短編拳銃活劇単行本vol.1

□キサラギ・バラード
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 それに誰もが知っている……彼女は誰かに雇われた末端で、彼女を殺しても何の解決にもならないと。
 その仕組みを教えてもらったのか会得したのか、彼女は名前と仕事振りが流布されている割に彼女の名前と顔を同時に覚えられることは少ない。
 顔を晒し、仕事振りが評価されているのに、名前は誰の記憶にも印象が薄く残るだけ。間違い無しに裏の世界を渡り歩く為に生まれてきたような天才気質だった。
 尤も……天才気質であるか否かを判断する材料すら数が少ない。
 三代は今夜も二月の寒風の中、男性用フライトジャケットを着て路地を歩く。
 口に銜えたチョコレートフレーバーのシガリロとフレームレスの眼鏡。それと高校生の陸上部員のようにさっぱりとしたショートカット。成年とも未成年とも伺える風貌。やや抽象的な美貌。メイクを施せば大きく化ける可能性を無限に秘めた逸材。それを台無しにする彼女の手腕。左手を尻ポケットに伸ばしてそこに突っ込んでいた黒いニット帽を取り出して無造作に頭に被る。左手首にキラリと純金の紳士用ロレックス・デイデイトが光る。彼女の細い腕には厳しく腕枷のように重厚だった。
 明らかなオーバーサイズのフライトジャケットとロレックス。顔の輪郭を曖昧にさせるフレームレスの眼鏡。これだけ特徴のあるアイテムがバラバラに体に『付属』していると逆に、顔そのものの印象が薄くなる。例えば彼女の獰猛な目つきも何度か振り返って確認し直さなければ、只者ではないと認識できない。彼女の顔に興味を持つ人間が現れても、薄いルージュが引かれた、隠れるように可憐な唇に視線が注がれて目を直視するのは後回しになる。
 特徴のある物を身に纏う事で顔の印象を薄くさせる。更に、平凡な体躯、平凡な顔……を演出。実際の彼女を……何も纏わぬ彼女を目にするのは運が良いのか悪いのか。
 メンズ物のフライトジャケットを着ているのも、体躯の隠蔽に一役買っているのは言うまでも無い。
 三代はドブの排水溝に銜えていたシガリロを吐き捨ててフライトジャケットのハンドウォームに手を突っ込んだ。使い捨てカイロがじんわりと温熱を提供してくれる。口から白い息が漏れる。
 路地を歩く。脳内には既に今夜の仕事場への地図と見取り図、それに撤退ルートも投影されている。
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