ハナミズキ

□02
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 世界の中心はと問われたら、躊躇うことなくあの人を思い出し、彼の名前を出すだろう。
「――あ、少佐の嫁」
 船内をぱたぱたと小さく走るいろはにとって、少し離れたところから聞き捨てのならない言葉が上がる。そう自分を呼ぶ人間は割と多いのだけれど、その直後に聞こえた溜め息がいろはの小走りにブレーキを掛けた。
「……語弊と悪意しかないな、葉」
「葉兄ちゃんと――少佐!」
 その姿を確認したいろははぱっとその表情を輝かせて二人の元へと駆け寄る。葉と京介は暖かな午後の日差しが射す窓辺でのんびりと、基、だらだらと過ごしているようだ。椅子の肘掛けに頬杖をついた京介は口角を緩めていろはへ視線をやった。
「いろはは何をしてるんだい?」
「今から紅葉姉さんのところに行こうかなって思って」
「紅葉の?」
 まあ座りなよ、と空いたひとつの席を京介が勧めるものだから、いろはには断ることなど出来やしない。もちろん断るつもりもなかったので、勧められた一人掛けの椅子にお邪魔しますと腰掛けた。
 京介の隣のその場所はいつだっていろはの心を踊らせる。ちらりと隣へ視線をやれば彼と目が合って、慌てて逸らしてしまったのだけれど。
「紅葉は今外に出ていていないよ」
「え、そうなんですか?」
 それは思いもしなかった。いろはは残念だと唇を尖らせる。でもだからこそ京介はこの席を勧めてくれたのだろうから、それはそれでよかったのかも知れない。そう不幸中の幸いを素直に喜んだ。
「なんか用でもあったのか、嫁」
「葉!お前それ止めろ!」
「皆言ってるじゃないスか」
「確かに皆言ってますよ!」
 そういろはが身を乗り出してにこにことしながら答えると、京介がぐっと言葉に詰まる。そうしてその内にふいと視線を逸らしてしまう彼がどうにも可愛らしくて――いろはは満足そうに微笑んだ。



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