CAIN

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 7時、自分は哲史に揺り起こされて目が覚めた。

 目を開けると朝日が入って来ていてあまりの眩しさに自分は目を細め窓から顔を勢いよく背ける。

 それにしても眠い。

 日光から目を反らした自分は、また眠りそうになる。

 考えてみれば2時間弱しか寝ていないのだ。寝たいと思っても誰も怒りはしない。

「んー、……おはよう、哲史。」

「おはよう。……ご飯、できてる。」

 眠さを体から追い出そうと、横になったまま思い切り背伸びをした自分は目を擦りながら笑顔で哲史に挨拶した。それに哲史は言葉を返す。しかし、彼の表情は無以外の何物でもなかった。

 朝方、見せてくれた表情は幻だったのだろうかと思うと、少し残念な気分になった。

 自分は哲史が作ってくれたという朝食を取る為に起き上がろうと上半身を起こしたが、パジャマの上着を力強く引っ張られ、それを制される。

 服を引かれる方を見ると、藍斗が隣で小さな寝息を立てながら自分の服をしっかり掴んでいた。自分は、それが、とても愛おしく思えて薄く微笑むと、彼の頬を優しく撫でた。

「藍斗、朝だよ。そろそろ起きないと。」

「うっ?……うん。……ふぁ〜、おはよう、全。」

「おはよう、藍斗。」

 自分の起こす声に反応して、藍斗は大きな欠伸をしながら眠い目を擦って挨拶する。

 自分は挨拶を返してベッドから出るとクローゼットからワイシャツを取り出し、パジャマから服へ着替えた。

 藍斗は、まだ眠いようでベッドの端に座ると、ぼーっと宙を見て何度も大きな欠伸をしては目を擦っていた。

 すると開いていたドアからセトが、ぱたぱたと入って来てベッドに飛び乗ると座っている藍斗の顔を舐め回した。

 それはセトなりの目覚めの挨拶なのだろう。

「分かった。俺は起きたから、止めろセト!!」

「わふ!!」

 あまりの舐められように藍斗はセトから顔を背け両手を彼の口に当てガードした。

 しかし、セトは止めようとはせず尚も藍斗の顔を舐めようと意気込んでいる。

 それを見ていた自分と哲史は、呵々大笑した。

「あはは。…………全、俺、顔、何か付いてる?」

「いや、そんなんじゃないけど。朝方も哲史の笑ったところ見たけど、やっぱり寝惚けてたわけじゃなかったんだね。
 哲史、今みたいに表情を表に出した方が良いよ。俺、哲史のいろんな表情が見たい!!」

