□第四部 叙情詩と叙事詩 プリューメ街の恋歌とサン・ドゥニ街の戦歌
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七月革命は、事実を打ち倒す正義の勝利である。
光輝に満ちた事柄である。
事実を打ち倒す正義。
そこにこそ、一八三〇年の革命の光輝があり、またその温和さがある。
勝利ある正義は、少しも暴戻たることを要しない。
正義は即ち正であり真である。
正義の特質は、永久に美しく純なることである。
事実は、たとい表面上きわめて必然的なものであろうとも、たといその時代の人々から最もよく承認されたものであろうとも、もし単に事実としてのみ存在するならば、もし正義をあまりに少ししか含有しないかあるいはまったく含有しないかするならば、ついには時を経るとともに、必ず畸形となり廃物となりまたおそらくは怪物となるの運命を有している。
もし事実がいかなる点まで醜くなり得るかを直ちに実見せんと望むならば、何世紀かをへだててマキアヴェリをながめてみるがいい。
マキアヴェリは決して悪き天才ではなく、悪魔でもなく、卑劣なみじめな著述家でもなかった。
彼はただ事実のみであった。
しかも単にイタリーの事実のみではなく、ヨーロッパの事実であり、十六世紀の事実であった。
しかし十九世紀の道徳観念の前に立たする時、彼はいかにも嫌忌すべきものらしく思われ、また実際嫌忌すべきものである。
この正義と事実との争いは、社会の初めより続いている。
その闘争を絶滅せしめ、純なる観念と人間の現実とを混合せしめ、穏かに正義を事実のうちに浸透せしめ事実を正義のうちに浸透せしむること、それこそまさしく賢者の仕事である。