...復活

□雨の日
1ページ/1ページ

朝から思わしくなかった空模様が昼過ぎに崩れだして、五時間が終わる頃にはしぶき始めた雨がグランドをぐちゃぐちゃに荒らしていた。これでは今日の部活は筋トレかぁ、なんて肩を落としていると、ドアの方で見知った友達の声がした。丸刈りのそいつは隣のクラスだったが、部活で毎日顔を合わせている。
「山本!今日部活なしだって」
「えっ、なんで?」
「コーチが、ためには骨休めしろってさ」
「ふーん、そうか」
大好きな野球が出来ないとわかっても、不思議と俺は落胆しなかった。どの道今日は基礎トレばかりでバットもグローブも持たせて貰えないのだ。それならば、たまにはツナや獄寺と一緒に帰るほうがよっぽど有意義だ。
じゃあな、とそいつに手を振ってから、俺はくるりと獄寺のほうを顧みた。わざと大声で話してやったのだ。勿論獄寺は俺の放課後が今まさにフリーになったことを知っている筈だ。意味深に笑いかけると、獄寺は鼻白んだ顔で俺を見ていた。ふたりきりのとき、獄寺が俺に向ける表情だった。
俺たちが付き合ってから(と言うと、まだ抵抗があるのか獄寺は怒る)もう三ヶ月が経とうとしている。その間いくつか発見があった。ツナと三人でいるときは、きゃんきゃんと犬みたいに俺に絡んでくる獄寺が、ふたりきりになった途端寡黙になる。俺が何を言っても「バカじゃねぇの」とか、「ふうん」とか呟くだけで、まともに取り合ってはくれない。いつものしかめっ面さえそこにはなくて、獄寺はどこかぼんやりした顔で、心なしか上の空に見えた。お前俺のことすきって言ったくせに何で物思い耽る必要があるんだよ、俺は此処にいるのに!なんて詰め寄ると、獄寺は「何わけわかんねえこと言ってんだ」と、俺の暑苦しい腕を払った。まったくクールだよお前は。クールすぎてむかつくよ。俺の頭ん中はいつだって獄寺のことでいっぱいなのに、どうして獄寺はそうじゃないんだ。
大体、キスだってろくにさせてくれないし、未だに家にも上げてもらえないし、これで本当に付き合ってるって言えるんだろうか?これでは付き合う前と何一つ変わらない。獄寺は「俺のこと好き?」と問いかければ「うん」と言ってくれるし、人気のないところでキスをしても嫌がらない。だがそれだけだ。キス以上のことは一切許してくれない。セックスなんて妄想の中でさえ許してくれなさそうだ。
「暗くね?」
不意に誰かがそう言って、薄汚れた白いカーテンで遣らずの雨を覆い隠した。蛍光灯で室内が明るくなり、獄寺の銀色の髪が透けるように光を灯す。獄寺はもう俺を見ていなかった。机の上には薄っぺらな鞄が手持ち無沙汰に放り投げてある。
「俺傘持ってきてないよー。ああ、ついてない」
ツナがそうぼやいたのを機に、獄寺の物憂げな眸が上向いた。そうしていつもの可愛らしい笑顔をツナに向け、「十代目、俺持ってきてますよ!どうぞお使いください」と鞄の中からそそくさと折りたたみ傘を取り出す。今日は朝から暗雲だったので、用意のいい獄寺はしっかり雨対策をしてきたらしい(というか、晴天の日だって常備してそうだ。ツナの役に立ちたいがために)。
「俺の分もある?獄寺」
タイミングを計って、ふたりに割って入ると、獄寺は案の定しかめっ面で俺を睨み上げた。
「山本、部活ないの?」
「ああ、雨で休み。一緒に帰ろうぜ」
「うん」
俺の笑顔に応えて、ツナは可愛らしい童顔でにっこり笑った。獄寺があからさまにやきもちを妬いて口をもごもごさせたのが視界の端に映る。このくらいの意地悪はいいじゃないか。お前が俺に取る素っ気無さに比べれば。
獄寺は傘をふたつしか持ってきていなかった(つくづく俺にはやさしくない)。三人のうち一人は野郎同士で相合傘をしなければならないとわかって、真っ先にツナが獄寺に気を遣った。
「俺は山本と使うからいいよ、獄寺君の傘なんだし」
獄寺は一瞬躊躇いがちに眸を揺らしたが、すぐに意を決したようにツナへグレーの折り畳み傘を差し出した。
