CAIN
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仔犬は、藍斗と自分の姿を見るなり立ち上がって忙しなく尻尾を左右に振ると嬉しそうに藍斗に、じゃれ付いて頬を舐める。
「捨て犬だよね……。」
「あぁ、なぁ、俺達のマンション、犬は飼えないか?」
「大丈夫だよ。俺達のマンション、ペットOKだから。」
仔犬を抱き上げ、愛おしそうに頭を撫でながら、まるで彼自身も捨てられた犬のように訴える目をして自分に言ってきた。
しかし、彼の訴える眼差しは無意味な代物になった。
自分と彼が住んでいるマンションはペットを飼う事を管理人に報告すれば飼っても良い事になっているのだから。
此処だけの話、実を言うと、このマンションを借りたのも将来、藍斗が自分の所に戻って来た時に備えて、動物好きの彼の事を考えての事だった。
彼は昔から動物が好きで、良く捨て犬や捨て猫等を拾っては、自宅へと連れて帰っていた。
それを知っているが故に一人暮らしをすると決めた時、自分の住むマンションは動物を飼育する事ができる所にしようと決めていた。
自分の言葉が嬉しかったのか、それとも自分が藍斗の事を思って、そういうマンションを借りていた事が嬉しかったのか彼は仔犬に向かって声を掛ける。
「良かったなぁ。お前、行き成り家族が2人になったぞ。」
「えっ!?2人?」
自分と藍斗の部屋は別々で、どう考えても家族が2人になる事はない。自分の立場は、あくまでも隣人である。
何故、彼は家族が2人という表現をしたのか自分が疑問に思っていると、藍斗が仔犬を大事そうに抱え自分を愛おしそうに見詰める。
「今日の朝、思ったんだけどさ。俺達、一緒に暮らさないか?部屋は2つのままで良いけどさ。俺、全が近くに居ないと落ち着かないんだよな。」
同棲する事に何の躊躇いも不安も無いように簡単に言ってのける藍斗に自分は戸惑う。
まだ、再会して日が浅いというのに行き成り同居という話が出るのだから自分の戸惑いもしかたないとは思うが……。
そんな事より、もし藍斗と一緒に住んで、また彼が何の前触れもなく居なくなってしまったら、今度こそ自分が生きていけなくなるのは火を見るより明らかだった。
すると、そんな事を黙考している自分に痺れを切らした藍斗が口を開く。
「俺と一緒に暮らすの嫌なのか?」
「そっ……そういうわけじゃないけど。」
自分が返答に困っているのは、藍斗の事が嫌いだとか、そういうわけではないのは確かだ。
ただ、今は一緒に住もうと言われても素直に両手を上げて喜べなかった。それは、誘われた事に喜びを感じる以上に恐怖が自分を支配しているからだ。
何も話さず、何もせずにいて藍斗に自分の気持ちが伝わるとは思ってないが、察してほしかった。自分がどれだけ不安で怖い気持ちでいるかを……。
一人残される事が、どれ程の悲しみかを。
そんな事を考えて再び考え込んでいると、藍斗が何かを言おうとして口を開いた。
しかし、その口からは声が出ず、彼はきゅっと口を結ぶ。
気持ちを伝えない自分に呆れたのかと、自分は目の前が真っ暗になる。何と言って、彼に自分の気持ちを伝えようかと必死に考えていると、自分の後ろから声がした。
「あぁ〜、藍斗、また、全、苛めてる。……全、可哀相。」
「俺は、苛めてねぇ。……ちょっと無理強いしちまっただけだ。」
声の主は哲史だった。
彼は、自分の肩に両腕を回し、藍斗に平然とした顔で抗議すると回した手の片方で自分の頭を子供でも、あやすかのように優しく撫でた。
正直、哲史が現れた事に自分は、ほっとした。
あのまま、2人で話していたら確実に喧嘩になっていたに違いない。
もしかしたら、もう、しているのかもしれない。現に今、自分と藍斗の間には息も詰まるような重い空気が漂っている。
自分は、この場に居る事さえ苦しくてしかたなかった。
