短編拳銃活劇単行本vol.1
□灰燼にKISS
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暗い。
暗い暗い。
ずっと暗い、空間。
空間。そう。空間だ。暗いのに、何も見えないほど暗いのに『空間だと認識出来る暗さ』なのだ。
何者も何物も感知できぬ暗澹を巡らせたベールが視界を覆っていても、此処が感覚で空間だと認識出来る『場所』である事は確かだ。
浮遊感は無い。両足は地面に吸い付く様に立っている。
呼吸は出来る。苦しくない。
耳は研ぎ澄ませている。然し何も聴こえない。
鼻腔は自らが銜えるシガリロの煙しか感知しない。
視覚は相変わらず光を失ったかの様に漆黒の中空しか捉えない。
肌は、触覚は、第六感は……全てが自分を放棄した様に解離を起こしそうだ。
――――『見得ろ!』
自らに言い聞かせた脳内シナプスの回路が連鎖反応を起して、電工職人が手際良くブレーカーを開く様に繋がっていく。その作動音が細かな擬音を伴って耳に聞こえてきそうだ。
シガリロのニコチンに中てられて口腔に唾液が分泌されてくる正常な生理反応が爆発音を連想させる。唾液の嚥下はそれ以上に不快な轟音だった。
――――『見得ろ!』
何を『見得る』のか。
この暗いだけの空間で。
この暗いだけの空間で一糸纏わぬ姿でシガリロだけを銜えて自ら進んで入り込み、あまつさえ人間の感覚が刹那の時間で魯鈍に陥る苦行を強いる。
時間の経過を報せる手段は慣れ親しんだシガリロの味の変化のみ。
此処が空間であると云う事実を認識していなければ、認識すると云う思考すら鈍重に攪拌される世界。
其処に彼女は居た。
肩幅に開いた足でしっかりと立ち、腕を組んで黙想する事無く、眼光を殺さず、意志の強さを代弁する小さく整った唇の端にシガリロを挟んで、立っていた。
空気の僅かな澱みを肌の産毛が感じ取り、微細に逆立つ。
――――『見得ない』……か
唇を火傷しそうな熱を感じると彼女はシガリロを唾を吐く様に捨てて大きな溜息の後に抑揚を感じさせない声で目前の人間に語り掛ける様に喋りだす。
「止めてくれ。今日も駄目だ。成果無し。はい、ご苦労さん」
台詞の割りに感情が無い上に、何処か蓮っ葉な喋り方なので背伸びをした近所のクソ餓鬼じみた印象を受ける。
その台詞を合図に幾重にも取り囲んでいた黒いカーテンが外周からレールを滑って捲られていく。