CAIN

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「そうだったの。という事は暫くは、貴方達に会えないのね。淋しいわ。」

 自分でも、良くこんな見え透えた嘘を考えたものだと自嘲した。

 入署して間もない新人が海外研修など行ける筈がない。しかし、信子は自分のあからさまな嘘を見抜けず言葉のまま信じて疑わなかい。

 それどころか寂しそうな表情を浮かべて、少し目に涙の存在さえ窺えた。

 そんな態度を取れるのは、彼女の中で嘘を付くような理由など自分にありはしない、彼女は、そう思っているからなのだろうか……。

 どんなに考えても信子が、どうして、そこまで自分を信じられるのか理解できなかった。

 それよりも自分は今まで一番お世話になった人間に嘘を付かなければならないのが、何よりも切なく、何より悲しかった。

 信子との会話の後、自分と藍斗は、荷物を段ボールに詰め込んだ。

 他の1課の人達とは会話をしなかった。話す事も全くなかった。

 半年というのは月日にしては短いが、荷物にすると、かなりの量があった。

 自分は、この時、荷物の少ない藍斗が羨ましかった。2日しか居なかった彼の荷物は段ボール、一つ分にも満たなかったからだ。

 ほんの数分で荷物を纏め終えた藍斗は自分の荷物纏めを当たり前のように手伝ってくれた。

 荷物纏めが終わり、信子に預けていた仔犬を引き取って新澤署を出る頃には、時計は7時を回り外は掻き暮れていた。

 出入口から離れ新澤署を見上げた自分は、半年も、この署で働いていたのに驚く程に清々しい気分だった。

 強いて切なさを覚えるのは、最後なのに信子に嘘を付いてしまった事くらいだ。後は後悔も未練も何もない。

 少しの間、新澤署を眺め自分達は家路をゆっくり歩いた。

 昨日は楽しくてしかたなかった帰り道が、今日は独りで帰っていた時よりも時間が進むのを長く感じる。

 その理由は分かっている。自分達を包む、この重い空気だ。

 気まずく居心地の悪い、この状況に自分は目を伏せ今日、藍斗に言われた言葉をずっと考えていた。

「なぁ、全。」

 考え込んでいる自分に嫌気が差したのか藍斗は、徐に声を掛けてきた。

 怒られるのかと咄嗟に考えた自分は思わず、構えたように彼を見てしまう。

「なっ、何?」

「ごめん。俺、いっつも自分の事ばっかしで、全の気持ちとか考えないで勝手な事、言ってさ。……だから、今日、俺が一緒に住もうって言った事は忘れてほしい。もう少し時間が経ってから、また誘う。」