一方、哲史は藍斗の言葉に疑いの目を向けていた。自分が、あまりに暗い表情で苦しそうにしているからだろうか。
それとも、昨日のように自分が直ぐに藍斗に助け舟を出さなかいからだろうか。
何にせよ、今の自分は己の事を考える事に精一杯だった。
「無理強い、苛め。藍斗、最低。」
「お前なぁ〜。
大体、なんで此処に居んだよ!!」
自分が助け舟を出さずにいると、哲史は自分の暗い表情が藍斗のせいだと気付いたのか、自分を守るように更に背中から包み込むように抱き締めると顔を肩に埋めてきた。
そして、彼は冷ややかな視線と冷たい声音で藍斗を責める。
哲史の体温を背中で感じ、守られているような感覚に陥った自分は、何故かとても穏やかな気分になった。
きっと、藍斗との事も何とかなる、そんな気持ちになる。
哲史に責められた藍斗は何も言わない自分を見て罪悪感に浸っているのか、力強く哲史に反抗する事ができず、結局、藍斗は話題を変え自分との事に触れないようにした。
「聞き込み、してた。そしたら、課長から連絡、来て、署、戻ってた。全、見えた、走って来た。」
「そうかよ!!……哲史、好い加減、全から離れろよ!!」
哲史もそれ以上、藍斗を責めはしなかった。自分があまりに暗い表情をして黙っているので、藍斗の事よりも自分の方が気になるのだろう。
と、勝手に自分は考えている。
哲史が答えると、藍斗は呆れたように言葉を返し両手で抱えていた仔犬を左手で抱き、空いた右手で哲史を指差して文句を言った。
「藍斗、大人げない。俺、全にスキンシップしてるだけ。」
「ぬぁんだとぉ!!哲史、俺が下手に出てれば調子に乗りやがって!!」
哲史は、藍斗の言葉など無視して自分の体に顔を擦り寄せていた。
自分は驚きに目を見開いたが、昔から藍斗以外の人間にも抱き付かれたりしていた為か、哲史の行動に嫌悪感は抱かない。
寧ろ嫌という感情よりも穏やかな気分になった。藍斗には悪いが、哲史という人物に自分は癒されている気がした。
哲史が自分に、くっついているのを目の前で見ていた藍斗は怒りに体を震わせる。我慢の限界といわんばかりだ。
「藍斗、短気。全、呆れて物言わない。」
「そんな事ないよ。……ちょっと考え事していただけだから。それより、早く戻ろう。仔犬君は……取り敢えず署に連れて行って預かってもらえるか訊いてみるから。」
藍斗の誘いの言葉ばかりが頭の中をぐるぐる回っている自分は上手く考えが浮かばず、心、此処にあらずという感じで哲史に言葉を返した。
自分の言葉に、2人は何も言わずに黙って署の方へ歩き出す。
藍斗は仔犬をしっかりと抱き仔犬の体に付いた泥等で服が汚れてもお構い無しに歩いた。
途中、何度か藍斗と哲史に名を呼ばれたが2人とも内容を話さず、黙り込んだ。
掛ける言葉が見付からないのだろうと自分は思ったが、今は誰とも話したくはなく、敢えて2人に自分から声を掛けなかった。
署に着くと、入口付近に信子と2課の課長である高木俊春が立っていた。
自分達を待っている事は容易に想像が付く。
否、気付かない者などいる筈がなかった。
「全君、守塚君。帰って来るのが遅いわよ。2人を署長が待ってるんだから。」
「えっ、署長が?」
「白鷺、お前もだ。お前、何をしたんだ?」
「俺、何もしてない。……署長の間違い。」
自分達が入口に近付くと信子が、一歩前に出て両手を腰に当て言った。
自分は、反射的に最近の行いをじっくり振り返る。
しかし、考えても署長から呼び出されるような悪い事はしていない。
かと言って褒められるような善い事もしていない。
何より入署して半年が経つ自分と哲史は、ともかく、入署して2日目の藍斗が呼び出されるのは疑問としか良いようがなかった。
取り敢えず自分達は、それぞれの上司に言われた通りに署長室に向かった。
