CAIN

□再会
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『地球が回るのが必然なのと同じ位、俺は君の傍に居たいと願ってる。』

 そう言ってくれた彼が自分の元から去ったのは、もう5年も前の事だ。

 去って行った当初は悲しくて泣き続ける毎日だったが、5年も経った今では、まるで悲しい心が凍り付いてしまったかのように代わり映えのしない生活を送って、彼の事など全く思い出そうともしなくなった。

 否、今の自分は警察の仕事を毎日、朝から晩までやり続け、態と仕事を忙しくさせて彼を思い出す隙を作らせていないのかもしれない。

 その証拠に、彼と別れた始めの頃は彼を思い出さないように朝から働き詰めにしていたし、夜も他の人が嫌がるようなサービス残業をしてできるだけ他の事を考えなくて良いようにしていた。

 最近では、それが日常になってしまっている。

「全君、貴方、今日もサービス残業するの?」

「はい。俺、家に帰ってもする事ないですから。」

 自分に話し掛けて来たのは同じ刑事1課で働く北沢信子だ。

 彼女は自分の先輩で何かと自分を気に掛けてくれる面倒見の良い人物だ。

 署内では、遣り手の女刑事として有名だった。いつか、自分も彼女のような刑事になりたいと思っている。

 しかし自分は、彼女に憧憬の念を抱いているというのに彼女が心配して掛けてくれる言葉に愛想の良い返事一つしてあげる事はなかった。

 彼女の言葉が照れ臭いわけでもなく、寧ろ嬉しく感じているのだが自分の性分みたいなものがそうさせるようだ。

「そう、貴方が良いなら良いわ。っと、いつものように言いたいところだけど、今日は早く帰りなさい。明日、貴方にお願いしたい仕事があるの。残業した疲れた体で挑んで欲しくないから。」

「?……分かりました。」

 自分が、どんなに愛想のない返事をしても、信子は嫌な顔一つした事がなかった。

 それは、自分が入署した時から、この態度であったから彼女も諦めているのだろうと自分は勝手に思っている。

 しかし署内には、その信子に対する自分の態度に不満を抱き自分に嫌味を言う人間もいた。

 自分は己の蒔いた種だから嫌味を言われても何も言い返さなかった。否、言い返す資格などあるわけがない。

 そんな自分が嫌味を言われるたび、信子が遣って来て必ず助けてくれた。

 それに感謝する反面、自分は、どうして彼女が、そこまでして自分を気に掛けてくれるのか分からなかった。

 信子が言った言葉に自分は疑問を持ったものの、明日になれば答えは出るのだから訊かずに署を出て家にゆっくり帰る事にした。

 ゆっくり家路を歩くのは、できるだけ家に一人でいる事を避ける為だった。

 しかし、ゆっくり帰るのにも限界はある。

 自分は何処に寄るわけでもないので……。

 訂正しよう、一緒に何処かに寄ってくれる同僚がいないのだ。

 上司の数人からは誘われた事はあるが、さすがに退署後まで上下関係に縛られたくはない。

 その為、失礼だが全ての誘いを断った。

 が、信子の誘いを断った事はない。

 上下関係が嫌だと言っても、日頃お世話になっている信子の誘いを断るほど自分は薄情な男ではない。

 今日は信子から誘われるわけもなく、自分は直帰する。しかし正直、早く帰るのは避けたい気分だ。

 本当は飲みにも行きたい。しかし一人で行くのは、あまりにも寂しい。それに今日は飲んだら深酒しそうだった。だから真っ直ぐ家に帰るのだ。

 天高く伸びて、いかにも高そうな家賃をしてそうなマンションの一室が我が家だ。

 自分はポケットから鍵を取り出し、部屋の鍵を開けて中に入ると暗い部屋に明かりを点した。

「疲れた。風呂に入って寝よう。」

 と、誰も居ない部屋で独り言を呟いた。本当に寂しい限りだ。

 風呂にお湯を張っている間、今まで見れなかったビデオを見て時間を潰した。

 番組は、ミュージカルものが主だ。

 歌や踊りで観客を魅了する、それが自分は好きなのだ。

 風呂の用意も終わって、いざ入ろうと着替え等を持って風呂場に向かうと、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。

