おはなし

□長月編
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「今は昔、竹取の翁という者ありけり。野山に混じりて竹を取りつつ、よろずのことに使いけり。名をば…………名をば………」

「『さかきの造となむいひける』だね。惜しい」



瞑目していた暗黒世界が一転、明るいライトに照らされて普段よりもキラキラ3倍増しの萩原朧がにこにこしながら目の前にいた。後ろでは撮影が終了したようで、セットの片付けを行っている。私も手伝おうと席を立ったが、「まあまあ力仕事は男に任せて」と結局目の前の男に席に戻されてしまった。ごめんなさい皆さん。悪いの全部こいつです。



「静音ちゃんって変わってるね。撮影が終わった瞬間ソッコーで竹取物語の暗唱をするなんて。好きなの?」

「そんな訳ないじゃないですか。明日学校で竹取物語の暗唱テストがあるんですよ。毎回『名をば』の後が覚えられなくて…」

「あー成程。僕も竹取物語の暗唱テストやったかも。中学の頃に」



懐かしいな〜って優しげに目元を緩めて萩原朧はくすくすと笑っている。私はなんだか意外だなぁと思って目をぱちぱちした。



「貴方にも学生時代があったんですね」

「ちょっと、ちょっと、静音ちゃん。僕はちゃんと中学も高校も卒業してるよ。大学にも行ってるよ。今1年目」

「あれ、大学生でしたっけ」

「…もう少し僕に興味を持ってほしいなぁ」



肩を竦めて苦笑している彼はどう見たって実年齢よりも大人びて見えた。顔は童顔寄り、動作は子供っぽいのに、どうしても学生には見えない。

ジッと綺麗な顔を見つめれば、にこっと爽やかな笑顔が返ってきて慌てて目を逸らした。少し頬が熱くなる。



「ガーン。目を反らされちゃった」

「す、みません…」

「あはは、いいよ。気恥ずかしくなっちゃったんでしょ?」

「(あ……)」



首にかけていたモフモフのマフラーみたいなのを外しながら笑う萩原朧に、私はなんとなく彼が大人びて見える理由がわかった気がした。



「コーヒー淹れてくるけど静音ちゃんいる?」

「私が淹れてきますよ」

「いいから、そこにいてね」



立ちかけた私を制して「すぐ戻るから」、と言葉を残してスタッフさん達に紛れる彼の姿を見届けてから、ふっと脱力した。椅子ぎりぎりに腰を滑らせて、点々と輝くライトを見つめる。眩しいくらいに光を放つ物体に、意味もなく溜め息を吐いた。

優しくて、礼儀正しくて、気配り上手。この三拍子が揃ってるから萩原朧が年齢不詳の大人に見えたのだろう。

撮影の時、どんなに細かく指示を出したって怒らないし投げ出さない。不躾に直視してても笑顔で返す。相手が失言をしてもさり気無くフォローをいれる。撮影で疲れている筈なのにカメラマン(私)にコーヒーを淹れてくれる。その他過去を顧みたらもっともっと数えきれないくらい奴の優しさを私は体感している。



「…それに比べて私ときたら」



撮影が終わったらすぐに椅子に座って竹取物語の暗唱開始。スタッフさんにきちんと挨拶したかな…今更になって凄く不安になる。



「お待たせ。疲れてるかなって思ってコーヒー甘めにしたけど良かった?苦手だったら僕の方はブラックだから交換するよ」



紙コップを両手に持ちながら戻って来た萩原朧はまさに模範解答のような発言して私の返答を待っている。私の体調を考慮して甘めにしたって…どこまで優しいのだ、この男は。

私には到底真似できない。

その結論に至った瞬間、なんだか情けなくなって眉を八の字にしながら「…甘い方、ください」と呟いた。何も知らない萩原朧は嬉しそうに「はい」と紙コップを差し出す。私はもぞもぞと身じろぎをしながら姿勢を直してコーヒーを受け取った。



「…甘い」

「甘すぎ?」

「……丁度いい、です」

「良かった」



ほど良く甘いコーヒーがお腹の底をぽかぽか温かくして、少しだけ荒れていた心を落ち着かせる。安心した。このまま何もなく彼と一緒にいたら、不意に泣いてしまうような気がしてたから。



