CAIN

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 哲史は相変わらず、ぐったりしたまま、地面に座り込んで不安と切願の間の眼差しで燃え続ける家を見据える。

 そんな哲史の祈る気持ちを無視するように炎の勢いは収まる事を知らず、隣の家屋にも更に、その隣の家屋にも燃え移っていった。

 そして到頭、哲史の家と両隣の家は燃え尽き、跡形も無く灰になった。暗がりで見るせいか、空き地と勘違いしそうな程に……。

 自分は哲史の肩に手を置いて、ふと、藍斗の方を見ると、仔犬が気弱な声を出しながら彼の足の後ろに隠れていた。

 火事が怖いのだろう。

 流石、小さくても動物だ。本能的に火が恐ろしい事を知っているようだ。

 自分と藍斗が現場に着いて、2時間が経過しただろうか。

 時計の針は10時50分を指している。

 しかし、炎は未だに衰える事なく轟々と激しく燃え続け、燃えていなかった家に飛び火して更に火事の区域を、どんどん広げていった。

 自分も何度か火事の現場を見た事はあるが、こんなに心の底から怖いと思った火事は初めてだった。

 ふと、周りに目をやると野次馬が増え報道陣まで大勢いた。

 彼等は、口々に哲史の家の事を話していた。ヤクザだから誰かの恨みを買ったとか、罰が当たったとか、もう言いたい放題だ。

 自分は、そんな彼等に文句の一つも言ってやりたかった。

 しかし全く哲史の家族の事を知らない自分は部外者だ。何を言えるわけもなく、ましてや野次馬に文句を言える立場でもない。

 その代わり自分は、野次馬や報道陣達を睨み付けた。それしか、自分にはできなかったからだ。

 自分が睨んでいると隣に立っていた藍斗が燃え盛る炎を見ながら言う。

「なぁ、全。火って、こんなに消えにくいものなのか?」

「分からない……。」

 消防士達の必死の消火活動も虚しく燃え盛る炎を見れば誰だって、そう思う。

 しかし自分の脳裏には勝手な推測が巡っていた。

 現場の周辺には恐そらく燃えている家の残骸だろう木片や瓦の破片が落ちている。

 そして、白鷺家向かいの家のガラスというガラスが、悉く割れていた。両隣の家は燃え尽きて分からないが恐らく同じだったと自分は推測した。

 そういう状況から、この火事は、ただの火事ではなく放火されたか爆破されたのではないか。

 そんな憶測が脳裏を駆け巡る。

 しかし、そうなると哲史の家は誰かに狙われていた事になる。

 と、そこまで考えた自分は、入署して半年で職業病かと自分を諌めた。すると灰塵と化した自身の家を見ながら哲史が口を開く。

「じいちゃん……。」

「白鷺……。」

 今にも泣き出しそうな、消え入りそうな声で言う哲史に自分は掛ける言葉が見付からなかった。

 その代わり自分は座り込んでいる哲史の横に座り、彼の頭を優しく撫でた。

 今、自分にできるのは、これぐらいだった。それで哲史の気分が楽になるとは思ってないが、少しでも気が紛れるようにしてあげたかった。

 頭を撫でる自分の肩に哲史は頭を乗せ、烏有に帰した自身の家を黙って見詰めた。

 藍斗も自分の隣に座り、膝に乗ってきた仔犬を優しく撫でる。

 自分が腕に付けていた時計を見ると、12時を回っていた。

 火は、それから少しして全て消え、元は家だった5軒が烏有に帰した。

