短編集
□温かなもの
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まだ、人の世に魔女がいて、魔女狩りが盛んに行われていた頃。
一人の魔女が夜の賑やかな街で人混みに紛れながら人の生気を食べていた。そんな彼女が狙うのは決まって、ほろ酔いになっている若い男性だった。
彼等を狙うのは、綺麗な女性が近付いて来れば拒みもせず誘いに乗り尚且つほろ酔いなので更にお酒を飲ませれば記憶は薄れ顔を覚えられる事もなく安心して食す事ができたからだ。
その為、彼女の活動場所は決まってほろ酔い気分になった男達がよく通る薄暗い路地裏が多かった。
「そこの、お兄さん。」
魔女は常磐色の髪を靡かせて、ほろ酔い気分で歩いてくる若く気弱そうな男にさり気無く近付いて声を掛けた。
声を掛けられた事に驚いたのか、見ず知らずの女性に声を掛けられた事に驚いたのか男はびくっと体を震わせ彼女の方に視線を移した。
彼の目は何故か怯えている。
彼女は自分が魔女である事を彼は知っているのかという考えが一瞬、脳裏を過ぎったがこんな頼りなさそうな男に正体がばれるようなへまはしていないという結論に至った為、彼女は彼の怯えた目を無視した。
「おっ……俺ですか?」
もごもごしたような声音で言葉を返す男に魔女は妖艶に微笑んで見せた。
そして、彼の肩に手を乗せると耳元で囁くように言う。
「そうよ。…私と遊ばない?安くするよ。1000ポンドでどう?」
「じゃぁ、ちょっとだけ…。」
耳元で囁かれた男は、頬を薄く染めた。先程の怯えは既に目から消えている。
女性に声を掛けられた事が今までなかったのだろうか。
彼の目から怯えの色がなくなり気分が乗ってきている事を確認した魔女は彼に気付かれないように企んだ笑顔を浮かべた。
そして、肩に乗せていた手を下ろし近くの酒場の扉に手を掛け男に誘うような目をして口を開く。
「ようこそ、楽園へ。」
魔女の色気に誘われるように男は扉を潜って酒場の中へと入って行った。
中は、多くの男と娼婦で賑わっていた。ある者は、ぐでんぐでんに酔いながらも酒をジョッキで飲み、ある者は酔っ払って近くに居た女性にセクハラを働いていた。
この酒場は、町で有名な何をやっても許される場所だった。
法令も此処では何の効力も無く、いろんな身分の人間が自由に酒を飲み現実から逃避していた。
魔女だとは知らずに酒場へと来た男は、勧められるがままに酒を飲み続けていた。
始めは、強いお酒を少量ずつ、しかし時間が経つにつれてアルコールの度数は関係なく大量のお酒を飲ませられた。
彼女の話があまりにも上手すぎて、尚且つ詰まらない話ばかりをする自分の言葉を退屈な素振りを一つも見せずに聞いてくれる彼女に男は嬉しくてついついお酒に手が伸びてしまうのだった。
彼女と酒場に入って1時間もする頃には、男は完璧に酔っ払ってテーブルの上に飲み掛けのジョッキを持ったままうつ伏せになっていた。
そして、男はジョッキの持ち手を持ったまま呂律の回らない言葉で呟く。
「もう、飲めない……。」
「あら、そう。残念ね。じゃぁ、またね、お兄さん。」
男の言葉に魔女は満足そうに微笑んで、彼の財布から1000ポンドを抜き取ると眠っている彼の唇に自身の唇を合わせる。
そして彼から生気を奪った。
「あっ、……ふぅ。」
男は生気を吸われたのと同時に疲れたような息を吐いて、そのまま眠りの世界へと入って行った。
彼が眠りの世界に入っていったのを見届けた魔女は、マスターに彼から貰った1000ポンドを払い、店を出て行った。
それから魔女は町中の路地裏を回っては手ごろな男性を見つけ酒に溺らせた後に生気を吸い続け、それを5回も繰り返した。
満足した表情を浮かべながら彼女は町から大分離れた森の中へと歩いて帰ると、自分の家の前で扉を開けながら口を開く。
「今日も沢山、稼いだし、お腹も一杯。言う事ないわ〜……んっ?」
「…………。」
うきうきして魔女が自分の家に入ると、そこには見知らぬ青い目をして短めの淡い黄色の髪をした5歳くらいの少年が怯えたような表情を浮かべ、体を震わせながら暗い部屋の中央にあるテーブルの側に立っていた。
人を招いた覚えなどないのにそこに居る少年に彼女は驚きを隠せなかった。
しかし、それと同時に彼女は疑惑の念に駆られた。この辺は余程の用がない限り人間は来ない。なぜなら、此処は普通の人間から見たら邪悪だという存在の魔女が多く暮らしているからだ。
そんな所に人間が来るのは、難病に効く薬草を取りに来るか、魔女達を狩るハンター達しか来ないのだ。
こんな年端もいかない少年に魔女が狩れるとは思わないが、仲間が居るかもしれないと彼女は念の為、用心した。
できるだけ早く彼を家から追い出せるように彼女は優しく微笑むと声を掛ける。
「坊や、私の家に何かご用?」
「……。」
魔女が優しく訊いても少年は口を動かすだけで何も言わなかった。