「竹取物語かぁ…そういえば今日は十五夜だね」

「そうでしたっけ」

「スーパー行った時に月見団子のポップに確か今日って書いてあった。あーあ、今年も何もせずに十五夜が終わるんだなぁ」

「大袈裟な…たかが十五夜ですよ?」

「僕は小さな行事でも大切にするタイプなのです。覚えてね」

「覚えてねって……」



なんで私が、と口に出さずとも表情で悟ったようで、彼は声を殺しながらくすくす笑っている。



「静音ちゃんってわかりやすい」

「貴方が訳のわからないことを言うからです」

「だってこんなにも一緒に仕事してるのに、僕の年齢すら覚えてもらえてなかったみたいだから。今からでいいから沢山俺のことを知ってね」



萩原朧の整った顔がズイと眼前に迫り、パチッとウインクをされた。当然だけど、流石いくら言動が寒くても絵になるからムカつく。無意識にピクリと動いてしまった人差し指に叱責してコーヒーを嚥下した。



「はー…よくもまあ、そんな恥ずかしい事をサラッと言えますね。尊敬しますよ」

「こんなこと、君しか言ってないよ」

「またそんな冗談を―――」

「嘘じゃない」



急に声のトーンが低くなって、違和感を感じた私は顔を上げる。萩原朧はいつになく真剣な眼差しで私を見ていた。微塵も揺らがない金の双眸にぞくりと背筋を震わせる。

顔を強張らせて黙してしまった私に気付いた萩原朧は、静かに目を細めて微笑んだ。



(僕が優しくするのは静音ちゃんだけ。静音ちゃんだから優しくして、とろっとろに甘やかしてあげたい。もう僕なしじゃ生きていけないくらいに依存させたいよ)



「(……なんてね)」

「萩、原…さん?」

「そう言えば今日が十五夜って事は、月が真ん丸くて綺麗なんだよなー…」

「え…」

「うん、見に行こうか」

「え…え?」



鋭利な雰囲気から一転、ブツブツ独り言を話し出したと思ったら今度はうんうん頷いて納得している。そんな一人芝居をしている萩原朧の感情を巧く読み取ることが出来ず狼狽している私に、当人は「よし!」と気合入れて立ち上がった。



「折角だから月を見に行こうよ、静音ちゃん」



そう言ってにこにこしながら私に手を差し出す。現場の白いライトが彼の栗色の髪にグロウをかけて、その姿はさながら白い騎士のようだった。王子様に見えないのは多分年齢のせいか。取り合えず私は拒否することにした。



「嫌です」

「駄目です」

「何故です」

「一人で月を見るのは寂しいからです!」

「知りません」

「今日の月はきっと綺麗だよ!君と一緒に見たらもっと綺麗!」

「安いナンパはお断りです」

「…きっと写真栄えするだろうなぁ〜」

「っ!」



ビクンと肩が大きく跳ねる。



「人工のライトと違って月光は独特な淡い光だから、儚い感じになると思うんだよなぁ。きっと透明感があって綺麗だろうなぁ〜」

「デ、デタラメ言わないでください」

「デタラメじゃないよ。竹取物語だってそうでしょ?月から来たお姫様は周りの男が放っとかないくらい美しくて、月明かりの下にいた彼女がそれはもう綺麗で皆が虜に………」

「し、仕方ないですね。カメラマンとして絶景のベストショットを逃すわけにはいきません。屋上へ行きましょう」



うう、くそ…っ

なんて私は単純なんだ…っ!!

うざいくらいの奴の笑顔が物凄く悔しいけど、奴の甘言に絆された私は渋々彼の手に自分の手を委ねて、まだ片付けをしている現場を後にした。






*****************




「うわぁ〜!超キレー!」

「わぁ…!」



撮影所の屋上。視界いっぱいに広がる深い藍色の空に煌々と輝く星。そして一際輝く大きな丸い金の月に私は圧巻されながら見ていた。萩原朧の言った通り、月光のベールは淡い光を纏って沢山の人々が蠢く街全体を照らす。ビルも、人も、電柱も、神秘的な光を纏ったこの街はまるで別世界のようにも思えた。



「やっぱ見にきて正解だね。凄いや」

「…………」

「気温も丁度いいし、最高の月見日和だ。ね、静音ちゃんもそう思わない?」

「…………」

「静音ちゃん?」

「…………」

「…ふふ、月の光に魅せられちゃったか」



隣で萩原朧が何か言っているけど、それに答えている余裕が私にはなかった。

確かに今日の満月は綺麗だった。長い間人間界にいるけれど、こんなに良い条件で月を見たのは久しぶりな気がする。ぽっかりと浮かぶ荘厳な金月が放つ妖しい美しさに、思考が全て吸い込まれるようだ。