 消火活動が終了して暗い面持ちで持ち場から離れる消防士を見付けると、哲史は勢い良く立ち上がり彼の方へ駆け寄った。

「せっ……生存者は?」

「まだ、調べてみないと何とも……。失礼ですが貴方は?」

「あの家の……住人です。」

「そうですか。……御自宅には何人、人が居たか分かりますか?」

「多分、30人は居たと……。」

「分かりました。調べ終わったら、お知らせします。」

 消防士の曖昧な答えに、哲史は落胆し彼の質問に力なく答えると、とぼとぼと自分の方に戻ってきた。

「全、藍斗と家、帰って良い。……俺、答え、聴くまで、帰らない。」

「俺も一緒に待つよ。……答えを聞いてから家に一緒に帰ろう。」

 暗い表情で哲史は言ってきた。

 自分は藍斗と目で会話すると、当たり障りがないように薄く微笑んで見せて答える。

 少しして火災調査官の人達が哲史の家があった所を調べ始めた。

 自分は、それを見ながら神に祈った。哲史の家族が一人でも無事に生きていますようにと……。

 自分達は火災調査官が調べ終わるまで道に座り込んでいた。

 途中、藍斗が夕飯をコンビニで適当に見繕って買って来たが、哲史は鮭お握りを一口食べただけで、残してしまっていた。

 今の彼の心情では、しかたのない事だと自分も藍斗もそれ以上、勧める事はなかった。

 それとは逆に仔犬は久しぶりのご飯なのか、貪食していた。

 2時を回った頃、先程の消防士が暗い面持ちで自分達の方へ近付いてきた。哲史は、すくっと立ち上がると彼の元へ駆け寄る。

「えっと、実に言いにくい事なんですけど……。白鷺さん宅の生存者は……貴方だけです。」

「…………。」

 消防士の言葉に哲史は口を固く閉じた。

 すると、彼の目から大粒の涙が滂沱と流れ、すとんと力無くその場に座り込むと泣くのを我慢するように、時々、鳴咽を漏らす程度に静かに泣いた。

 家族を全て亡くしたというのに、どうして、そんなに大声で泣くのを我慢して静かに泣くのだろう。

 自分は小さく背中を丸めて泣いている哲史を後ろから見ていて切なさが込み上げる。

 そして、自分は何を思ったのか立ち上がり、静かに泣き続ける哲史の前に屈み込んで、にっこり笑って手を差し延べてみせた。

「白鷺、おいで。」

 哲史は驚いた表情を浮かべながら、自分の手を取ろうと手を差し延べる。自分は、その手を力強く握ると彼を引き寄せた。

 そして、自分は自分の行動に驚いた表情を浮かべながらも、泣いている彼の頬を片手で拭うと包み込むように抱き締めた。

 そう、まるで子供を包み込む母親のように優しく、それでいて安心できるように自分は、哲史を抱き締める。

 悲しい時は大声で泣いてほしいと自分は思った。だから、哲史を抱き締めたのかもしれない。

「ごめんね。俺、気の利いた言葉が思い付かなくて、何を言って良いのか分からないけど。
 哲史、悲しい時は大声で泣いて良いんだよ。」

「うっ……。うぅ……。」

 自分の首に腕を回した哲史は、肩に顔を埋めて大声で泣き始めた。どんなに周りの人が、じろじろ見ようが関係なく……。

 自分は、そんな彼の頭を優しく撫でる事しかできなかった。

 しかし、それが最善の事だと自分は思った。

 哲史の悲しみは彼自身にしか分からない。自分にも他の誰にも彼の悲しみを取り除く事は、きっとできない。ただ、今の自分にできるのは悲しみの後には、哲史に笑ってもらえるようにするという事だけだった。

