□赤い盾、黒い盾
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一
綏靖天皇から御七代をへだてて、第十代目に崇神天皇がお位におつきになりました。
天皇にはお子さまが十二人おありになりました。
その中で皇女、豊入媛が、はじめて伊勢の天照大神のお社に仕えて、そのお祭りをお司りになりました。
また、皇子倭日子命がおなくなりになったときに、人がきといって、お墓のまわりへ人を生きながら埋めてお供をさせるならわしがはじまりました。
この天皇の御代には、はやり病がひどくはびこって、人民という人民はほとんど死に絶えそうになりました。
天皇は非常にお嘆きになって、どうしたらよいか、神のお告げをいただこうとおぼしめして、御身を潔めて、慎んでお寝床の上にすわっておいでになりました。
そうするとその夜のお夢に、三輪の社の大物主神が現われていらしって、
「こんどのやく病はこのわしがはやらせたのである。これをすっかり亡ぼしたいと思うならば、大多根子というものにわしの社を祀らせよ」
とお告げになりました。
天皇はすぐに四方へはやうまのお使いをお出しになって、そういう名まえの人をおさがしになりますと、一人の使いが、河内の美努村というところでその人を見つけてつれてまいりました。
天皇はさっそくご前にお召しになって、
「そちはだれの子か」
とおたずねになりました。