。トゲーが言ったのはそんな意味だったらしいが彼は濡れることを始めから覚悟していた。


瑞希はなんの躊躇いもなく曇天の下に滑り出る。細かい糸のように一粒では頼りない雨も、自分が家に帰るまで浴び続ければ冷たく肌を冷やすだろう。彼はそれを嫌がる所か楽しみにしていた。


トゲーを掌で包み、保護しながら歩くこと三分。雨は瑞希のテリトリー分だけの面積限定で突然止んだ。


「………………?」


見上げれば青空。


「瑞希君」


爪先立ちで傘を差しているのは担任だった。彼女の傘は透き通る青で、それを通してみた曇り空はまるで晴れているよう。


ビニール一枚介しただけで彼は特別な空間にさ迷い出てしまった。


「先、生……」


なんでここに、と呟く瑞希に悠里はうふふと笑って「一緒に帰りましょう」と言った。お気に入りなんだろう、よく着ているスーツは雨に濡れていつもより暗く見える。なのに彼女の笑顔は今まで見たどの表情より明るかった。


虹。


浮かんできたポジティブなイメージを溜息で掻き消して彼はまた歩き始める。


「あ、待って!」


長身の瑞希を雨から庇おうと悠里は必死だった。彼女の方はもうびっしょりと濡れている。


濡れてもいい。
そう思っていたのに。


お節介。


言葉にするのも面倒で彼はおとなしく傘に入って帰る。


「明日も元気に勉強できるようにね」


風邪なんてひいちゃだめよという彼女の頬がほんのり赤い。


雨は冷めたもの。体温を削ぎ落としてくれるものだったはずなのに、彼女は濡れても濡れても温かそうだった。


「…………お節介」


面倒でも言ってやらないと気が済まず、瑞希は彼女の手から傘を取り上げる。


(僕も……お節介)


手遅れなずぶ濡れの肩を引き寄せて歩く。


冷たい雨が虹に変わるなどと瑞希は信じていなかったが悠里は相変わらず小さな晴天の下で笑っていた。


「あーした天気になあれ」


何気なく呟いた言葉が重なり、遠くの雲を太陽の光が裂く。


「クケークケクケー」


明日は、晴れらしい。



2009.0607

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