子供は雰囲気だけで人間の善悪を判断すると誰かが言っていたように彼も自身の事を魔女だという事が、それだけで分かったのではと彼女は不安になった。
しかし、此処で不安になっていても何も解決しないという事が判っている彼女は不安の気持ちを抑えて彼に更に問い掛ける。
「どうして、何も言わないの?」
「……。」
声に少し苛立ちの音を入れて言うと、少年はびくっと体を震わせて口を動かすが、やはり何も言わない。
魔女は、まさかと思いつつも一つの答えを彼に投げ掛ける。
「もしかして、話せないの?」
魔女の言葉に少年は悲しい表情をして頷いた。
それを聞いた彼女は、彼が魔女狩りの仲間である事を否定した。なぜなら、声の出せない彼が仲間を呼ぶ事などできないからだ。
もしできたとしても、それは危険な賭けになる。
尚且つ、魔女である彼女が彼の賭けをみすみす見逃す事など無いからだ。
彼が話す事ができないという事を知った彼女は深々と溜め息を吐いた。
「帰る家は…ないのね。お腹は?」
家という単語を魔女が言うと少年は、びくびくと体を震わせ今にも泣き出してしまいそうな目をしていた。
彼女は、どうしてそんなに家という単語に反応するのか疑問に思ったが、敢えてそれを訊く事はしなかった。
訊いたところで彼女には、どうにもできない事は彼女自身よく分かっていたからだ。
それに人間に愛着を持つ事もしたくはなかった。
しかし、少年の悲しそうな色をした青い瞳を見ると何か彼の為にしてあげたいと思ってしまった孤独な魔女は、再び彼に問い掛けた。
すると彼は首を横に振り否定したが、お腹からは猫が唸るような音が響いて空腹である事を訴えている。
お腹が鳴った事が恥ずかしかったのか少年は赤面しながら慌ててお腹を押さえた。
必死でお腹が鳴った事を隠そうとする少年の行動が可愛らしくて、魔女はくすくす笑った。
「空いてるのね……。でも、うちには人間の食べ物なんてないし…。今日だけ我慢っていうのも可哀相よね。……仕方ないわね、私の満腹感を分けてあげるわ。目を閉じて。」
「?」
魔女は少年に何か食べ物を上げたいと思ったが、自分の家には人間が食べる物など一つもなかった。
しかし、このまま彼を空腹にしておくのも忍びなかった彼女は最後の手段を使う事にした。
彼女が何をするのか分からない少年は首を傾げて目を閉じようとはしなかった。
なかなか目を閉じようとしない少年に痺れを切らした彼女は苛立った表情を浮かべて彼に言う。
「早くして。」
魔女に強い口調で言われた少年は慌てて目を閉じて見せた。すると、両頬に温かいものが触れたと思ったのも束の間、次の瞬間には唇に何か温かいものが触れる。
驚いた少年は目を見開いた。
そこには整った魔女の顔と長い常盤色の睫毛が視界を遮っている。
「!!」
キスをされている事にびっくりして少年は何度も瞬きをした。しかし、整った顔をした魔女の顔は中々彼の元から離れる事はなかった。
そして、不思議な事に彼の空腹感が彼女にキスをされている間に何処かへと行ってしまい代わりに満腹感が彼の元にやって来た。
驚いた少年は更に目をぱちくりさせた。
すると彼女の目がゆっくりと開き始め、それと同時に唇が彼の元から離れていった。
その綺麗な姿に少年は幼いながらに頬を赤らめていた。
顔を彼から離した魔女は、柔らかく微笑んで口を開いた。
「どう?・・・満腹になったでしょ?」
魔女の言葉に少年は静かに頷いた。
それを見た魔女は安心したように微笑むと更に口を開いた。
「なら、良かった。……さて、寝ましょうか?」
魔女の言葉に少年は驚いた。
彼が驚くのと同じくらい、言葉を投げた彼女も驚いた。
泊めるつもりは微塵もなかった。ましてや人間を家に置くという危険と隣り合わせの行為を自分が取るとは思ってもみなかった。
かといって、言ってしまった手前、今更、前言を撤回するわけにもいかず彼女は少年を自室へと案内する事にした。
少年も小さい体で此処まで歩いて来た為だろう、眠そうな表情を浮かべている。
彼を泊めるのは彼のその悲しい表情に同情しただけだと、自分に言い聞かせた彼女は明日には彼をどうやって追い出そうか考えながら部屋と案内した。
部屋に着くと、彼女はベッドの隣にある少年の背よりも低い棚の上に置いていたシンプルなランプに明かりを灯した。
部屋の中は必用な物しかなく人間の女性では考えられない程、生活感のまるでない部屋だった。
セミダブルのベッドと小さめの化粧台しかない、そんな殺風景な部屋を見渡しながら少年は緊張した面持ちで、隣で考え事をしている魔女の顔を見た。
すると魔女は、短く息を吐いてベッドに彼を連れて近付くと口を開いた
「ベッドは、これ一つしかないから嫌かもしれないけど一緒に寝ましょ。」
仕方ないという口調で言う魔女に少年は小さく頷いた。
彼が承諾した事を確認した魔女は、彼をベッドに寝かせるとランプの火を消して自分もベッドに入って眠りに就いた。
寝ている間、ずっと魔女は少年に手を握られていた。
その手が温かくて魔女は、その日、今まで感じた事のない程、気持ち良く眠る事ができた。