□『張紅倫』
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 少佐は、声を出して歩哨《ほしょう》をよぼうとしましたが、まてまて、深い井戸の中のことだから、歩哨のいるところまで、声がとおるかどうかわからない、それに、もし、ロシアの斥候《せっこう》にききつけられたら、むざむざところされるにきまっている、と思いかえし、そのまま、だまってこしをおろしました。

 あすの朝になったら、だれかがさがしあてて、ひきあげてくれるだろうと考えながら、まるい井戸の口でしきられた星空を見つめていました。
 
そのうちに、井戸の中があんがいあたたかなので、うとうととねむりだしました。

 ふとめざめたときは、もう夜があけていました。
 
少佐はううんとあくびをしながら、赤くかがやいた空を見あげたのち、

 「ちょっ、どうしたらいいかな」
 
と、心の中でつぶやきました。

 まもなく、朝やけで赤かった空は、コバルト色になり、やがて、こい水色にかわっていきました。

少佐は、だれかさがし出してくれないものかと、待ちあぐんでいましたが、だれもここに井戸があることさえ、気がつかないらしいけはいです。

上を見ると、長いのや、みじかいのや、いろいろの形をしたきれぎれの雲が、あとから、あとからと、白く通っていくきりです。

 とうとうお昼近くになりました。

青木少佐ははらもへり、のどがかわいてきました。

とてもじれったくなって、大声で、オーイ、オーイと、いくどもどなってみました。

しかし、じぶんの声がかべにひびくだけで、だれもへんじをしてくれるものはありません。

 少佐は、しかたなく、むだだとは知りながら、なんどもなんども、井戸の口からさがったつる草のはしにとびつこうとしました。

やがて、「あああ」と、つかれはてて、べったりと井戸のそこにすわりこんでしまいました。

 そのうちに、とうとう日がくれて、寒いよいやみがせまってきました。
 
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