 深夜3時、自分達は暗い表情で自分の部屋に戻ってきた。

 自分は哲史を、リビングに通すと自室から着替えを2着、出して一着を哲史に渡す。

 藍斗も着替えを持って来ると仔犬を置いて彼の自室に一端、戻った。

「白鷺、シャワー浴びて着替える?それともそのまま、着替える?」

「シャワー、浴びる。」

 哲史は、受け取った着替えを片手に、とぼとぼと風呂場へ歩いて行った。

 その背中が、あまりにも悲しげで、つい何か声を掛けたくなったが、普段通りに接した方が良いと自分を諌め、彼の背中を見詰めるだけにした。

 哲史がシャワーを浴びている間に、自分は汚れきっている仔犬を抱き上げた。

「お前も、綺麗にしようか。」

 自分が穏やかな声で言うと、仔犬は元気よく返事らしき鳴き声を発した。

 シャワーは今、哲史が使っているので、台所のシンクに仔犬を入れ、お湯の温度を調節すると、仔犬の体に手でゆっくり掛けていった。

 仔犬は動物にしては珍しく、お湯が嫌いではないらしい。暴れずに、じっとお湯を掛けられていた。

 自分は仔犬の愛らしいさに、すっかり虜になり早々と洗うと風呂場にタオルを取りに行く前に仔犬に言う。

「君、そこに居てね。動いたらダメだよ。」

 自分が台所から離れようとすると、仔犬は情けない声を出して自分を引き止める。

 一人で居るのが怖いらしい。

 それとも、また捨てられるとでも思ったのだろうか。

 自分はしかたないという表情で短く息を吐くと濡れている仔犬の水気をできる限り手で取り、抱き上げると風呂場に向かった。

 風呂場の扉を開けると、ちょうど、哲史がシャワーを浴びて出て来ていた。

 鉢合わせとなった自分は必然的に彼の全身が目に映る。

 華奢そうに見えた彼の体は、しっかり筋肉がついていて自分と比べると全く違う。同じ男なのに自分の体は殆んど筋肉がなく、どちらかというと少女の体のようだった。そのせいか彼の体つきを見ると自分は欽羨の念を抱く。

 彼を穴が開く程、見詰めてしまっていた自分は慌てて後ろを向くと彼が後ろから抱き締めてきた。

 恐らく、裸のまま……。

「白鷺?」

 自分は必死に哲史の方を見ないように言葉を投げると、哲史は自分の体を自身の方に向けて目を、じっと見てきた。

 その真っ直ぐ過ぎる程の灰色の目に自分は目を放せない。

「全、さっきみたいに、哲史、呼んで。……名前、呼ばれたい。」

「分かった。呼ぶから体を拭いて!!」

「タオル……何処?」

 キスでもされそうな雰囲気に慌てた自分は、哲史の目から視線を逸らし話題を変えた。

 そして、彼の言葉でタオルを出していない事に気付き慌てて洗面台の隣にある、竹製の箪笥から大きく白いタオルを2枚出した。そのうちの1枚を哲史に渡すと、残りの1枚を仔犬に被せる。

「仔犬……名前、何?」

「まだ、決めてないんだ。一応、藍斗が拾った仔犬だし。俺が勝手に付けちゃ悪いだろ。」

「ふ〜ん。」

 濡れた仔犬の体を拭いていると、哲史が自身の髪を拭きながら訊いてきた。

 自分は哲史の体を見ないように背を向けたまま答えると、沈黙が生まれる。

 別に話したくないわけじゃないが、話題が浮かばないのだ。

 下手に話すと哲史の家族の事に触れてしまいそうで怖かった。そういう気遣いが、哲史には不必要なのかもしれないが自分にはできない。

「全、俺、仔犬連れてく。……全、シャワー、浴びる。」

「えっ、あぁ、有り難う。じゃぁ、お願い。」

 服を着替え終えた哲史は、拭き終わった仔犬を抱き上げて自分に勧める。

 あんなに辛い事が、あったばかりだというのに人に親切にできる彼に自分は感心しながら切ない気もした。

 彼の言葉に甘え、自分はシャワーを浴びる事にした。

 濡れた仔犬を抱いて濡れたワイシャツのボタンを一つずつ外して脱いでいくと、妙に視線を感じる。

 ふと哲史の方を見ると、彼はじっと、こちらを見ていた。

 それが厭らしいとかそういうわけではないが妙に恥ずかしさを覚える。

「哲史、そんなに見られると脱ぎにくい。……っていうか、もう、出て良いよ。」

「全の体、綺麗。もっと、見る。」

「そんな事は、どうでも良いから早く出てね。」

 脱ぎ掛けていたシャツを自分は脱いで哲史に言うと、彼は頬を赤くしながら言葉を返してきた。

 この言動、まるで付き合い始めた頃の藍斗を見ているかのようで既視感を抱く。

 自分は、深々と溜め息を吐いて彼に回れ右をさせ後ろを向かせると背中を押し、そのまま廊下に出した。

 ほっと息を吐いて、ズボン等を脱いでいると扉越しから声がする。

「全、恥ずかしがり屋さん。」

 自分は、哲史の言葉を無視してシャワーを浴びた。

 心地良い量で流れ出るシャワーを浴びながら自分は、ずっと先程の火事の事を考えていた。

 どうして哲史の家があんな酷い火事になったのだろう。

 しかし、考えたところで答えが出るわけでもなく尚且つ、それは火災調査官の仕事だ。
 
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