CAIN

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 翌朝、カーテンの隙間から漏れ出る朝日に照らされて、自分は目を覚ました。

 自分の目睫には、気持ち良さそうに寝息を立て自分の体に右腕を乗せ包むように寝ている藍斗がいた。

 自分は彼の寝顔を愛おしい気持ちで眺めた。それだけで自分は、とても満ち足りた気分になる。

 本当に幸せ。心の底からそう思った。

 藍斗を起こさないように起き上がると急いで服を着て台所に行き、冷蔵庫等を覗くと、あるだけの材料で朝食を作り始めた。

 この時ばかりは、実家から送られて来た野菜や調味料等に感謝した。いつもは食べ切れない程の量を送ってくるので迷惑していたのだが、今回は藍斗が居るので逆に足りないのではと不安になる。

 朝食を作り終える頃、藍斗が上半身裸で下は背広のズボンという、いかにも遣り遂げたという恰好で出て来た。どうやら朝食の匂いで起きたらしい。部屋から出て来た彼は匂いの元を知るまで鼻をぴくつかせていた。

「もしかして、朝ごはん作ってんの?」

「もう、できたよ。早く、顔を洗って着替えておいで。」

 寝惚けた表情で藍斗が言うと、自分は今できる一番の笑顔で言葉を返した。

 すると、藍斗は愉悦した笑顔で“あぁ”と答えると洗面所にふらふらと覚束ない足取りで移動する。

 自分は、その間テーブルの上に作った物を乗せて食べる準備を整えていった。

 顔を洗い、着替えに自身の部屋に戻った藍斗が、再び此処へ戻って来て席に着く頃には朝食の準備は完璧に終わっていた。

 そして自分達は初めて2人だけの朝食を取る。

 朝食は豆腐の味噌汁、鮭の塩焼きと、ほうれん草のお浸しと和風にした。

 テーブルに並べられた朝食を舌なめずりしながら見回した藍斗は箸を待って嬉しそうに自分の方を見た。

「何か、こうしてると新婚夫婦みたいだな。」

「ばか。……有り合わせしか作れなかったけど口に合うかな?」

「充分!!
 そういえば高校の時の全って忙しくて一回も手料理を食わしてくれなかったよな。」

 そうなのだ。

 彼と恋人同士になって離れていた時間を引いても2年はあるというのに、その間、自分は彼に手料理を食べさせた事がなかった。

 彼が言うように作る時間が無かったのだ。

 自分の家は彼の家、否、普通の人よりも経済状況が悪かった。

 今は、そうでもないが、自分が高校生の時は明日食べる物にさえ困るというくらいに金銭に困っていた。その為、自分は年を誤魔化し翌朝までバーで働いていたのだ。

 職場の人には始めから事情を話し好意で働かせてもらっていた。事情を話したせいか給料は他の人よりも少し多く自分の家としては凄く助かった。

 学校側も他の生徒に、ばれない事と成績を落とさない事を条件に黙認してくれていた。まぁ、バイト先の事は言わなかったが……。

 あの当時の自分は警察官だった父親が殉職した為に長男の自分がしっかりしなければと、家長のように無理をし過ぎていた。今、思うと背伸びをし過ぎていたのだ。

 バイトと学業の両立は、とても大変で思い出すだけでも良くやれたものだと感心を通り越し、ぞっとする。

 あの頃の生活は、朝方4時に家に帰り課題や予習などをして5時に就寝、7時には起床という不規則極まりないものだった。それでも、藍斗とのデートだけは断りたくなくて更に無理をしていた。

 昔の事を思い出した自分は短く息を吐く。

「俺の言葉に呆れたのかよ?」

「えっ!?違うよ。昔の生活を思い出してただけ。」

「ふ〜ん。しっかし、お前、凄いよなぁ。学校が終わってから夜中まで働いてさぁ。あんなんでよく過労死しなかったな。」

「何、言ってんの?藍斗が少しでも楽になるようにってバイト先まで送ってくれたり家に泊めてくれたりしてくれたから過労死しなかったんだよ。」

「まぁ、俺ができる事なら全には何でもしてやりたかったからな。」

 穏やかに微笑んで照れ臭そうに言う藍斗の言葉に自分は、幸せを感じながら食事を口に運んだ。

 幸せな朝食を終え藍斗と2人、職場に行くと1課の中は、とても慌ただしく、部屋の中を署員が小走りして部屋を出て行ったり入って来て芹沢に経過報告したりと、引っ切り無しに人が出入りしていた。

