短編拳銃活劇単行本vol.1

□深淵からの咆哮
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 その京の体を優しく重心移動だけで軽く押す彼女。ただでさえ余裕の無い京は彼女の柔らかい胸の感触をパーカーの袖越しに感じつつ彼女に誘われるままに爪先の方向を変えていく。
「私、セクシャルには寛容な世界が好きなの」
 彼女は歩きながら京の耳元で囁く。彼女と京の背丈は同じ。京は仕事上、筋骨は優れている方だと自覚しているが、同じ身長であるはずの彼女は葦を思わせるほどに細かった。彼女の柑橘系の甘い香りが京の鼻腔を擽る。同性でも頭が惚けてしまいそうな香りだ。それに引き換え自分は硝煙や排気ガスや紫煙の臭いを誤魔化す為の対策としての香水しか使っていない。圧倒的な『慎ましく淑やかな大人の女性』の色香に眩暈がする。彼女の見た目の年齢は自分と同じくらいだろう。顔付きは少し面長で薄い唇が印象的。筆で引いたような眉の手入れの仕方など京には真似は出来ない。
「わ、私……も。かな」
 気を抜けば論点がずれそうな返答をする京。自分がエスコートしているはずなのに自分の行く先は彼女の手の中にある錯覚。彼女は……もしかしたら『私が声をかけるのを待っていた』のかもしれない。何もかもが名前も知らぬ彼女のたなごころに有るとすれば今日の出会いすら怪しんでしまう。
 やがて道の駅の敷地内の駐車場でも端のほうにあるエリアにやってくる。疲労を覚えるほどではないが喫茶店からは可也離れた距離だ。
「まあ、狭いけど『上がって』」
 彼女は自宅に招き入れるように白いハイエースロングバンのリアのスライドドアを開けた。
「はあー」
 驚く京。自分が誘拐されるような驚きではなく、車内の装備に驚いたのだ。
 スモークガラスだと思っていたが黒い特殊な断熱遮音シートを貼り付けてあり、車外から内部を見る事が出来なかった車体。その内部は車中泊に特化したハイエースだった。フルフラットのフロアには毛足の長いラグが敷かれ、運転席後部には車体後部に向かってギャレーやポータブル冷蔵庫、ポータブルバッテリーやカラーボックスが整然と『装備されていた』。そして最後部には温かそうな分厚い毛布と『枕にも使えそうな』クッションが二つ。電飾電装も整っているのか、助手席の後部側には増設された各種ソケットが有る。更にそのフロアに乗り降りする部分ではFFヒーターの噴出し口も見える。レンタルなのか自前なのかは不明だ。ただ言える事は、彼女はこの行為は初めてではなかったことだ。
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