 今まで見た事もない、あどけない笑顔で哲史は笑っている。それは、自分が彼と知り合って初めて見る笑顔だった。

 失礼な話だが、哲史は喜怒哀楽の表情が乏しい人物だと思っていた。だからなのか表情を見なくても別に不思議とは思わなかった。

 それが今、彼の笑った表情を見て正直、嬉しい気持ちになった。

 もっと彼のロボットのような表情ではなく、人間らしい表情を見たいと心の底から思った。

 それが言葉となって自分の口から出る。

 哲史は自分の言葉に驚いた表情と照れたような表情をして自分を見ていた。

「どうしよう、俺、全に口説かれてる。」

「馬鹿、言ってんじゃねーよ!!……早く飯食おーぜ。」

 自分の言葉を聴いた哲史は頬を、ぽっと赤くして照れながら言った。自分は呆れてものが言えず、嘆息する。

 すると藍斗が、セトを下ろしてベッドから立ち上がり哲史に向かって文句の一つを言うと、服を着替えた。

 着替えの終わった藍斗と共に、自分達がリビングに行くと、テーブルの上には男の作った料理です。という感じの朝食が並んでいた。

「これ全部、哲史が作ったのか?」

「住まわせて、もらってる、これくらい、やる。」

「そうか……。」

 藍斗の言葉に哲史は何か決意したような口調で返した。それを聞いた藍斗は何かを考えつつ椅子に座ると野菜炒めに箸を運び口に入れた。

 すると、藍斗は持っていた箸を、ぽろぽろと落とし口を押さえると、席を立ちトイレの方へ全速力で走って行った。

 そして暫くすると、トイレの方から藍斗の吐逆するような声が聞こえる。

「藍斗、どうしたんだろう?……うっ。」

 自分は藍斗の行動やトイレから聞こえた声に疑問を持ちつつも、目の前にある野菜炒めに箸を付け、口にゆっくり運んだ。

 瞬間、藍斗が何故トイレに駆け込んだのか、そして、あの声が何を物語っていたのかを理解した。

 哲史の料理があまりにも不味過ぎるのだ。

 それは、もう人を殺してしまいそうな程、殺人的な味だった。

 これは、きっと何も食べていない人が食べても死ねると自分は思う。

 自分は作ってくれた哲史に悪いと思い、口に含んだ物を必死に飲み込んだ。

 最後は、お茶で流し込んだが……。

 やっとの事で飲み込んだが、正直なところ今なら死ねるとまで思った。

「……哲史、今まで料理した事は?」

「ない。……じーちゃん、お前、作るな、言った。」

「そっか。……取り敢えず、哲史、自分が作ったの食べてごらん。」

 口直しに、野菜ジュース飲んで味覚を誤魔化すと、一息吐いて哲史に訊いた。

 哲史は首を横に振りながら朝風のように、あっさり答える。

 哲史の祖父も、これを食べて死にそうになった事は容易に想像が付いた。でなければ、彼に料理をするなとまでは言うまい。

 が、作ろうとする気持ちを無駄にしたくなかった自分は、哲史の前にある料理を指差して言った。

 もし、この料理を味見して作ったのならば哲史に作るようには言えないが、味見をしないで作ったのならば話は別だ。

 まだ改善の余地がある。

 自分の言った言葉で彼が口を開くか、それとも箸に手を付けるか、過言な言い方だが、それが岐路だった。

 そして哲史が取った行動は後者だった。

 彼は自身の前にある箸を持つと近くにあった焼き魚に箸を付け口に運んだ。

 数秒、口に含んだ彼は口を押さえ台所に行くと水道の水を出しながら吐き出した。

「不味い……。人間、食い物、違う。」

「お前なぁ〜!!俺等を殺す気かぁ!?花畑が見えたじゃねぇか!」

 台所で哲史が吐いていると、吐き終えて、すっきりした藍斗が肩で息をしながら戻って来て、怒鳴り散らした。

 彼が怒るのも無理はないが、自分は哲史に助け船を出す事にした。

 此処で藍斗の味方をしてしまったら哲史は二度と料理を作らなくなるだろうと思ったからだ。

「まぁ、まぁ、初めて作ったんだからしかたないよ。……今度、一緒に夕飯を作って上手くなろうね、哲史。」

「……うん。」

 助け船を出した事を哲史には、悪いが少し後悔した。文句を言っていた藍斗が不貞腐れた表情で、こっちを見たからだ。

 昔から彼が、この表情を浮かべた時は碌な事がない。何かと自分に恥ずかしい事を要求してくるのだ。

 まるで、お前は俺のものだと言わんばかりに……。

 今は成長して子供のような事をしてこない事を祈るばかりだ。

 しかし、望みが薄いと祈りながらも分かってしまうのは、切ない限りである。

 一方、哲史は自分と料理ができるのが嬉しいのか、顔は真っ青だが雰囲気は春爛漫のように朗らかだった。

「わん!!」

「どうしたの、セト?……!!」

 もし、此処でセトが吠えなかったら自分達はバスに間に合わなかっただろう。