でもそれよりももっと美しい光景を見つけてしまい、私は空気を吸うときみたいに自然に、シャッターをきった。


カシャッ



「…あ、もしかして今僕の写真撮った?」



レンズ越しに微笑みながら横目で見つめてくる萩原朧。月と同じ金色の瞳に、私は取憑かれたようにもう一度シャッターを押した。



「…今日の撮影、気に入らなかったので」

「あはは、そっか。今のは気に入った?」

「まあ、ね」



カメラをゆっくり下ろす。白く淡い光に照らされた彼の横顔は、今日一番のベストショットだった。あとで現像してこの写真も使ってもらおう。



「…こんなにも月が美しいなら、確かにかぐや姫も月に帰りたくなりますよね」



降り注ぐ光の糸を手繰って、美しき桃源郷が存在する月の国へ。そこはきっと煌びやかで楽しい場所だろう。



「…どうかな。だってかぐや姫には自分を愛してくれる人も、育て親のおじいさんとおばあさんもいたんだよ。大切な人達と永遠の別れをしてでも、月に帰りたいと思うのかな」



ドクン、と痛いくらいに胸が締め付けられる。

萩原朧は多分あまり意味もなくその発言をしたのだろうけど、私に感傷という名の打撃を与えるには十分だった。今はまだ目的があるから人間界に留まっているけれど、目的を果たした妖怪の私は月に…自分がいるべき場所へ帰るのだろうか。



「帰っちゃだめだよ、静音ちゃん」

「…は?」

「今、月に帰りたそうな顔してた」



私の心が読まれたのかと驚いて萩原朧を見れば、彼は少し寂しそうな顔で私を見ていた。凝視していたら、「…なんてね」と時間差で言葉を付け足される。



「あまりにも月明かりに照らされた静音ちゃんが綺麗だったから、かぐや姫に見えちゃった」

「何言ってるんですか。かぐや姫に失礼ですよ」

「そうかなぁ。実際にかぐや姫が存在した訳じゃないし、彼女の人物像をどう想像するかは人それぞれだよ。だから僕のかぐや姫は静音ちゃん」



月を遠目に眺めながら楽しそうにかぐや姫像を話している萩原朧の横顔を一瞥して、少し思案に耽った後に「(確かに…)」と内心呟いた。竹取物語はただの御伽噺だから登場人物たちが実在していたわけじゃないし、でも彼らの人物像に関する記述はあるのだから、あくまでどんな人物だったのかは各個人が想像するしかない。その人物像が例え百歩譲って私であったとしても、仕方ない…というか他人の想像を否定してはいけないと思う。

それにしても私がかぐや姫とは、甚だ遺憾ではあるが。



「私がイメージするかぐや姫とは大きく異なります」

「そう?だってかぐや姫って美人で、純粋で、月が似合う女の子でしょ?静音ちゃんそのものだよ〜」



…今すぐこのにこにこしている男に私が妖怪であることを伝えたい。

ぐっと堪えた。



「はあ…まあ、どうも」

「でも静音ちゃんが五人の公達に求婚されるのは嫌だなぁ。その中の一人が僕だとしても、みんなかぐや姫の無理難題に死んじゃうからなぁ」

「そうですね。そう考えたらかぐや姫って酷い人ですね」

「そして結局月に帰っちゃうしね。ん〜かぐや姫って人間界に産み落とされて生きて、得たものってあったのかな」



ぐぐっと両腕を伸ばしながらぼやく萩原朧の言葉に、私はハッとして閉口した。その言葉に思うところがあったけど、彼に言う必要はない。だって彼は人間で、私と違う種族だから。

でも………



「…きっと、人間界で過ごした日々が彼女にとって刹那の時であっても、かけがえのない『幸せ』を得たと思いますよ」



沢山の人間と出会って、愛して、愛されて、そんな大切な人たちに別れを告げて月に帰った時は胸が張りさけそうなくらい悲しむだろうけど、出会えたことに後悔しないと思う。

後悔しないくらい大切な人に出会えたことが、なによりも大事な『得たもの』だよね。



「そう考えたら私も、幸せ者です」



今まで色々な人に出会って、様々な出来事があって、今の私がある。

それってとても幸せなこと。

萩原朧、君との出会いも私にとって大切な『得たもの』だよ。絶対に言わないけどね。



*End*

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