□難波のお宮
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一
仁徳天皇はお位におのぼりになりますと、難波の高津の宮を皇居にお定めになり、葛城の曽都彦という人の娘の岩野媛という方を改めて皇后にお立てになりました。
天皇がまだ皇子大雀命でいらっしゃるとき、ある年摂津の日女島という島へおいでになって、そこでお酒盛をなすったことがありました。
すると、たまたまその島にがんが卵をうんでおりました。
皇子は、日本でがんが卵をうんだということは、これまで一度もお聞きになったことがないものですから、たいそうふしぎにおぼしめして、あとで武内宿禰を召して、
「そちは世の中にまれな長命の人であるが、いったい日本でがんが卵をうんだという話を聞いたことがあるか」
とこういう意味を歌に歌っておたずねになりました。