□女神の死
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 それでお二人は、さっそく、天の浮橋という、雲の中に浮かんでいる橋の上へお出ましになって、いただいた矛でもって、下のとろとろしているところをかきまわして、さっとお引きあげになりますと、その矛の刃先についた潮水が、ぽたぽたと下へおちて、それが固まって一つの小さな島になりました。

 お二人はその島へおりていらしって、そこへ御殿をたててお住まいになりました。

そして、まずいちばんさきに淡路島をおこしらえになり、それから伊予、讃岐、阿波、土佐とつづいた四国の島と、そのつぎには隠岐の島、それから、そのじぶん筑紫といった今の九州と、壱岐、対島、佐渡の三つの島をお作りになりました。

そして、いちばんしまいに、とかげの形をした、いちばん大きな本州をおこしらえになって、それに大日本豊秋津島(おおやまととよあきつしま)というお名まえをおつけになりました。

 これで、淡路の島からかぞえて、すっかりで八つの島ができました。

ですからいちばんはじめには、日本のことを、大八島国と呼び、またの名を豊葦原水穂国とも称えていました。

 こうして、いよいよ国ができあがったので、お二人は、こんどはおおぜいの神さまをお生みになりました。

それといっしょに、風の神や、海の神や、山の神や、野の神、川の神、火の神をもお生みになりました。

ところがおいたわしいことには、伊弉冉神は、そのおしまいの火の神をお生みになるときに、おからだにおやけどをなすって、そのためにとうとうおかくれになりました。
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