愛玩少女

□08
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 何の変哲もない扉を潜れば、そこはすっかり嗅ぎ慣れた潮の香りで満ちていた。掻き分けられる波の音は聞こえても、飛沫までは到底見ることが出来ない。今戻ったアジトが夜の帳に包まれているためだ。先程まで滞在していたマンションは逆に太陽が燦燦と輝いていたというのに。あの部屋とこの船は時差が当然のように存在する程遠い場所なのだといろはは改めて認識した。
 いつもは子供達の声で賑やかな甲板も、時間が時間なのか今ではひっそりと静まり返っている。だからこそ裂ける波の音が一層心地好くも感じられた。この船がどこへ向かうのかはわからない。ここが今どこなのかすら定かではないのだ。
 そうしてぼんやりと潮風を浴びていれば、背後から苦笑したような声が響いた。
「中へ入ろう、いろは。夜風は体に障るからね」
「……京介」
「君が学校を休むとまた薫達も残念がるだろうし、それに――」
 この関係を知っているのはパンドラのメンバーでも極僅かで、殆どはいろはのことを京介が気まぐれの極みで拾ってきた、未来を担うらしい一人の少女として認識している。なので余りおおっぴらに触れ合うことは出来ない。エスパーとノーマル、秘めたる関係なのだから。それだというのにこれは如何なものか――いろはが心配するのを余所に、京介が背後から腕を伸ばす。そうしていろはの肩を抱き、そっと耳元に唇を寄せた。
「それに、そんなことは僕だって望んでいない」
「……!」
「君は誰より安全に健やかに育つんだ、いろは。僕のためにもね」
 京介がそう耳元で囁くのを聞いて、いろははいつも思う。この人が必要としているのは――肩を抱く京介の手に、いろはの小さなそれがそっと掛けられた。
「……はい」


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