冬色の宇宙(短編集)その4

□「あ・な・た・」
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今回は新婚編のお話です。



ここは日向家
夏美は一人部屋の中で鏡とにらめっこをしながら何やらブツブツと呟いていた。
「あなた…」
鏡の前に置いたギロロの写真に向かって満面の笑みを浮かべながら優しい口調で呼びかけてた。
鏡に映し出された自分の笑顔に満足すると今度は精一杯さわやかな感じで呼びかけてみる…
「あ・な・た・」
更に今度は少し上目づかいをしながら甘えた声を出してみる。
「あなたぁ」
少し恥ずかしそうなその表情は自分から見ても十分及第点だ。
「…うん、だんだんさまになってきたって感じ」
夏美は納得したかのように大きく頷いた。


夏美がなぜこのような事をしているのか?
それは2〜3日前の事だ…


夏美はこのところ同じTV番組を欠かさず見ている。
王道を行く家族ドラマなのだが大人気番組らしくかなりの視聴率を誇っているらしい。
その中に若い夫婦が登場するのだが奥さんが旦那さんの事を呼ぶ時に『あなた』と呼ぶのである。
『あなた』と呼ぶ事に問題があるわけでも不自然な訳でもない、ただ夏美にはそれがどうにも新鮮で『夫婦』を感じるらしい。
父親の居ない日向家にとって夫婦の会話が普段聞かれる事は無い、夏美にとっての夫婦感はご近所夫婦の姿とTVなどからしか得られないのだ。
そんな夏美にとって『あなた』の持つ言葉の響きと雰囲気はどうにもうらやましく思えたようで
自分もギロロを『あなた』と呼ぶ事にしようと考えたらしい。
「よ〜し、今日こそ決めてやるんだから」
夏美は一人ガッツポーズをとると昼食の支度をする為に部屋を出ていった。



ここは一階にあるキッチン。
『お昼の支度も出来たし……いくわよ』
夏美は庭先のテントで仕事をするギロロを食事に呼ぶ時『あなた』と初めて呼ぶ事にした。
『「ねえあなた、お昼御飯が出来たわよ」…うん、バッチリね』
胸の中でリハーサルをすると夏美はリビングの窓を開けギロロに声をかけた。
「ねえ、あな…」
リビングの窓が開く音と夏美の声に気付いたギロロが振り向いた。
「ん?どうしたんだ?夏美」
思わずギロロと目が合った瞬間、夏美は突然身体を固め、次の言葉が出なくなると、同じ言葉を繰り返し始めた。
どうやら目と目を合わせたら急に物凄く恥ずかしくなったらしい。
「あな、あな…」

理解不能な夏美の言葉にギロロはただ首を傾げている。
「あな?穴がどうかしたのか?鍋にでも穴が開いたのか?」
「な、鍋?」
ギロロらしいとは言えデリカシーにやや欠けるギロロの言葉は夏美を更に赤面させた。
「…んもう、ギロロの馬鹿!知らない!!」
「お昼ご飯出来たから早く来なさいよね!!」
夏美は文句を言いながら食事の支度が出来た事をギロロに伝えると顔を真っ赤にしながら逃げるようにしてリビングの奥に戻って行った。

「???」
「俺は何か気に障るような事を言ってしまったのか?」
一人で顔を赤くして戻って行った夏美の行動が理解できないギロロはただ首を傾げていた。
それでも何か自分が夏美を怒らせたのではと思いリビングに上がるとダイニングに立つ夏美に声をかけ詫びた。
「よ、よく分からんがスマン夏美、俺が悪かった」
「もう!謝んないでよ、馬鹿!!」
ギロロに謝られる度に『あなた』を言いそびれた事を再び思い出し、恥ずかしさとバツの悪さから夏美は顔を真っ赤にしながら声を荒げていた。
「夏美ぃ」
「知らない!!」
そこにはなぜ夏美が怒るのか理解できず、ただオロオロするばかりのギロロがいた。


「…どうでもいいけどさ、姉ちゃん」
「いい加減にするであります、お腹すいたでありますよ」
ダイニングではお昼ご飯を待たされたままの冬樹とケロロが二人の揉め事を呆れ顔で眺めていた。




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