□秘密的恋情
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 欲しかったはずの恋は。

 痛い程の温もりに、満ちて。





 叶わないのに想ってるのはつらいから。
 叶ったのに別れるのもつらいから。
 だから僕は、この厄介な気持ちにそっと鍵をかけた。
 こんな想いによく似合う、錆び付いた鍵を。
 こんな想いが二度と溢れてしまわないよう、大きな鍵を。


「あれ、不二そんなネックレス付けてたっけ?」

 英二のよく透る声が、部室のざわめきに負けず僕に届いた。その視線の先では僕の首から下がる鈍色の鍵が揺れている。

「うん。最近付け始めたんだけど変かな」
「うんにゃ、似合ってるよん。いいねその鍵モチーフ」
「ありがと」
「でも珍しいじゃん、不二って休みの日もあんまそういうの付けないのに」

 どういう心境の変化、と笑って訊く英二に、気分転換だよと同じく笑って返した。
 本当にそうだったら良かったのに。
 気分次第で付けたり外したり出来る物だったら、どんなに楽だっただろう。
 こんなネックレス一つで己をごまかそうとする自分が酷く幼稚に思えて、心の中だけで嗤った。

「帰るぞ英二」
「わ、ちょっと待って! じゃあねー不二っ」
「うん、ばいばい」

 着替え終わった部員達がそうして一人、また一人と帰路に着く。
 やがて、静かになった部室に残されたのは、僕と―――未だ着替える暇もないくらいに忙しい部長。手塚は竜崎先生と話していて書けなかった日誌にペンを走らせていた。
 しんとした部室にペンが紙を滑る音だけが響く。

「大変だね、仕事が多くて」
「忙しい時期だからな。仕方がない」
「あとどのくらい?」
「まだだ。先に帰っていろ」
「良いよ、待ってる」

 遅くなっても知らんぞ、と日誌から目を離さず答える手塚。その向かい側に座ったまま、返事の代わりに静かに微笑った。
 ―――哀しい、と。
 泣き叫んでしまいたい癖に。
 側にいるだけで呼吸が不安定に揺らぐ癖に。
 それでも、手塚を避けるのは逃げてるみたいで嫌だった。きっと、己の弱さに淋しく微笑う自分へのせめてもの抵抗だったのだろう。
 男同士だからとか、友達でいた方が、とか。そんな理由で嘆く事の出来る恋ならまだ良かったのかもしれない。でも常に僕に纏わり付いていたのは、もっと別の不安と焦燥だった。
 わかっていたんだ。この想いを認めた瞬間から。
 その瞳がいつも見つめているもの。その腕がこれから掴んで行くものが、嫌になる程理解ってしまったから。
 だから僕は、

「それは何かの鍵なのか」

 唐突な質問にはっと我に返る。見ると、問い掛けた本人は僕の方を向きもせずページを文字で埋めている。
 それというのは、僕が付けているネックレスの事だろう。英二と僕の会話を聞いていたのだろうか。

「え―――ああ、これ。違うよ、鍵をモチーフにしてるだけ。ただのアクセサリーだよ」
「そうなのか」
「うん」

 こんなガラクタで開くものがもしもあるとしたら。
 それは、厄介な感情を抱えたこの心くらいだ―――。
 くだらない感傷が再び僕の頭に侵入する。その時ふと、手をとめ黙り込む手塚に気付いた。
 どうしたの。
 そう言おうと口を開きかけた、次の瞬間。

「お前は最近、何かを隠しているだろう」

 ナイフよりも鋭利な言葉が、僕を貫いた。

「―――え―――?」

 確信を持った鋭い瞳が真正面から僕を射抜く。核心を突いた言葉に、得意の作り笑いを浮かべる事さえ忘れていた。
 何で、気付いて。
 気付いていたのか。
 他に誰も、誰一人として見抜けなかったというのに。

「な―――何言ってるの手塚」

 大きく波打つ心臓。嫌な汗が一瞬で肌を覆う。
 だめだ。何とか、何とか繕わなくては。
 そんな僕を嘲笑うかの様に。
 手塚が目を伏せる。
 レンズの奥にある、長い睫毛に縁取られた瞳が告げるのは。
 ねえやめて。
 やめてよ。

「―――お前を」

 これ以上、
 ぼくをゆさぶらないで

「お前を見ていればわかる」

 僕の中で。
 何かが切れた音がした。

 がたんと音を立て立ち上がる。身体は思考を置き去りにしたまま、見えない何かを求めて彼の手首を掴む。
 今動いているのは、誰だ。

「不二?」

 手塚の不思議そうな声が何故か遠くに聞こえた。
 視界が揺れる。
 触れ合ってしまった肌。ずっと欲しかったものが、ずっと望んでいたものがこんなに近くに。
 やめろ。だめだ。
 何の覚悟も出来ていない癖に。今まで護って来たものを振り払うつもりか。
 一瞬の衝動に任せて、自分の腕を、離すつもりか。
 ああそれでも、
 そんな事全てどうでも良くなるくらいに。

「不二、どうした」

 いつでも触れたいのは誰だった。
 呼吸も出来ない程に想っていたのは誰だった。
 たった一度、一度で良いから僕を刻み付けてしまいたくて。足掻けば足掻く程に、遠ざかって行く様で。

「―――手塚」

 決して言ってはいけない言葉が。
 伝えてはいけない言葉がある。

「手塚、僕」

 込み上げていた気持ちは嘘じゃないのに。
 だって今、こんなに近い場所にいるのに、

「ぼくはきみのことが」

 好きだ―――。

「―――何でも、ない」

 僕には、それを言う事がどうしても出来なかった。

 がちゃり。
 重く冷たい音が頭の隅で聞こえて。
 何かを諦める様に、触れていた指をするりと離した。

「不二、一体どうしたんだ」
「ううん。本当に、何でもないんだ」

 手塚が戸惑っているのが空気を通して伝わる。呑み込んだ言葉が形を変えて零れてしまうのを恐れ、立ったまま俯く。
 どうして。
 理解っていた事じゃないか。
 初めて逢った瞬間から、もう既にひび割れていた恋じゃないか。
 彼の未来を壊したくないから。彼の邪魔をしたくないから。
 違う。
 僕が一番恐れていたのは。
 僕が、一番守っていたかったのは。

「ごめんね」

 それは、他でもない自分自身だったんだ―――。
 小さく紡いだ言葉。胸元で揺れる鈍色が僕を責めると同時に嘲笑う。手塚と目を合わせずに、机に置いていたテニスバッグを無造作に手に取った。
 お願い。
 もう少し。
 部室の外に出るまでどうか、固く閉ざす事をやめないで。
 始まってもいないのに終わりを恐れてしまった。不安や痛みを振り払ってでも想い続ける事が出来なかった僕が、たった一つだけ残せるもの。
 君に最後の強がりを。
 遅過ぎた、サヨナラを。

「やっぱり、先に帰るよ」

 僕は今、誰よりも上手に微笑えているだろうか。





      END


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