「藍斗……。
 良いよ。俺、少し臆病になってたんだ。一緒に住んで、また藍斗が居なくなったらどうしようって……。あのさ、返事、今更だけど、俺、一緒に住みたい。」

 自分の事で反省している藍斗が愛おしかった。自分の不安や恐怖が、とてもちっぽけな物に感じる程に……。

 自分の気持ちを藍斗が汲んでくれた。それが嬉しくて自分が笑顔で遅い返事をすると、いつから居たのか、自分の後ろに哲史が怒りに体を震わせながら立っていた。

「そんなの、俺、許さない。」

 何故、哲史が怒りに体を震わせているのか自分には分からなかった。

「白鷺、どうしたの?」

「藍斗、ずるい!!……俺、居ない所で、全、口説いて、一緒、住む!!そんなの許さない!……俺も一緒、住む。」

「えっ!?」

 どうして、こうなるのか分からなかった。

 ただ、哲史の表情が、悲しげに見えて自分は罪悪感に押し潰されそうになる。

 哲史の言葉に、藍斗は怒りが込み上げてきたらしく、子供が見たら泣き出してしまいそうな睨みで哲史を見る。

 しかし、それに凄むような哲史ではなく黙って彼を見据えていた。

 日は沈んでいるが、辺りは月明かりのおかげで明るく、自分達の近くを歩く人間は自分達を、まじまじと見ていった。

 正直、自分は恥ずかしかった。

 その、恥ずかしさから逃れたいが為に自分が放った言葉は、紛れもなく藍斗の怒りを買うものだった。

「じゃぁ、白鷺も一緒に住もう。」

「全……本当?」

「うん、だから此処で口論しないでね。」

「…………。」

 自分でも不味い事を言ったと思っている。

 しかし今更、口から出てしまった言葉を訂正する事など、哲史が可哀相過ぎてできはしなかった。

 今、自分の言った言葉が、藍斗を確実に傷付けている。それは、分かっているのに……。

 でも自分は、哲史も可哀相な気がして何も言えなかった。何故か哲史を悲しませたくないと思ったのだ。

 それは今日、藍斗との揉め事を彼が結果的に諌めてくれたからかもしれない。

 好きなのは愛しているのは、藍斗でも、このまま哲史を離しては、いけない気がした。離してしまったら、もう、会えない気がした。

 自分は恋人も友人も失いたくはなかった。

 それは、ただの我が儘かもしれない。

 道の真ん中で大の大人が3人、何も話さないまま、まるで木のように立っていた。

 そんな中、先に口を開けたのは元凶である自分だった。

「藍斗、ごめんね。……俺、このまま白鷺を家に帰したら一生、会えない気がするんだ。」

「前もあった…よな。そうやって全が引き留めて……。あの時、俺は聞かずに家に戻った……。そしたら、本当に会えなくなった。……今回は全の言葉を信じる。」

 自分が言い訳じみた言葉を藍斗に投げると藍斗は複雑な表情を浮かべながらも許してくれた。

 哲史も、まさか藍斗が許してくれるとは思ってもいなかった様子で驚いた表情を浮かべている。

 きっと、藍斗も高校の時の出来事が無ければ決して許さなかっただろう。

 5年前、藍斗が居なくなる前日、自分は一緒に何処か知らない土地へ行こうと誘った。

 それは、今の哲史に言った時と同じでこのまま藍斗と別れたら会えなくなると思ったからだ。

 しかし彼は、

「大丈夫。」

 とだけ言って家に帰った。

 そして自分の元から姿を消した。

 そんな出来事があったから、藍斗は今回、自分の言葉を信じたのかもしれない。

 取り敢えず、自分達は哲史の着替え等を取りに彼の家に向かった。

 哲史の家に続く道は、街灯が温かな光で照らしていた。

「なぁ、哲史を家に戻して良いのか?」

「一人で戻すわけじゃないし。大丈夫じゃないかな。……ねぇ、白鷺は一人で住んでるの?」

「一人、違う。……俺、若衆とじいちゃん、一緒に住んでる。」

 自分は耳を疑った。若衆というのはヤクザや組の若衆の事だろうか。

 自分が疑問に思った事を藍斗も疑問に思ったらしく驚いた表情で哲史を見た。

「哲史の家、ヤクザなのか?」

「うん。……代々、続いてる神龍組……。」

 藍斗の疑問の言葉に、哲史は暗い表情で答える。

 自分は、そんな彼の表情が淋しく見えた。

 きっと、家の事は知られたくなかったのだろうと、勝手に思った。

 暗い雰囲気を醸し出し黙っている彼に、自分は声を掛ける。

「俺、白鷺の事をいろいろ知りたいな。そしたら、今まで以上に仲良くなれるだろう?」

「……仲良く。……全、俺の事、全部、知っても、仲良く?」

「当たり前だろう。」

 自分の言葉を聴いた哲史は、外見からは分からないが、嬉しそうな、何処か不安げな雰囲気で訊いてきた。

 自分は彼の不安を取り除こうと万遍の笑みを浮かべて一言投げた。