 時計は、既に8時15分を過ぎていた。

「2人とも、急いで準備して!!バスに、間に合わない!!」

「もう、そんな時間かよ。」

 自分が席を立ち言うと、藍斗も哲史も慌てた表情で準備を始めた。

 自分も慌てて片付けを済ましてから準備を始める。

 部屋に入りカバンの中に最低でも要る物を入れていると、藍斗が後ろから抱き締めてきた。

「あっ……藍斗どうかした?」

「全、俺より哲史の方が好きなのか?」

「行き成り何を訊くのかと思えば……。」

「答えろよ!!」

 藍斗の怒鳴るような声に自分は体を、びくっと震わせた。

 付き合ってきた日々の中で彼に怒鳴られる事など、全くと言って良い程なかったからだ。

 怒鳴りながらも悲しそうな彼の声音。

 5年前なら、こんな事くらいで藍斗が不安になる事は恐らくなかっただろう。

 しかし5年という月日は、人の心が変化するには余り過ぎる程の時間だ。

 どんなに相手の気持ちを分かっていても空白の時間が長過ぎて信じきれない部分がある。

 藍斗に、そんな不安を抱かせてしまった事に自分の心に罪悪感が生まれた。

 自分は首に巻き付いている藍斗の腕を両手で掴むと口を開く。

「藍斗が勿論、好きだよ。だけど……俺は哲史も別の意味で好きなんだ。」

「そうか…分かった。」

 藍斗に残酷な事を言っているのは分かっていた。

 しかし、此処で藍斗に本当の自分の気持ちを伝えなかったら、後で分かった時に、今以上に彼を傷付けてしまう気がした。

 そう思ったから自分は、できる限り藍斗の方に首を回して彼に伝えた。

 藍斗は諦めたように言うと、回していた腕を解放して自分の体を自身の方に向けキスをしてきた。

 幸い哲史は洗面所に顔を洗いに行っていて近くには居ないが、見られるのも時間の問題だった。

 自分は何とかして彼から離れようと抵抗を試みるが、彼の濃厚なキスに力を奪われ、それは叶わなかった。

 心が拒んだところで、長年、その快楽を待っていた体が言う事を聞く筈がないのは自分でも分かっていた。

「んっ……ん〜。」

「全……歯ブラシ、何処……あ……る!!」

 自分が彼から離れる前に哲史が部屋に入って来てしまった。

 よりにもよって最中に入って来られるとは……。自分も哲史も運が悪いとしか言いようがない。

 否、自分が一番、運が悪いのか、こんな場面を哲史に見られるのだから……。

 あまりの恥ずかしさに涙が出る。

 できる事なら時間を戻したいと心から願った。

 哲史が見ているというのに藍斗はキスを止めようとはしなかった。

 寧ろ、逆に更に濃厚なものをしてくる。

 どうやら哲史に見せ付けたいようだ。自分は恥ずかしくて顔を赤くしながら、力なく彼の胸を殴って止めるように訴えるが、彼は聞く気が全くないようだ。

 それに対し哲史は黙って、こちらを見ていた。

 そして黙って立っていた哲史が、自分達の方へ近付いて来て自分を後ろから抱き締めると、藍斗の頭を力強く押して、自分を彼から引き離した。

「てめぇ、どういうつもりだ!?」

「それ、俺、セリフ!!……全、嫌がってる!!無理強い良くない!!」

「…………。」

 哲史の行動に藍斗は激憤の目色を向ける。

 しかし哲史は、怖がった、或は怯えたような態度はみせず逆に威嚇するような目と態度を示す。

 哲史の言葉に反論する事ができなかった藍斗は、抱き締められている自分の姿を見ながら、罪悪感の塊のような顔をして、無言のまま部屋を出ると、自身の部屋に帰って行った。

 その後をセトが、勢い良く追い掛けて行く。

 自分は、藍斗の事をセトに任せて、その場に立ち尽くしていた。

 藍斗は部屋に入ると、玄関のドアを背に、崩れるように座り込んで深々と溜め息を吐いた。

「何してんだろうな、俺。あんな事がしたかったわけじゃねぇのに……。」

「く〜ん。」

 前髪を掻き揚げながら、藍斗は一人、後悔の言葉を吐いた。

 すると、セトが藍斗の隣で心配しているような鳴き声をあげ、前足を彼の膝に置くと顔を舐めようとした。

 しかし、彼の顔までは大分距離がありセトは、舐める事ができず焦っていた。

「セト。お前、付いて来てたのか。……慰めてくれてんのか?サンキュ。」

「わふ!!」

 自分が哲史の味方をした事にショックを受けていた藍斗は、セトが、付いて来ていた事に気付いていなかった。

 彼の行為に感激した藍斗は一生懸命、慰めようとしているセトを抱き上げ頭を優しく撫でた。

 セトは漸く彼の顔に近付く事ができ落ち込む藍斗の顔を優しく舐める。そんなセトに、励まされた気がした藍斗は薄く笑って見せると彼を更に撫でた。
 
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