短編拳銃活劇単行本vol.1

□無明の瑕
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 渋面。
 苦い顔。苦い物を飲み込んだ様な顔。ネット上のフリー辞書の参考画像に渋面の典型例を画像として添付するのなら今の彼女の顔が最適だったろう。それほどに見事な渋面でガラスコップの内容物を嚥下した。
 南条美奈(なんじょう みな)がこの世の濁悪を全て飲み込んだ顔の直接の元凶となったのは、二日酔いの頭痛を沈静させるアスピリン配合のアルカセルツァーを一気にガラスコップを半分以上飲み込んだからだ。そして二日酔いの現況を作ったのは自分の不手際を呪って深酒をした事が原因だった。
 南条美奈。この界隈の闇社会では良くも悪くも名前の通った殺し屋だった。……そう。殺し屋だった。今ではその時の伝を頼りに何でも屋を引き受けている唯の便利屋でしかない。31歳の若輩ながら優れた身体能力と潜在的能力を駆使してあらゆる依頼を全うしてきたのは10年も昔の話だ。10年有れば銃弾を度数の高いと酒と飲み干してしまうのに充分な時間だと言えた。殺し屋とも有ろう者が寿退職で綺麗にこの黒一色の世界から足を洗おうと逃げ出そうとしたばかりに降りかかった災厄。その災厄を振り払う為にまたも殺し屋界隈が犇く暗黒社会に戻ってきた。
 14歳から始めた殺し屋稼業。21歳の時に一晩だけを供にした男との間に生まれた娘の為に殺し屋稼業を廃業して善良な市民に成り上がろうとした。どうしても殺し屋としての才覚と腕前が必要なクライアントは美奈の男を誘拐し、拷問に掛けると脅したが、自分の、入籍もしていない男よりも自分が腹を痛めた娘の命を優先した。結果、男は殺された。それでも美奈は暗黒社会に戻ろうとはしなかった。
 彼女に転機が訪れたのは……否、災厄が訪れたのは、娘が2歳に成った頃だった。娘の美津乃(みつの)に重大な心臓病が発見された。国内での手術は法律上のハードルが高過ぎて不可能だった。海外なら可能。だが、先立つものが無い。
 彼女がカムバックを果たしてしまった理由はそれだった。
 金が欲しい。
 嘗ての殺し屋稼業なら幾らでも金が稼げる。捨てたはずの拳銃を掘り返して手に取るまで大した時間は掛からなかった。
 金は入る。人を殺せば金は入る。だが、出る金も大きい。ガンマンと紙一重の殺し屋だった彼女が何でもこなす便利屋を名乗るようになったのはつい最近のことだ。殺し屋稼業だけでは稼げない。稼ぐ額面は知れている。だから暖簾を広げたのだ。
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