藍斗が連れていた仔犬は信子が一時預かってくれるという事で藍斗は、ほっとして署長室に足を進める。
署の中に入り、階段を上って6階まで行き、東の一番奥の部屋が署長室である。
署長室の扉の前に立つと、何もしていないのにも関わらず緊張して鼓動が、どんどん速くなっていった。
自分は、深呼吸をして気持ちを落ち着かせると2回扉を叩く。
すると、扉の向こうから低い声で
「どうぞ、入りなさい。」
という声がしたのを確認した、自分はドアノブをゆっくりと回して扉を開けた。
「失礼します。」
自分が一礼して中に入ると署長の東條上総が、ふかふかした椅子に座っていた。
流石、署長というべきか座っているだけだというのに部屋の中は厳然たる空気に満ちている。
自分が入った後に続いて藍斗と哲史が、それぞれ一礼して中に入った。
自分達は上総の机の前に横一列に立ち、それぞれに上総の顔を見ると、ほぼ同時に口を開いた。
「お呼びでしょうか?」
「あぁ、君達には急で悪いんだが……。部署を変更してほしいんだ。CAINに。」
上総の言葉に自分達は、それぞれの顔を見交わした。
この新澤警察署の全てを回ったが、CAINという課は見た事がない。
地下室があるのなら話は別だが……。
だいたい、その課が、どんな事を専門に仕事をするのかさえ分からなかった。
自分達が不思議そうな表情をしていると上総が口を開く。
「CAINは機密機関だ。世界中の選りすぐりの警察官が集まり世界中の凶悪犯罪に立ち向かっている。」
「機密機関……。あの、一つ質問なんですが。どうして、俺達なんですか?もっと、腕の良い警察官はいくらでもいますよ。」
自分は上総の言葉に疑問を持った。新澤警察署には自分よりも腕の良い警察官が沢山いる。
そんな中で何故、自分が選ばれるのか分からなかった。
それに藍斗は昨日、入署したばかりの新人だ。腕前など分かる筈がなかった。
自分の質問に上総は言葉を詰まらせた。
そして、深々と息を吐くと自分を見据えてきた。
「厳選した結果だ。それに、新入署員の中では君達がトップクラスだ。」
「はぁ。……あの、俺達はいつ異動するんですか?」
上総の言葉には、何か隠しているような節が見て取れる。しかし、自分は上総よりも地位は下だ。憶測だけで食って掛かるわけにもいかない。
結局、自分は力無く返事をして次なる疑問を投げ掛けた。
「早速、今日からと言いたいところだが、今日は自分達の課に挨拶に行かないといけないだろうしな。それから、荷物纏めも。明日にはCAINの日本支部があるD市に行ってくれ。駅に迎えが来るそうだ。9時に着くようにしてくれ。荷物は後日、取りに来てくれるそうだ。それからCAINの事は口外しないように。」
「分かりました。」
質問の答えを返した上総は、更にまくし立てるように言葉を紡ぐと、もう何も言う事はないと言わんばかりに、すっきりした表情を浮かべていた。
その表情に自分は何も言う気分にならず一礼すると署長室を出ようと踵を返した。
すると、藍斗も哲史も上総に一礼すると自分の後に続く。どうやら、彼等の訊きたい事は自分が全て訊いてしまったようだ。
「失礼しました。」
署長室を出ると自分達は一旦、それぞれの部署に戻った。
3階の階段側の部屋で哲史と別れた自分達は、西側廊下の突き当たりにある1課へと足を進める。
藍斗と自分が1課に戻ると信子が心配そうに駆け寄ってきた。
自分は彼女が駆け寄って来る、ほんの数秒の間に上総に呼び出された嘘の理由を考えた。
CAINの事が機密事項である以上、別の取り留めの無いような用件で呼び出された事を彼女に伝えなければならなかったからだ。
自分は今、働ける全ての脳をフル回転させ見破られないような嘘を考えた。
「全君、守塚君、遅かったわね。心配したのよ、感謝状でも貰ったの?」
「いえ、なんか海外研修に行くように言われました。世界各国の警察の仕事ぶりを見てこいとの事です。」