□うし飼、うま飼
7ページ/13ページ

       三

 お二人はもはや、お年の上でも十分おひとり立ちで天下をお治めになることがおできになるので、順序からいって、お兄上の意富祁王が、まず第一にご即位になるのがほんとうでした。

しかし、命は弟さまに向かって、

「二人が志自牟のうちにいたときに、もしそなたが名まえを名乗らなかったら、二人ともあのままあそこに埋もれていなければならなかったはずであった。

お互いにこんなになったのもみんなそなたのお手柄である。

それで、私は兄に生まれてはいるけれど、どうかそなたからさきに天下を治めておくれ」

とおっしゃいました。

袁祁王はそのことだけはどこまでもご辞退になりましたが、お兄上がどうしてもお聞きいれにならないので、とうとうしかたなしに、第一にお位におつきになりました。

後に顕宗天皇と申しあげるのがすなわちこの天皇でいらっしゃいます。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