 自分が哲史に彼自身を知りたいと言ったのは、さっき自分が安心を貰ったからという恩返しの意味もあったが、それ以上に哲史に悲しい思いをさせたくなかったからだった。

 まだ仲良くなって日も浅いというのに自分は藍斗と同じくらい哲史を大切にしたいと思った。

 哲史は、ただ、その一言が嬉しかったのか、感激のあまりに自分に抱き着いてきた。

 そして肩に顔を埋めると、小さな声で呟く。

「全……優しい、大好き。」

「…………。」

 自分は何も言わず、ただ黙って微笑みながら哲史の頭を撫でた。そうしなければいけない気がした。

 そんな光景を見ても藍斗は珍しく怒らなかった。彼も哲史の気持ちが身に沁みる程、分かるのだろう。

 2人共、少し変わった事情を持つ家系に生まれただけで、周りから普通に接してもらえなかった。

 同じ境遇を持ったという意味では、藍斗と哲史は似た者同士で仲良くなれると自分は思う。

 でも自分は、その事を2人には言わない。彼等は他人と傷の舐め合いをする程、弱く脆い人間ではない事を知っているからだ。

 暫く、自分が哲史を宥めるように頭を撫でていると、遠くの方から轟然たる音がしたかと思うと次の瞬間には生暖かい風が自分達に吹き付けた。

 何事かと自分達は音がした方を振り放け見る。

 そこで目にしたのは数百メートル離れた空が、まるで朝日でも昇っているかのように赤く明るい光景だった。

 藍斗の抱えている仔犬も異変に感じたのか、仕切りに音のした方へ吠えた。

「火事か?」

 そう一番最初に口を開いたのは、ずっと黙っていた藍斗だった。彼は赤く染まっている空を仰ぎ見ながら呟くように言った。

 その言葉に哲史の顔からは血の気が引いたように真っ青になっていく。

 そして流れ星に何かを願うように早口で何かを呟いていた。

「白鷺?」

「!!!!」

 自分が哲史の様子を窺おうと顔を彼の方へ向けると、彼は自分から離れ、一目散に恐らく火事の現場だろう方へ走りだした。

 行き成り、走り去る哲史に自分と藍斗は、お互いの顔を見合わせて目で会話すると、直ぐに彼の後を追って走り出した。

 藍斗は走り難くなったのか、抱えていた仔犬を地面に降ろして走った。仔犬は遊んでくれるものだと勘違いして必死に藍斗の後を追い掛ける。

 哲史は自分達の遥か先を走っていて、既に背中が小さく見える程度だった。

 走っている最中、藍斗が息を切らしながら声を掛けてきた。

「まさか、哲史の家って事ねぇよな?」

「分からない。そうは思いたくないけど……。」

 一番、最悪の結果を藍斗が口にした。

 自分はその言葉に曖昧な返事を返したが、哲史が走って行ったという事は彼自身も自身の家だと考えたのだろう。

 どんどん火事の現場が近くなってきた。

 煙りが空へと、もくもくと上がりプロミネンスでも思わせるような炎の揺らめきが、はっきりと見える。

 しかし、先程まで見えていた哲史の小さな背中は全く見えなくなってしまっていた。自分と藍斗は更に速く走って哲史が走っただろう道を追った。

 近付くにつれ、人の叫び声や不安の声、消防車のサイレンの音が響く。

 そして、それと同時に炎の轟々という音と爆音、水が勢いよく流れる音がしていた。

 自分と藍斗が現場に息を切らせながら着くと、哲史が止める消防士を突き飛ばしたり撲ったりしながら中へ入ろうとしていた。

 どうやら最悪の結果が、彼を待っていたようだ。

「白鷺!!」

 自分は大声を上げて哲史に呼び掛けた。

 そうしないと哲史が轟々と鳴り響く、炎の中へ入ってしまうと思ったからだ。

 自分の声に気付いたのか、哲史は後ろを振り返ると力が抜けたように、へなへなと、その場へ座り込んでしまった。

 その間も彼の口は忙しく動いていた。まるで呪文でも唱えているかのように火事で燃えている家から目を放す事なく……。

 しかし、彼の口から出ていた言葉は呪文ではなく、男性の名前や、彼自身の願いだった。

 そこから窺えるのは、今、哲史の眼前で轟々と燃えている家が彼の家という事だ。

 座り込んで動かない哲史を見て消防士は、その機を利用して哲史を羽交い締めにすると自分の所へ引きずるように連れてきた。

「お知り合いの方ですよね?すみませんが、彼をお願いして良いですか?先程から中へ入ろうとするものですから。」

「はい。……すみません。」

 消防士の顔には、撲られたような痣が、顔にいくつもあった。

 どうやら彼も、哲史が中に入るのを止めようとして彼に殴られた消防士の内の一人だったらしい。
 
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