「北沢さん、何かあったんですか?」

「あら、全君。今日は遅かったのね。……事件が起きたの。殺しよ。これが、今、分かってるだけの資料。目を通しておいて。」

 調度、外から戻って来た信子を呼び止め事情を訊いた。

 すると彼女は、答えより先に自分が、いつもの出署時間より1時間も遅い事への驚きの言葉を出した。

 その事に対し自分が戸惑った表情を見せると、彼女は軽く咳ばらいをして、質問の答えを口に出した。そして彼女は自身の机の上から資料を取ると自分達に渡して、再び急ぐように行ってしまった。

 信子から渡された資料を見る為に自分は席に着いた。藍斗も自分の隣の席に着いて自分が見ている資料を横から見ていた。

 渡された資料によると、事件は、自分と藍斗が食事を取っていた午前7時頃、W町の田島という家で起きた。

 田島家の右隣りに住んでいる酒枝静枝の話によると、午前7時頃、男の叫び声が聞こえ、尋常ではないと思った静枝は、慌てて田島家を訪れたが、返事はなく家に入ると血まみれで横たわる田島渉、45歳の死体を発見したという。

 その場に犯人の姿はなく、一緒に暮らしているはずの妻、香代子35歳の姿が見えないという事だ。

 そこで1課は、香代子を容疑者として捜査をしている。

「さて、藍斗。取り敢えず、現場に行こう。」

「おっ、おう。」

 自分が資料を閉じて藍斗の方を見て言うと、彼は、何か渋ったような緊張したような表情で返事をした。

 その後、自分と藍斗は殺人現場に赴いた。

 事件現場は何の変哲もない普通の家だった。

 このような普通の民家でも殺人事件が起きるという今の時代は、何て嘆かわしいのだろうと思ってしまう自分がいた。

 現場の出入口には制服を着た警官が2人立っており、関係者以外は中に入れないように見張っていた。

 自分と藍斗は警察手帳の中を見せる。

「お疲れ様です。」

 自分達が手帳を見せると、警官2人は出入口に貼ってあったKEEP OUTと書かれたテープを上に持ち上げ、中に入れてくれた。

 入り際に声を掛けてきた2人に自分は、軽く会釈をして中へと足を進める。

 中は綺麗に片付けてあった。

 自分と藍斗は部屋の奥に進み、事件現場であるリビングに足を踏み入れる。

「なんか、事件なんて起きそうもない家って感じなのにね。」

「それは偏見ですよ。今は、起きそうにない所でも、事件が起きる時代ですよ、如月巡査部長。」

 自分が、事件現場を見渡しながら藍斗にありのままの感想を言うと、後ろから行き成り声を掛けられた。自分が見返ると、そこには鑑識官の制服を着て眼鏡を掛けた成年が立っていた。見た感じ、年は自分達と近い感じだ。

 それにしても、何故この成年が自分の名前を知っているのかが不思議だった。

 今まで事件には何件か当たった事はあるが、鑑識の人と話した事はなく名前など一人として知らなかった。なのに、彼は自分の名前を知っている。不思議としか言いようがなかった。

 自分が、不思議そうに成年を見ると、成年は薄く笑ってみせた。

「俺が名前を知っていて、不思議って顔ですね。」

「うん。俺、君と会った事ないよね?」

「会ってますよ、俺は。ほら、つい、この間A町で事件が起きたでしょう。俺、あの時、鑑識してたんですよ。あぁ、でも遠目から見ただけでしたけど……。あっ、申し遅れました。俺は鑑識課の宮埜郁杜です。如月巡査部長の事は、腐れ縁の白鷺から耳にタコができるくらい聞かされました。」

