短編集
□放れない 放さない
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「あんた誰?」
後ろから声がして俺は振り向く。
そこには、あの青年が不機嫌な表情で立っていた。
人の家の前で寝てたくせして、この横柄な態度はなんなんだ。
俺は、失礼な奴だと家に入れたことを半ば後悔した。
しかし、相手は少なくとも俺より年下。
ここで目くじら立てて怒るのも大人気ないと俺は言葉を飲み込んだ。
「俺は、藤波 芳明(フジナミ ヨシアキ)だ。……で、君は?」
尋ねる俺に男は驚愕の目をして俺を見詰める。
もしかして知り合いだったか?
俺は男の顔をしっかりと見るが、友人ではないし知り合いにも彼のような人間はいない……はず。
まさか有名人とか?
でも、彼をテレビで見たことはない。
「もしかして、お前、指名手配犯なのか?」
言った俺の言葉に男はムッとした表情をした。
逆に俺は、「えっ」という表情で彼を見た。それがまた彼の癪に触ったらしい更に不機嫌な表情になった。
「だったら、とっくにあんたを殺して金を奪ってるさ」
「そっか、そうだよな。じゃあ、君は?薄情で悪いが、俺は君を覚えていないんだ」
「俺は…俺は、倉橋 静(クラハシ セイ)。今、一番、売れてるグループ、デティーのヴォーカルやってる。芸名はsey。毎日、テレビに出てるし街中にポスターとかも貼られてるんだけど…あんたは知らないのか?」
言われて静をじっくり見てみるが、見覚えはない。
会社までは徒歩圏内で公共の物は利用しない。それに人混みを避けるべく道は横道、路地裏、当たり前。
テレビも殆どニュースばかりでバラエティーや歌番組は見ない。
そんな俺の知ってる芸能人なんて指で数えられるくらいだ。
しかし、知らないのは彼に悪いことをしたと俺は申し訳なく思った。
「まぁ、いいけどな。知らねー奴は知らねーし」
俺に気を使ったのか平然として言ってのけた静は、テーブルの方を見た。
「ところで、その飯、俺も食っていい?」
答える間もなく静は 席に座るとテーブルを見渡し箸を見つけ食べ始めた。
黙々と食べる彼にご飯を出し、お吸い物を出した俺は、自分の分を用意して向かいに座り漸く食に手を付けた。
一応、余分に作ってはいるが、静が勢いよく食べるため少ないように思える。
少なくとも明日、俺の弁当に詰めるおかずはなさそうだ。
「芳明って飯、作んの上手いのな」
粗方、食い終わった後、静はお茶で占めながら言った。
既に呼び捨て、しかも明らかに俺の方が年上なのに横柄な態度。しかし、それが嫌だと思わないのは彼の持つ独特の雰囲気からだろうか。
まぁ、呆れはするが……。