 時計の針は既に11時を指している。

(誰だろ、こんな時間に。非常識な人だなぁ。)

 そんな事を思いながら手に持っていた着替えを風呂場に置いて下は背広のズボン、上は、はだけたワイシャツという、だらしの無い恰好で玄関の扉を静かに開けた。

「何か用ですか?……!?」

 扉を開けると、そこには5年前に消息を絶った彼が昔よりも少し大人びた顔立ちと雰囲気で立っていた。

「久しぶり。お前、変わってないな、全。」

「何で、ここにいるの?」

 行きなり居なくなったのは彼なのに悪びれた態度一つ見せない事に自分は憤りを感じてあからさまに、つっけんどんな態度を示した。

 すると彼は、小さく溜め息を漏らした。

 彼の、そんな行動の一つ一つが今までの自分の行動が無意味だったかのように思えて、更に腹が立って仕方なかった。

「やっぱり、何も言わないで居なくなったの怒ってるよな。」

「当たり前だろ!!5年も俺の事放置して。心配したんだぞ!死んでるんじゃないかとか、どっかに拉致られてるとか。
 俺が、どんな思いで、この5年を過ごしてたかなんて分からないんだ、藍斗には!!」

 あまりに腹が立ったので自分は嘘を付いた。

 本当は、この5年間、藍斗に捨てられたと思って忘れる事しか頭になかった。

 だけど、忘れられなくて……。

 今、目の前にいる彼を見て、また胸を高鳴らせている自分がいる。

 まだ、彼の事が好きなのだ。

 5年も彼に会わなかったというのに、自分の気持ちが全く変わっていない事に自分でも驚いた。

 普通なら、とっくに吹っ切れても良い筈なのに……。

 なのに、確かに自分の心は彼に会えた事に喜んでいる。

 脳は忘れなくて良かったと確かに自分に言ってる。

 彼に言った事、全てが嘘というわけでもない。

 心配はしていた。

 だけど、自分と藍斗では身分が違い過ぎた。

 彼は大会社の社長の息子、自分は何の取り柄のない庶民。

 身分の差だけでも近付けないというのに男同士の付き合いをしているのを知られたら、それこそ一生、会えないと思って家を訪ねる事もなく、少しでも可能性のある、黙って待つ手段を取ったのだ。

