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□どうかどうか、忘れることを覚えていて
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「…忘れる?何を」
「オレのこと。忘れてくれ」
「…」
ここで初めて、雲雀は寝返りをうってディーノの顔を見る。何故今まで見なかったのだろう、気付こうとしなかったのだろう。彼の目は、不安と悲しみに囚われた、まるで草食動物。まるで弱い、ただの男であった。
「…恭弥はこれからもずっと生きるから。オレと違って、無限の時を生きるから…」
「だから?」
「オレが死んだその時は、どうか、オレのことを忘れてくれ」
「…」
雲雀の眉間に刻まれたシワは、次第に深みを増していく。はっきりいって、随分と奇妙なことを言うものだと、雲雀は疑問に思う。
なぜならそう、"みんな同じだった"からだ。雲雀が見てきた人間の皆、揃いも揃って死に際に言うのだ。どうか、自分を覚えていてくれと。忘れないでくれと。
そう言った人間達は、彼にとっては醜く、やはりくだらないものでしかない。見下すようにして、また嘲笑うかのようにして、綺麗さっぱり忘れてきた。彼らがどんな声で、どんな顔で、どんな人生を送って、そしてどんな最期だったかなんて、とうに忘れている。覚えてなどいない。覚えていようとも思わない。
それなのに、今、目の前の男は言う。自分が死んだら、どうか忘れてほしいと。自分といた、雲雀にとってはほんの僅かな記憶。それすらも、忘れてほしいと。
「…なんで忘れてほしいの。覚えててほしくはないの?」
「オレは、決して正しい生き方なんてしてねぇよ。まして、人様に語り継がれていけるような…格好良い生き方なんて」
「…」
汚いことばかりだよ、と苦笑して言うディーノの顔を、雲雀は穴の開くほど見つめていた。しかしまた元のように彼から背を向ける。
「…やっぱり変わってるね」
「ははっ、そうか?」
「ああ、とても変わってるさ」
それだからこそ、面白いのだと雲雀は思うが、敢えて口にはしなかった。やがて、沈黙が流れる。お互い何も喋らずに、ただベッドに横になるだけ。
そしてしばらくすれば、雲雀の耳に静かな寝息が届き、それは規則的に繰り返される。ディーノはいつの間にか寝てしまっていた。そのだらしのない寝顔をじっと眺め、雲雀は小さく囁いた。
「…望みどおり、忘れてあげるよ。君が死んだら、君の総てを、僕は忘れてあげる」
それだけを告げて、雲雀は後は無言でディーノを見るだけであったが、何故だろう。聞こえているはずもないのに、その端正な顔立ちに相応しく、ディーノが少し、笑った気がした。
どうかどうか、
忘れることを
覚えていて
(この不確かな約束を、数十年後彼が守ったかどうかは、明らかではない)
→後書き