文


□ モノクロの思い出
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「アリスが一番大切だよ」

と、彼は言った。柔らかい感触が、頭の上を行ったり来たりする。心地が良くて目を瞑る。息を吸って、彼の名前を呼ぶ。彼は目を細めて笑う。しかし次の瞬間、ボールが破裂したような乾いた音が響き、左頬に激痛が走る。


彼は左頬を撫でる。撫でられる度に涙が流れる。痛いからではい。愛を感じるからだ。でも、左頬は相変わらずジンジンとしている。





頭上から沢山のキスが降ってくる。彼が自分を求めている事がわかる。勿論、自分も彼を求めている。だから彼を呼ぶ。しかし、彼を呼ぶとぶちっという音と共に口の中が切れる。口の中に広がる血液を、彼は優しく舐めとってくれる。傷口が痛み、涙が流れる。





ふいに手を握られる。
彼の手を握り返す。

「行かないで、忘れないで」


見上げれば、彼は泣いていた。

口を開く。何か答えようとする。しかし言葉は出てこない。


「居ないの」

私の変わりに、体の内側から誰かが言う。

「白いうさぎさんなんて、居ないの」


彼は目を見開き、何か言おうとしたが、口を閉じた。彼の指の先がゆらゆらと揺れて周りの景色に溶け込んでいるのを、ぼんやりと見詰める。

瞬時に、今ならまだ間に合う、と思った。今名前を呼べば、溶けてしまった彼の指が帰ってくる事を私は知っていた。

「シ」、「ロ」、「ウ」
そこまで言うと、頭の隅でボールが破裂した。私は素早く反応して、まず頭を手で覆い隠した。そこからは早口言葉だ。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。








強く抱き締められて、早口言葉を止める。今度こそ彼の名前を呼ぼうと顔を上げたが、抱き締めていたのは彼ではなく友人だった。

「亜莉子は悪くないよ」


恐る恐る友人の名前を呼ぶが、ボールは破裂しない。今度は安心して名前を繰り返した。何度も何度も繰り返した。





友人に慰められながら、溶けていった彼のことを考えていた。今なら名前を呼んでも大丈夫かもしれない、と思ったが、どうしても彼の名前が思い出せなかった。







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2010/05/15
うさアリ
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