「いえ!こんなでかい図体のやつと相合傘なんてしたら十代目が濡れますよ。俺はいいんで、どうぞ十代目がお使いください!」
「でも…」
「いいんだよ、ツナ。俺が獄寺と相合傘したいんだから」
遠慮するツナに、俺はあっけらかんと笑ってそう言った。冗談にも取れる範囲だろうから俺的には全然問題なかったのだけれど、横にいる獄寺は顎でも外れたかのように大口を開けて俺を凝視していた。
「ばっ…」
「あはは、じゃあそうさせてもらおうかな」
獄寺の怒声は、ツナの呑気な声に掻き消された。獄寺はツナの笑顔を一瞥して、もう一度俺を見る。恨めしげな目だったが、もう噛み付きはしない。結局獄寺は、ツナさえ笑っていれば文句を言えない。
玄関でちょっと待ってください、とツナに断った獄寺は、学校の傘置き場から一本ビニール傘を引き抜いて持ってきた。100均によくある何の変哲もない透明傘だ。有り触れたものだったけれど、折り畳み傘なんかよりよっぽど獄寺らしいと俺は思った。
「備え付けかよ」
「毎日二本も持ってきてられっか」
獄寺は俺に小声で毒づいた。
ばん、と音を立てて傘が開く。俺たちの頭上に小さな屋根が出来た途端、外界の音がほんの少し縁遠くなった。ツナの声も、通り縋る車のエンジン音も確かに聞える。けれどどれもくぐもっていて、はっきりとは届かなかった。なのに、傍にいる獄寺のことだけは、息遣いまでも明確に認識できるのだ。ふたりきりじゃないのにふたりでいるような錯覚を起こして、俺は気色ばんだ顔で獄寺を見遣った。
獄寺はツナの声を探すように、そちらばかりを見ていた。傘を持っているのは獄寺だから、さっきから俺の頭をばしばし傘がつつく。いつの間にか肩から胸にかけて、俺の制服はずぶ濡れで、傘はなんの役割も果たしてはいなかった。
そうして、ツナの家へ着いた頃には俺も獄寺もすっかりずぶ濡れになっていた。ツナが実に申し訳なさそうな顔で灰色の折り畳み傘を差し出す。
「ごめんねふたりとも。俺だけひとりで使っちゃって」
「いえ!お気になさらないでください十代目」
獄寺がずぶ濡れの顔で笑うのを、俺は呆れた目で見つめた。俺を此処までおざなりにしといて、何でお前まで濡れてるわけ?
「家で服とか髪乾かして行けば?」というツナの提案を、どうせ帰りも濡れるから、という理由で獄寺は辞退した。こいつがツナの誘いを断るなんて実に珍しいと思いながら、俺もいいや、とツナに言う。そうして俺たちはまたふたり連れ立って歩き出した。獄寺は手にふたつの傘を持っている。左手には、ツナから返された灰色の傘が小さくなったまま納まっていた。
俺は無言で獄寺の手から白い持ち手を奪い、ふたりの頭上に翳した。上背のある俺が差してもやっぱり傘自体の面積が足りなくて、相変わらず肩は濡れる。けれども、獄寺は両手が空いた今でも一向に傘を開こうとしない。
奇妙な沈黙が流れた。
そうこうしているうちに獄寺のマンションの前まで来て、俺たちは身体だけ向かい合って俯いていた。濡れた獄寺の顔に、いつもはセンターで分けられている長い前髪が下りている。見慣れないその顔が妙に幼くて、俺は下を向いた獄寺の頬に軽く口付けた。
「……獄寺のせいで濡れたんだけど」
俺は意地悪く笑って獄寺の顔を覗き込んだ。
「お前が傘持ってこねえからじゃねえか……」
「そうだけど、獄寺だってその傘、開かないじゃん」
「……これは別に……」
獄寺は、またあの希薄そうな無表情を浮かべていた。いつもならこっちを向けと怒り出したかもしれないけれど、そのときの俺はちっとも頭にこなかった。それどころか、一向にこっちを見ない獄寺が面映くて仕方がない。
「家、上げてくれる?ドライヤー貸して」
あと、風呂も。
「……別に」
いいけど、と獄寺は唇の動きだけで呟いた。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