CAIN
□05
1ページ/5ページ
蒔琅に預かった物を渡した尋睹は、仕事の準備を終えバイクに乗って新澤署に向かった。
預かった物は十中八九、麻薬だろうと思っていた尋睹だが、結果を聴くまでは推測の域を出ない為に八坂に近付くのは少し待とうと急く気持ちを抑えバイクを走らせた。
バイクを所定の場所に置いて新澤署の正面入口から中に入ろうとすると入口の前に真鍋が通路妨害をするように仁王立ちで立っていた。彼は、尋睹を見ると鋭い目付きで睨んだが、尋睹は、別に後ろめたい事もなく自身ではない誰かを睨んでいるのだろうと気にせず中に入ろうとした。
しかし、平然と尋睹が真鍋の横を通り抜けようとした瞬間、真鍋が彼の腕を力強く掴んだ。
「ちょっと待て。」
「何ですか?」
呼び止められる理由が分からない尋睹は不機嫌な表情を浮かべた。すると真鍋が、まるで犯人でも見るような目付きで尋睹を睨み付ける。
「お前、何者だ?」
「何者って、俺は掃除員ですけど……。」
「掃除員が夜遅く人気のない物置部屋で何の報告だぁ?」
「…………。」
真鍋の勝ち誇った表情に尋睹は、ぐっと息を飲み、返す言葉を必死に探した。
昨日の澪との会話を聞かれたのだ無理もない。したがって此処は、しらをきるか上手い言い訳を言うしか逃れる術はない。
もし此処で彼に捕まったらどれ程、捜査に支障をきたすか分からないからだ。
「他人の電話を盗み聞きですか、真鍋刑事?俺は人前で電話をするのが苦手なんです。だから物置部屋で連絡した、それだけです。
話は、おしまいですね。失礼します。」
真鍋に有無も言わさぬ勢いで尋睹は言葉を返すと会釈をして中に入る。彼の後ろ姿を見詰める真鍋は怒りを露にし、彼を睨み付けていた。
背中で真鍋の憤怒を感じながら尋睹は清掃員のいる部屋へと平然の足取りで向かう。今、早足になったら更に真鍋に疑われるのは火を見るより明らかだったからだ。
ドキドキして部屋に入った尋睹は漸く真鍋から解放され、ほうと長い安堵の息を吐いた。
それから仕事を始めた尋睹は、いつ八坂に接近しようかを刑事2課の前を掃除しながら考えていた。あまり目立つような事はしたくない。真鍋が自身に目を付けているからだ。
しかし、早く接近しなければ本当に捜査に支障をきたしてしまう。尋睹は焦る気持ちを抑えながら静かに八坂に接近する機会を窺った。
結局、午前中は八坂に近付けもしないまま昼食を迎えた。
本日のお昼はコンビニのおにぎり。
天気も良いという事で尋睹は外で昼食を取る事にした。食堂で食べようとも思ったが、真鍋の監視の目が厳しくて落ち着かない為、少しでも解放感を味わえる外を選んだのだ。
コンビニの袋をカサカサいわせながら、おにぎりを取り出し食べ始めると目の前を慌てて署の方に向かう八坂が通った。
「八坂さんっ!」
好機だと思った尋睹は、周りに真鍋がいるかも確かめずに声を掛けた。
彼の声に驚いたのか八坂は、びくっと体を震わせ尋睹の方に目をやると安心したように息を吐いた。
「なんだ、高橋か。新しい儲け話はないぜ。」
「そうですか。……八坂さんも参加した事があるんですか?」
「お前、何でそんな事を知りたがる?」
「えっ…あっ、いや…。」
尋睹の頬を冷や汗が流れる。
麻薬との繋がりを聞き出そうと焦る気持ちが八坂に疑念を芽生えさせてしまった。
尋睹は、どう誤魔化そうと考えるが八坂の探るような目に頭が混乱する。こういった状況は初めてではないのに上手い言い訳が出てこない。
使える頭を限界までに使いながら尋睹は、この場を切り抜ける言い訳を考えた。
すると彼が言い訳の言葉を紡ぐ前に八坂が、舌打ちをして、その場から立ち去った。何が起こったのか分からなかった尋睹は彼の後ろ姿を見詰めながら首を傾げた。
取り敢えず一難は去ったと尋睹は食べ掛けのおにぎりを食べ始める。
「お前、八坂の野郎と何を話していた?」
「ぐっ!?」
何の前触れもなく真鍋に後ろから声を掛けられた尋睹は口に含んでいたおにぎりを喉に詰まらせ、ごほごほと咳込んだ。慌てた彼は横に置いていたペットボトルのお茶を飲み詰まった物を流し込む。
ごくんと喉を鳴らし、ほっと一息吐いて彼は後ろを振り返る。
「またですか?…俺が誰と何を話そうと貴方に関係ないでしょう。」
「それは俺が決める。さぁ言えっ!」
「お話になりませんね。失礼します。」
命令するように言う真鍋の物言いが気に入らなかった尋睹は、普段の自身からは想像もつかない強気な言葉を返すと手を付けていないおにぎりとペットボトルを袋に戻し、その場から足早に立ち去った。
後ろからは真鍋の舌打ちが聞こえたが尋睹は、それを無視した。
しかし、真鍋が現れてくれた事に尋睹は苛つきと共に感謝した。彼が此処に来なければ尋睹は八坂の疑いを晴らす為の言い訳を言わなければならなかった。しかし、あの時の尋睹に上手い言い訳を考える程の余裕はなく切り抜ける事など皆無だっただろう。
