novel

□薔薇の名前
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結婚式まであと10日。

これはもしかして、結婚もまだなのに早くも「飽きられて」しまっているのだろうか?
レティーの顔が浮かぶ。
「ほーら私の言った通りにイロイロチャレンジしなくちゃ」
と、声が聞こえそう。
そんなのどこからどう始めていいのやら…。
でもまだたった4、5日。
たまたまなのかもしれないのに、触れてくれなくて何だか…寂しいなんて、私ってすごく…結婚前なのに…フシダラな気がする。
ハウルだって…こんな私に、こんなカラダにしたのはハウルのくせに、どうして急に触れてくれないの?
これって…何?…欲求不満?
やだ何考えてるの私ったら私ったら私ったら…
かああっと顔が赤くなる。

でも少し不安なのも事実で…。

お店を早めに切り上げて、レティーに相談しに行こうかな…。
「…さん、花屋さん。すみません、花を選んでくれないかな」
考えすぎて、お客さんに話しかけられてるのに気付かなかった。
慌てて笑顔を取り繕う。
「あ、はい、ごめんなさいっ!プレゼントにされるお花ですか?」
客は若い男性。身なりもキチンてしていてまじめそうだった。
ただこのカエル色?かと思わせる緑の上着はどうなのだろう…。
「プレゼントっていうか、今から芝居を見に行くから主演の役者への差し入れに」
ソフィーの内心の評価をよそに、少しはにかんだように話す青年は一歩ソフィーに近寄った。
「じゃあ華やかな感じの花束でいかがですか?今日は薔薇がたくさ…」
「芝居、僕と見に行ってくれませんか?」
唐突にカエル色の青年が角張った声で切り出した。
「えっ…?」
青年は、何を言われたのか飲み込めずにキョトンとするソフィーの手をとった。

「僕と…」
その手に口付けようとした、その瞬間。

するりとソフィーの手は離れ、驚く青年が見上げた先には、片腕で取り返すかのようにソフィーを抱く一人の男。
おそらく街を歩けば振り返らない女性はいないだろうと思わせる美形だ。

その男はおもむろに後ろから抱き寄せた彼女の耳を両手でふさぐと、聞いた者の背筋にヒヤリとしたものが這うような声音で口を開く。
「…学校で習わなかったか?」
蛇ににらまれたカエルのように青年は凍りついた。
「他人のものに手を出したらいけませんって」
その冷ややかな目が「本気」を表していて、青年はやっとの思いで後ずさる。

「今度彼女に触れたら殺すよ?」
「ひっ…!」
本当に視線で射抜かれるような感覚が全身を駆け巡り、青年は弾かれたように店の外へ転がりでた。
そして二度と店には戻らなかった。

「ハウル!耳、離して」
耳をふさがれたままだったソフィーに言われて、ぱっと手を離した。
「もう!何を言ったの?あのお客さんひどく怯えてたようだけど」
ソフィーは振り返りハウルを抗議の目で見上げる。
おどけるように耳をふさいでいた手をひらひらと振った。
「ん?学校で叱られたことでも思い出したんじゃない?」
「???」
「それよりちょっとこっち来て」
ハウルはなかば強引にソフィーの手を引いて、客からは見えない店の奥に連れて行った。
資材置きの狭い空間を仕切るカーテンの陰は店内に比べて薄暗い。
お互いの呼吸さえ聞こえるような空間で、ハウルはソフィーを抱き寄せた。
あくまで紳士的に。

「ハウル…何…」
「触れられたのは、手だけ?」
カエル青年に一瞬とられたソフィーの右手をハウルが顔の横に上げて握った。
まっすぐにソフィーを見つめる目がいつになく真剣でたじろいだ。
「え…うん…」
ソフィーが頷くとハウルはつかんだソフィーの右手の薬指に口付けた。
「ハウル、なに…」
急にそんなことをされて、思わず引っ込めようとした手は離さないという強い意志によって阻まれる。
「…消毒」
指の一本一本に丁寧にキスしながらハウルがぽつりと言った。

「…ソフィーに僕以外の男が触るなんて許さない」

「…っ…」
指に、手のひらに、最後に手の甲に。
ハウルの熱い手と唇とが、ソフィーの右手に所有のキスを落とす。
手は思いのほか敏感で、体の奥に火をつけそうで、思わず目を固くつぶった。
恥ずかしいけれど、ハウルのキスには嫉妬の炎が感じられて、たったあれだけのことに嫉妬されるのが嬉しくもあった。

手へのキスを感じなくなり、やっとソフィーは目を開けた。
「…ハウル」
目を開けるとハウルの顔が目前にまで来ていて。
「…充電」
充電ってなに?と聞く暇も与えられずに、唇を重ねられた。
右手首を捕らえられ、もう片方の腕で抱き寄せられる。
ついばむようなキスから、徐々に深くなるそれは、これ以上深くなったら火がつく…という寸前で止まった。
まるで無理にそこで自分を押しとどめるように。
「…充電終わり。あんな馬鹿男には二度と近寄らないで。…いい?」
「…うん」
「…残念だけど、仕事に行かないといけないんだ。なるべく早く戻るよ」
「ええ…」
ハウルはソフィーの額に軽くキスすると、さっさと出て行ってしまった。
さっきまでの熱などもう忘れたかのように。

こんな風に思うのはソフィーだけなんだと思う。
毎日のようにとめどなく抱きしめられて、キスされて、それ以上も繰り返して。
だから気づく、変化。
…物足りない…と思うのは私がおかしいの?
こんなはずないって直感的に思うけれど、そんな風に思う自分がたまらなく恥ずかしい。
ハウルに飢えてるみたいで…。
…私、おかしいのかも…。
キスされた右手が熱くて、それでもやっぱりなんだかハウルが距離をとろうとしているようにも思えて、わけがわからない思いに、ソフィーは右手を胸で握りしめた。
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