短編拳銃活劇単行本vol.1

□躊躇う脅迫者
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 集客にも内装にも力を入れていないこのバーの名前は【サラトガ】。初老の店主が好きだったシガリロの名前を付けたらしいが、今ではそのシガリロは廃盤になって久しい。誰もそんなマイナーなシガリロの名前を思い出しやしないだろう。
 場末のバーと云う雰囲気を包み隠ししない度胸のある拵えの店内はカウンター席が8つにボックスが2つ。こじんまりとした造りの店としては何処にでもある平凡なレイアウトだ。【サラトガ】が開店する前に閉店したラウンジバーを居抜きのまま利用したので内装にも凝っていない心情が解る。詰まり、安く経費を抑えて開店したかったのだ。開店した当時はまだ県条例が五月蝿くなかったので喫煙者も非喫煙者も同じ空間で長居できる様にと、強力なオゾン脱臭装置を天井に埋め込んだが、それ以外に大して金は掛けていない。並べるべきアルコールにも供する軽食にもだ。
 自由に紫煙を吹かしながら見慣れた酒を呑める、シガーバーのように敷居が高くないバーとしてこの繁華街の一角で今日もオープンの札が掛かっている。
 首都圏と比較すると規模は小さい繁華街のとある路地裏への入り口付近で【サラトガ】への入り口は有る。探偵を始める前から、10年以上前から雪子はここの常連だ。偶にしか酒を注文しない変わった客。当時、店主は競合店が放った新手の嫌がらせかと勘繰ったが、耳を澄ませばいつでも空腹を訴える彼女の腹の虫に同情して新しい軽食メニュー――新しく仕入れたレトルト食品――を試食してくれと遠回しに恵んでやったら、そのまま半野良の猫のように居座ってしまったのだ。同情しておいて困惑したが、とあるトラブルを【サラトガ】が被った時に現場に居合わせた雪子が「まあまあ、なあなあ」と宥めて穏便に解決した。一度や二度では無い。酔っ払いの喧嘩からヤクザのミカジメ料まで雪子は居合わせると必ず問題を解決した。この辺りの飲食店でミカジメ料が一桁少ない金額で済んでいるのは雪子の働きに依るところが大きいのは一目瞭然だった。それから店主は雪子を変わった客だが困った客だとは認識しなくなった。
 雪子が何処の誰で何をする何者なのかを店主が知るのはもう少し後の話だった。
 その雪子は今日も炭酸水をチビチビと啜る。
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