不本意ながら心内で真鍋に感謝の言葉を送った尋睹は八坂の事を考える。
彼は尋睹が儲け話に参加した事があるのかと訊いた時、疑惑の目で尋睹を見てきた。
何かに怯えている。
尋睹は、そう直感し今夜にでも何か行動を起こすかもしれないと彼を見張る事を決めた。
それから昼休みを終え仕事を再開した尋睹は、掃除中もできる限り八坂を監視し続けた。
夕方5時、仕事を早々に切り上げ帰って行く八坂を尋睹は追跡した。運が良ければ黒幕に近い人物に接触できるかもしれないと彼は意気込む。それもその筈、彼は早く新澤署を出たいと思っていたからだ。理由は、ただ一つ。
真鍋に正体を暴かれそうだからだ。
秘密機関に所属する者が正体を知られては、これから先、仕事に支障をきたす事は火を見るより明らか。そうなった時、確実に辞職になるのだが秘密機関に所属していた者が仕事を辞めたからと普通の生活に戻れるわけもなく……。
死ぬまで特命の刑事達に監視されプライベートなど皆無の生活になるに違いない。
そうなった時の事を考えると尋睹は身震いした。
一介の刑事では不相応な高級車に乗り込み、何処かに向かう八坂を自身のバイクに乗って追い掛けた尋睹は、『雫』という高そうなクラブの前で止まった。
八坂がクラブに入ったからだ。
尋睹も彼を追ってクラブに入るが、その前に支部にメールを送る。自身の所在を知らせておく為だ。
中に入った尋睹は辺りを見渡し八坂の居場所を探す。しかし彼の姿はなく尋睹は慌てた。
(逃げられだ。)
せっかくの情報元を逃してなるものかと尋睹は、近くにいた女性に声を掛ける。
「あの、さっき来た人は?」
「さっきぃ?…あぁ、八坂さんねぇ。彼なら裏口から出て行ったわよぉ。」
女性の言葉を聞き終える間もなく尋睹は裏口らしき方に向かって走る。
店内では尋睹を呼び止める声が上がるが、それで足を止める尋睹ではない。
裏口から外に出た尋睹は辺りを見渡し八坂を探すが姿が見えない。逸る心を抑え彼は目の前にある道に出て左右を確認した。
すると八坂が一人、何処かに向かって歩いている。誰かに指示を仰いでいるのか、その手には携帯電話が握られていた。
見失っては不味いと尋睹は彼を追うべく歩きだそうとした。しかし、一歩足を踏み出した途端、後ろから肩を掴まれ壁に叩きつけられる。
背中に走る衝撃に噎せながら尋睹は自身を叩き付けた者がいるだろう方を睨み付けた。
そこにいたのは、ずっと彼を付け狙っていた真鍋だった。
真鍋は獲物でも見付けたように目をギラギラと輝かせている。尋睹には、その目の色が不気味に見えた。
「お前、八坂を付けて何をするつもりだ?」
「何って別に…。」
尋問するような口調で問い質してくる真鍋の顔から目を逸らすと言葉を返した。
それは、この状況では真鍋から逃れられるような言葉ではなく、寧ろ彼が尋睹を疑うような事態になる言葉だった。
案の定、真鍋は尋睹を解放するような素振りは全く見せず、逆に締め上げようとしていた。
しかし、そんな事で真実を尋睹が話すわけもなく、彼は反抗的な目を向ける。すると、締め上げる真鍋の手を誰かが掴む。何の前触れもなく現れる第3者に真鍋も尋睹も視線を移す。
そこには直哉が不満気な表情で立っていた。
「俺の連れに何しようが?」
「連れ?てめぇも高橋の仲間か?」
「仲間?何の話がね?こいつは、俺の……。」
直哉の言葉は、最後まで紡がれる事はなかった。
パンッ
という音が辺りに響き、それと同時に男の短い悲鳴と車の走り去る音が3人の耳に入ったからだ。
尋睹達は、それぞれに顔を見合せ音のした方へ走る。
駆け付けた先には、八坂が胸から血を流して倒れていた。
「おいっ!!八坂!!」
倒れる八坂の肩を叩き意識があるかを確かめる真鍋だったが、八坂はぴくりとも動かない。呼吸もなく脈も確かめたが、既に彼は死んでいた。
真鍋が八坂にいろいろしている時、直哉は澪に連絡を取り辺りの写真を撮っていると近くに八坂の携帯らしきものが目に入る。
直哉は真鍋を一瞥する。すると彼は、八坂の容態を看たり署に連絡したりして携帯の存在に気付いていないようだ。
それを良い事に直哉は携帯をハンカチに包んでポケットの中にしまった。
そして何気ない顔をして
「なぁ、俺達は帰ってえぇがか?これから映画に行くんやが……。」
と、真鍋に声を掛けた。
「ダメに決まってんだろ。事情聴取に応じてもらう。
お前達に疚しい事がないなら応じられるだろう?」
「疚しい事ねぇ。俺達には、ねぇがよ。ただ、俺等を取り調べて損するのは、あんただと思うがねぇ。」
疑わしい尋睹と直哉を取り調べられる事に勝ち誇った表情を浮かべている真鍋。そんな彼に尋睹は、びくびくしているが、直哉は意地悪く笑ってみせ堂々としている。
支部に所属している事は極秘事項だというのに直哉は、この場をどう切り抜けるつもりなのかと尋睹は案じ顔になった。