 淡々と答えていく郁杜に自分は何も言えず、黙って頷いた。

 藍斗は郁杜の事を爛々たる目色で黙視すると急に穏やかな表情になった。どうやら彼自身に害のない存在と認識したようだ。

「事件現場の物品とか痕跡は全部調べてあんのか?」

「まぁ、一応。調べ残しがないかを見に今、俺がいるんですけど……。如月巡査も探すのを手伝ってくれますか?」

「良いよ。……あっ、俺、タメ口だった!!」

 郁杜のお願いを快く引き受けた自分は、ある事に気付いた。

 自分と同期ではあるものの部署も違う、揚げ句に初対面の彼に馴れ馴れしい口調で会話をしてしまっていた事だ。軽率過ぎる自分の態度に羞恥心が込み上がる。

 自分がしまったという表情をしていると、郁杜は薄く微笑み自分の頭を優しく撫でてきた。それを藍斗はむっとした表情で見詰める。

「俺には、タメ口で構いませんよ。ですが他の人の時は気を付けて下さいね。」

「うん、気を付けるよ。……ところで、俺と藍斗は何を探せば良い?」

「そうですね。捜査資料に載っていない物があったら知らせて下さい。」

 と、郁杜が言うと自分と藍斗は部屋の端から資料には載っていない何かを探し始めた。

 どれくらい時間が経っただろう。

 自分は家具の後ろの方まで見ていた。しかし、此処は鑑識官も勿論、調べているらしくゴミらしき物が一つもなかった。

「此処は、もう調べてあるんだね。」

「はい。あっ、そろそろ、お昼ですし、この辺で切り上げましょう。」

「おっ、そうか!……じゃぁ、昼、食いに行こうぜ、全!!」

 自分が背の低い棚を戻しながら郁杜に言うと、彼は一言答え、彼自身が腕に付けている時計を見て作業を中止するよう促してきた。

 それを聞いた藍斗は嬉しそうに笑顔で言葉を返すと、自分の方を向いて昼食に誘ってくる。

 藍斗は、あまり細々とした作業が苦手で、ましてや先の見えない作業など以っての外だった。

 集中力が無いのだ。

 その為この作業に嫌気が差していたのだろう。郁杜の言葉を待っていた、と言わんばかりの目で郁杜を見ていた。

 その後、自分と藍斗は田島家を出て、昼食を取りに郁杜に教えてもらった小料理屋を訪れた。

 裏通りにある、見た感じ静かそうな店だったが、流石にランチタイムというせいもあって人が多かった。

「全は、何食べる?」

「そうだなぁ……煮魚定食かな。藍斗は?」

「俺は、刺身定食にする。」

 自分と藍斗はカウンターに座り、お品書きを見ながら会話をした。

 そして、それぞれ決まると、カウンターの前にいる店員にその旨を伝える。

 それぞれの料理を最後まで食べ、少し寛ぎ温かい緑茶を飲んでいると、自分の携帯がバイブ音を出して背広の内ポケットの中で震え始めた。

 携帯を取り出しディスプレイを見て相手を確認すると、電話の主は信子だった。

 自分は慌てて席を立ち上がり会計を済ませながら電話を取った。

「もしかして、食事中だったかしら?」

「いえ、今、食べ終わって店を出るところです。」

「そう、なら良かった。……容疑者が逮捕されたの。だから、貴方達も一度署に帰ってらっしゃい。」

「分かりました。」

 信子は、用件だけを伝えると、さっさと電話を切った。

 自分は会計を終え、店の前で藍斗を待っていると、満腹という感じで藍斗が店から出て来た。

 出て来た彼に、自分が信子からの電話の内容を話すと彼は残念な顔をして肩を落とす。

 刑事らしい事ができなかったのが、不満だったらしい。その事を口に出しはしなかったが、表情からは容易に想像する事ができた。

「事件も無事に解決したみたいだし、戻ろっか、藍斗。」

「あっ、あぁ。」

 心なしか落胆する彼を引っ張るように自分は歩き始めた。

 署へと帰る道を歩いている時、藍斗が何か気になるものを見付けたらしく小走りで、その方へ近付いて行った。

 自分は藍斗の見詰める先に何があるのか分からず、ただ彼が小走りで行ったので後を追った。

 藍斗が立ち止まった先には、ぼろぼろの段ボール箱が一つあった。中には、体が泥などで汚れたシベリアンハスキーの仔犬が一匹、か細い鳴き声を出して座っている。
 
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