□『最後の胡弓弾き』
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一
旧の正月が近くなると、竹藪の多いこの小さな村で、毎晩鼓の音と胡弓のすすりなくような声が聞えた。
百姓の中で鼓と胡弓のうまい者が稽古をするのであった。
そしていよいよ旧正月がやって来ると、その人たちは二人ずつ組になり、一人は鼓を、も一人は胡弓を持って旅に出ていった。
上手な人たちは東京や大阪までいって一月も帰らなかった。
また信州の寒い山国へ出かけるものもあった。
あまり上手でない人や、遠くへいけない人は村からあまり遠くない町へいった。
それでも三里はあった。
町の門ごとに立って胡弓弾きがひく胡弓にあわせ、鼓を持った太夫さんがぽんぽんと鼓を掌のひらで打ちながら、声はりあげて歌うのである。それは何を謡っているのやら、わけのわからないような歌で、おしまいに
「や、お芽出とう」
といって謡いおさめた。
すると大抵の家では一銭銅貨をさし出してくれた。
それをうけとるのは胡弓弾きの役目だったので、胡弓弾きがお銭を頂いているあいだだけ胡弓の声はとぎれるのであった。
たまには二銭の大きい銅貨をくれる家もあった。
そんなときにはいつもより長く歌を謡うのである。
ことし十二になった木之助は小さい時から胡弓の音が好きであった。
あのおどけたような、また悲しいような声をきくと木之助は何ともいえないうっとりした気持ちになるのであった。
それで早くから胡弓を覚えたいと思っていたが、父が許してくれなかった。
それが今年は十二になったというので許しが出たのであった。