□「忘れないで」
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 いつかまた、

 脆い記憶を抱きしめて。





 波音が耳を撫でる。呼吸する様に穏やかに波打つ海。潮の香りを連れた風が髪を揺らした。
 この白い波は何を連れて寄せ。
 また何を連れて返すのか。
 浜辺に続く石段をゆっくりと下りる。潮騒によく馴染む低音が、背後から僕を呼んだ。

「何故急に海なんだ?」

 振り返る。
 僕より数段上に立つ手塚を見上げると、その黒髪も同じように揺れていた。

「何となく。ただ海が見たくなったんだ。それに手塚、山ばっかりで海にはあんまり来ないだろ」

 学校からの帰り道、一緒にいた手塚を道連れに。何の計画もなくふらりとやって来たこの海岸。泳ぐにはまだ早いこの季節、浜辺には僕等以外に人影はない。
 石段の中程に腰を下ろす。手塚も僕に倣い、すぐ側に座った。
 砂浜に出る訳でもなく、波に足を浸す訳でもなく。果てのない海をふたり静かに眺め続ける。
 水平線に白い船が浮かんでいる。頭上を飛ぶのは。あの白い鳥は鴎だろうか。
 何処に居たって刻む鼓動は一緒のはずなのに。此処では時間が酷くゆっくりと流れている気がして、普段の目まぐるしい日常が嘘の様で。
 今君が側にいる事さえ―――僕にとって唯一の真実さえ幻の様で、
 僕は、怖くなって隣を見た。
 手塚はずっと遠くを見つめながら。それでも、そこにちゃんと座ってくれていた。

「何だ」
「あ―――いや、ごめんね。無理矢理付き合わせちゃって。暇だよね」
「いや。たまには海も良いものだな」

 波の音に心が洗われる―――。
 そう呟いた手塚。その横顔があまりに綺麗で、白昼夢の様な眩暈に僕は目を細めた。
 蒼い海は何処までも遠く続き、やがて空と混ざり合う。
 緩やかな潮風。
 海鳥の鳴く声。

 この優しい波音を。
 気まぐれに海にやって来た何でもないこの日を。
 隣にいた僕を、どうか―――。

 続く言葉を君に伝える事は、どうしても出来なかった。





      END


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