放浪の魔法使い
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長く続いた雨が昨夜、漸く止んで、この日は久しぶりに、朝から快晴だった。
小高い丘を埋め尽くすようにして密集する、グラスラントの街並みの彼方此方に、雨で溜まっていた大量の洗濯物が、色とりどりにはためいている。
ランス家の表からは見えない、陽当たりのいい中庭では、やはり洗濯物が下がり、中庭向きの窓には、寝具の類いも干されている。
換気のため家中の窓も開けられて、多くない召し使い達は、はりきって掃除に取り掛かっていた。
広い庭の方々(ほうぼう)では、ぱちん、ぱちんと枝を落とす音が響いている。伸びてしまった枝の剪定を、通いの庭師が弟子の少年としているのだ。
その手伝いを、ラディも細枝用の鋏を持ってしていた。
グラスラントへ来た当初、十二歳だった少年――ラディは今年、十四歳になった。
学校には行かず、キリエルから家庭教師代わりに勉強を教わっている。城に仕える高官を目指しているのでもなければ、読み書き計算が人並みにできればいい。
ランス家の当主にして養い親のエドガーも、それでいいと言っている。
教師役のキリエルと執事のパドレスは、やんわりと学校を勧めもしたけれど、肝心のラディ自身が、通いたがらなかった。
――ぱちん。軽い音の後に、小枝が地面にぱさりと落ちた。
「ラディ坊っちゃん、お疲れになったら我慢しないで休憩して下さいましね」
庭師のトネリだ。
「まだ…大丈夫」
「そう言って、先日も掌の豆を潰していたじゃあないですか」
――ぱちん。
「坊っちゃん、またパドレス様に叱られてしまいますよお」
――ぱちん。
それは困る。普段穏やかな微笑みを絶やさないパドレスは、けれど怒ると怖い。
「気をつける」
「そうして下さいまし」
先日、無理をするなら手伝いはさせないと、パドレスに叱られたばかりだったのだ。
普通の坊っちゃんと呼ばれる者なら、庭の手入れの手伝いなんてしないだろう。
けれどラディは、この家に生まれた坊っちゃんというわけではない。元々人手の少ないランス家でもあるし、お世話になる代わりに、お手伝いを始めたのだった。
「さあて坊っちゃん、そろそろ向こうへ移動しましょうか」
高所から降りてきたトネリは、別の場所を指差した。
***
「見えるか?」
「くそっ。枝が邪魔で、よく見えない」
ランス家の屋敷を囲う鉄柵の間から、少年が二人、庭を覗いている。目当ては、二〜三年前に引き取られた銀色髪の少年だ。
最近、この付近に住む少年少女の間で、かなりの評判になっている。
けれど滅多に外出しないし、たまに出掛けたとしても、大人が一緒で話しかけづらい。
最近漸く、少年名前がラディだと、判ったところだった。
ラディは、顔立ちも色彩も、何もかもがグラスラント人とは違った。人の出入りが多いせいで混血も多く、何処の血が混ざっているのか判らない者も、多いけれど、ラディは――
「親父がさ、レーリシア大陸の血じゃないかって」
「銀って言ったら、向こうだもんな」
「あ! 見えた」
「可愛いよな」
「あれは、綺麗っていうんだよ」
「いいや、可愛いだ!」
そんな他愛ないことで言い合っているのは、ラディより少し年上らしい少年達だ。
その背後をキリエルは、然り気無く様子を窺いながら過ぎていく。
悪い虫がついては、困るからだ。
ラディは十四歳、早い子だと、親が決めた婚約者がいてもいい頃だ。
ラディがもし、このままずっとグラスラントへ住んでくれるなら、正式にランス家の養子にすることを、エドガーは考えている。
そして、傭兵稼業でふらふらと家を空けるエドガーに代わり、ランス家を任せてもいいとさえ、思っているようだ。
そうなるとランス家は、けして低い家ではないから、それなりに釣り合う家の者と、めあわせることになるだろう。
そんな申し込みへの打診が、既に幾つかあるくらいだ。
子供の成長は早い。あれから二年、ラディから子供らしいあどけなさが薄れてくると、清廉な美しさが全面に出てきた。すると目敏い少年達が、今のようにラディを見物に来るようになったのだ。
身長も幾分か伸びて、手足も長く、全体的にすらりとすると、今度は少女達までも遠巻きに見詰めるようになった。
「これは将来、大変かもしれないですね」
キリエルは、独り呟いた。
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