 それが、いつの間にか忘れる行為になっていたが……。

「悪かった。
 ごたごたしてて、でも片付いたから。もう、お前の所から黙って居なくならねぇよ。」

「藍斗は、狡い!!すぐ、そうやって俺の怒りを削ぐんだから。
 で、此処には何しに来たの?」

「隣に越して来たんだ。だから、挨拶も兼ねて来た。」

 本当に藍斗には驚かされてばかりだ。

 しかし自分は内心、久しぶりに見る彼の透き通るような目を見て歓喜に胸を躍らせていた。

 外見は成長して変わってしまっていても彼の綺麗な瞳は昔のまま、まるで山の深緑を思わせるような安らぎを感じる深緑の目だった。

 自分が呆然としていると藍斗が不安そうな表情を浮かべて自分の顔を覗き込んできた。

「俺が隣に越して来たの嫌だった?」

「いっ……嫌なわけないだろう。ただ、行き成りの事で驚いたんだ。」

 恥ずかしがる自分の顔を見て藍斗は嬉しそうに笑って、軽く自分の右頬にキスをしてきた。

 すると昔、いつも隣から香っていた香が鼻腔を刺した。

 そのせいか自分は無性に懐かしい気分になった。

 咄嗟の事に驚いた自分は恥ずかしくて赤くなっていた頬を更に赤くさせた。

「じゃぁ、また明日な。全。
 それと今度から玄関に出る時は前を閉めろよ。襲われても知らねぇからな。」

「分かった。……って、ちょっ!!待……って。明日、俺、仕事……。」

 藍斗が、いつ自分に会いに来るつもりなのかは分からないが自分は明日も朝から晩まで仕事なのだ。

 いや、藍斗が帰って来たから、晩までというのは無いかもしれないが、それでも夕方までは帰って来ない。

 だから、18時以降にしてほしいと言おうとしたが、彼は自分の呼び止める声も聞かずに自身の部屋へと戻って行った。

 通り雨のような彼が帰った後、ゆっくり風呂に入り布団に入って暫くの間、懐かしく愛おしい藍斗の事を考えた。

 そして、いつの間にか眠っていた。

 翌朝、いつも通りに起きて今までの日常と変わらない行動を取った。

 まるで、昨日の事は夢だったかの様に……。

 いつもの時間に出勤すると、普段は自分よりも遅く出勤して来る筈の信子がいた。

「北沢さん、今日は早いんですね。」

「えぇ。今日は、たまたま早く起きれたのよ。全君は相変わらず早いのね。」

「俺のは、習慣です。
 ところで、俺に頼みたい仕事って何ですか?」

 不思議そうな表情で自分が訊くと信子は、不機嫌な表情で答えた。

 どうやら彼女は自分が嫌味を言ったと勘違いしているようだ。

 自分は、そういうつもりで言ったのではなかったのだが……。

 ただ単に疑問に思ったから訊いただけだった。

 しかし彼女は、そう思っておらず言い方に少し刺があり嫌味を返すように言ってきた。

 此処で下手に嫌味の話題に触れると信子が怒り出しそうなので、自分は話を誤魔化そうと思い、昨日の話題を振った。

 すると彼女の表情は、いつものような穏やかさを取り戻していた。

「それがね、昨日、行き成り上に呼び出されて今日から新人が入るから教育をよろしくって頼まれたのよ。」

「新人?今の時期にですか?だって、9月ですよ。普通は4月じゃ……。」

 9月も終わりに近付いているというのに新入署員が入るという異例さに驚きを隠せず、思わず信子の聞き間違いだと思い言葉を投げた。

「私も、聞き間違いじゃぁと思って、もう一度訊いたんだけど。答えは同じだったのよ。」

「はぁ。で、その新入署員と俺に頼みたい仕事と何の関係があるんですか?
 まさか、俺が新入署員の面倒を見るなんて事ないですよね?」

「流石、全君。勘が良いわ。私が、見ようと思ったんだけど。新人君が全君を指名しているのよ。私も貴方なら大丈夫だと思ったからOKしたのよね。」

 信子も自分と同じ事を疑問に思ったようで上に尋ねていた。

 考えてみたら彼女が、異例の事態を何の確証もなく話す筈がないのだ。

 そして、新入署員が入るという話を自分にするという事は、新人の面倒を見ろと言われているのと同じなのだが少しの確率でも、ただの世間話だと信じたかった自分は彼女に恐る恐る現実になってほしくない方を尋ねた。

 しかし、それは悲しくも現実のものとなって自分の元に舞い込んできた。

 しかも、新入署員のご指名で……。

 そこで、小さな疑問が生まれた。

 何故、新入署員の人間が自分の名前を知っているのかと。

 その理由は分かっている。新入署員は自分の知り合いという事だ。そう考えていると、ふと昨日の藍斗の言葉を思い出した。

 とても嫌な予感がする。

 新入署員は藍斗ではないかという期待が頭を過ぎる。

 そんな事はないのに……。

 自分の自惚れを正す為に、新入署員の名前を訊こうと口を開くと、

「あっ、噂をすれば。彼が今日から働く守塚藍斗君よ。」

 信子が自分の後ろにある入口に目を移して言った。

「えっ!?あっ……藍斗!?」

 自分の耳を疑った。

 まさか、藍斗が警察官、それも所轄に入ってくるとは思ってもいなかった。

 彼ならエリートコースまっしぐらの筈なのに何の為に此処にいるのか見当も付かなかった。

 自分が、そんな事を考えているなんて露程も知らず藍斗は、にこにこ笑って近付いて来た。

 人の気も知らないでと思いつつも彼が嬉しそうに近付いて来るのを可愛いと思ってしまうのは、惚れた弱みというものなのか……。

「あら、貴方達、知り合い?」

「はい。高校の時からの……友人です。」

「そうなの。何だか、全君に友達がいるなんて想像も付かないわ。」

 信子が驚くのも無理はない。
 
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