□『世界怪談名作集 信号手』
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「おぅい、下にいる人!」
わたしがこう呼んだ声を聞いたとき、信号手は短い棒に巻いた旗を持ったままで、あたかも信号所の小屋の前に立っていた。
この土地の勝手を知っていれば、この声のきこえた方角を聞き誤まりそうにも思えないのであるが、彼は自分の頭のすぐ上の嶮しい断崖の上に立っている私を見あげもせずに、あたりを見まわして更に線路の上を見おろしていた。
その振り向いた様子が、どういう訳であるか知らないが少しく変わっていた。
実をいうと、わたしは高いところから烈しい夕日にむかって、手をかざしながら彼を見ていたので、深い溝に影を落としている信号手の姿はよく分からなかったのであるが、ともかくも彼の振り向いた様子は確かにおかしく思われたのである。
「おぅい、下にいる人!」
彼は線路の方角から振り向いて、ふたたびあたりを見まわして、初めて頭の上の高いところにいる私のすがたを見た。
「どこか降りる所はありませんかね。君のところへ行って話したいのだが……」
彼は返事もせずにただ見上げているのである。
わたしも執拗く二度とは聞きもせずに見おろしていると、あたかもその時である。